第12話 新たな日々

(1)


 念のために毎日さまざまなSNSでエゴサを繰り返してみたが、カラオケでのあの一件に関する書き込みは見つからなかった。日向音が目の前で学生たちに画像を消去させ、釘を刺してくれたおかげに違いない。


 あれから約一か月経た現在、晶羽は結婚式場の音響アルバイトを辞めて柳緑りゅうろく庵で働き始めていた。




「この店の包み餅は通年販売物の他に季節ごとの販売商品の二種類。季節限定商品はお餅の色と中の餡の種類が違ってきます。一月から二月は白い生地とニッキの餡。三月から四月は桜色の生地と桜餡。五月から六月は抹茶色の生地に抹茶餡。七月から八月は水色の生地に白餡、九月から十一月初旬は橙色の生地に南瓜かぼちゃ餡。十一月半ばから十二月は薄紫の生地に芋餡」


 店長の母親こと、大先輩も大先輩の従業員・美紀子の説明を聴きながら。

 彼女と同じく抹茶色の作務衣に前掛けを着た晶羽は必死にメモを取る。


「季節限定商品は全部で六種類。だいたい二ヶ月ごとで変わるかな?通年商品と限定品との詰め合わせセットはうちの売れ筋品の一つね……、晶羽ちゃん、だいじょうぶ?」

「す、すみません、もう一回教えてください。九月から十一月の生地とあんこは何でしたか?」

「九月から十一月初旬は橙色の生地と南瓜餡ね」


 晶羽は昔から歌詞やメロディ、リズム以外を覚えることが苦手だ。

 その場で聴いて一旦理解した気にはなるものの、いざ実践しようとすると「なんだっけ」となってしまう。


『説明ちゃんと聴いてたの?』『なんでこんなことわからないんだ』と呆れられ、叱責されるのはつらいが、それ以上に仕事ができない自分が悔しい。だから、仕事の説明などは一から十まで理解できるよう、細かくメモしないと気が済まない。


 ただ、メモを取ったら取ったでその間、相手は待たせることになる。それはそれで相手を苛立たせる。メモを取りながらも、つい美紀子の表情をちらちら窺ってしまう。


「私のことなら気にしないで。今はお客様いないしゆっくり書けばいいからね」

「はいっ、ありがとうございます」

「メモを取るなんて感心ねぇ」


 美紀子の気遣いにほろりとくる。優しい……。


「ありがとうございます!あの、質問いいですか?なんでこの南瓜餡の包み餅は他の限定品より微妙に販売期間が長いんですか?逆に芋餡は短いですし」

「そうだねぇ……、生地と餡はそれぞれの季節を表してて。南瓜餡は紅葉イメージだから、紅葉シーズンに合わせたんじゃない?本当は九月じゃまだ早いし、実際は十月後半から十一月がシーズンだけど」

「たしかに」

「あと芋餡の包み餅はお坊さんの法衣の色でね」

「えぇっ、なんでお坊さん?!」

「大晦日の除夜の鐘のイメージだって」

「それ、誰が考えたんです?」


 美紀子はこそこそ、厨房を指差す。


「……店長さん、なんですね」

「そうなのよぉ、限定商品考えたのはあの子。十二月のだけ、だいぶ無理矢理よねぇ」

「うーん……、面白い発想だとは思います、よ?」


 今の説明をメモに書きながら、思わず苦笑い。

 面白いと思ったのも本心だが、やっぱり店長は変わった人だ。


「今日はひとまず商品の説明は終わり。一気にじゃなくて、ゆっくり少しずつ覚えてくれればいいからね。で!今から夏向けの店内の飾りつけディスプレイ手伝ってくれる?」

「はい!」

「晶羽ちゃんが来てくれて本当、助かってるんだから。今まではお店の中のこと、私一人で全部回してたし」

「店長さんは手伝ってくれないんですか?」


 口にした瞬間、もしかして訊かない方が良かったことでは、と後悔する。

 また空気を読まない余計な発言をしてしまった。


『思った事をすぐ口にするな』


 バンド時代もマネージャーの伊藤にしょっちゅう注意されていたし、メンバーたちも度々困らせてしまっていた。

 所属事務所から、キラ=歌ってるとき以外は口数少ないクール女子と位置づけられ、あまりしゃべらないよう指示されていたのは、空気の読めなさによる炎上避けのためだった。



「あぁ、あの子はねぇ……、接客とかてんで苦手でねぇ。和菓子作りに専念させておくのが一番合ってるから」

「はあ」


 ため息混じりに美紀子が告げた言葉は晶羽も分かる気がした。

 店長は厨房の外へは滅多に出てこない。少なくとも晶羽が柳緑庵で働き出してからの一週間、厨房の中でしか姿を見てない。

 会話と言えば、店頭に並べる和菓子を厨房から受け取る時と品切れ商品を伝える時くらい。


 こう言っては何だが、晶羽自身は店長とのかかわりが少ないことにホッとしていた。


 バイト初日、面接時には気づかなかったある物──、休憩所の長押なげしにキラのサイン色紙が飾られているのを発見してしまったのだ。

 サインを書いてあげた人の顔は、大変申し訳ないが全員覚えている訳じゃない。ただ、印象に残っている人も多数いる。

 そのサイン色紙を見たことで、そう言えば、デビューアルバムの握手会で店長と似た人がいたような……、と、おぼろげながら記憶が呼び起こされた。


 今までの晶羽なら不安に駆られて疑心暗鬼になり、すぐにアルバイトを辞めてしまっただろう。

 しかし、珠璃や日向音みたいに正体に気づいても『キラ』ではなく『纐纈晶羽』として接してくれる人もいる。過去の自分を知ったからと言って、誰もが悪意や下世話な好奇心を向けてくるわけではない。だから、店長のことも信じてみようと決めた。





 メモ帳をパタッと閉じる。

 次はディスプレイの飾り付けに取りかからなきゃ。




「いらっしゃいませー」

「い、いらっしゃいませー!」


 張り切ったところで客がやってきた。

 ディスプレイの飾りつけのことばかり意識していたので、慌てふためきつつ、晶羽は接客を始めたのだった。









(2)


 柳緑庵は夕方五時に閉店する。


 閉店作業を終え、美紀子と相変わらず厨房に籠りっぱなしの店長に挨拶し、退店。

 そのまま自宅アパート……ではなく、最寄りの地下鉄の駅へと向かう。


 晶羽の自宅アパートとは逆方向へ向かう電車に乗り、四駅目で降りる。

 薄暮が迫る夕空と、高架下の道沿いを歩くこと数分。オレンジ色の三角屋根とコンクリート製の古い三階建てビルに到着した。


 年季の入ったスチール製の手摺にときどき掴まりながら、地下一階へ降りていく。

『Chameleon Gems』という店の名前と今夜のライブの詳細が書かれた立て看板の前、珠璃が立っている。


「ごめんっ、お待たせ!」

「いーよいーよ。それよかおつかれー。開場はしたけどイベント自体はまだ始まってないし、だいじょーぶ!ライブが時間通りに始まることなんてそんなにないじゃんね?ま、慌てるこたあないけど、とりあえず中入っとく?」

「うん、そうだね」

「よっしゃ、いこいこー」


 がしっと背中を押され、重たい扉を開ける。


「お、珠璃ちゃんじゃん」

「早川さんおつっす。日向音のバンド何番目?」

「トリ前。五番目だよ」

「ん、了ー解」


 珠璃が二枚のチケットと引き換えにドリンクチケット二枚分手にする。


「友達?」


 早川さんと呼ばれたスタッフに水を向けられ、晶羽に緊張が走る。


「そーだよ。最近仲良くなってさあ。日向音とも友達だからあいつのライブに誘ったんだ」

「ふーん。珠璃ちゃんのお友達さん、まあ、楽しんでって」


 こくっと小さく頷き、珠璃と共に店内へ。


「トップのバンドの出番始まる前にドリンクもらいにいこーぜ。あたし喉乾いた」

「そだね。私も何か飲みたい」

「ドリンクはあそこのカウンターな」


 薄暗いホールの中、砂漠のオアシスのようにドリンクカウンターだけは明るく照らされている。

 光を頼りに珠璃と共にドリンクカウンターへ向かう。


「オトン!ジンジャーエール!」

「はいよー。お、この子が例の晶羽ちゃん?」

「あ、はじめまして……、えぇっ?」


 カウンターから顔を出した雅を見て、晶羽は「えっ?えっ?!」と軽く混乱した。

 晶羽の混乱の意味を察した珠璃は本気で嫌そうな顔をする。


「俺、そんなに珠璃に似てる?」

「あ、はい……」

「……っだー!晶羽ちゃんまでやめてくれよぉおお!」


 雅が差し出したジンジャーエールのグラスをひったくると、珠璃はやけくそでごくごく、一気に半分飲み干した。


「晶羽ちゃんは事実を言ってるまでだよなー、ね?」


 こ、答えづらい……。

 無言で曖昧に微笑むと、「すみません、あの、ウーロン茶お願いします」とドリンク交換の半券を差し出す。


「珠璃がヒナくん日向音以外にここに連れてくるの初めてでさー、ちょっと嬉しいね。晶羽ちゃん、こいつ、口も悪いし態度もデカいけど」

「おいこら、クソオトン。さりげなくディスるんじゃねぇ」

「親の贔屓目抜きにしても根はいいヤツだから、よぉく仲良くしてやって」

「もちろんです。むしろ私の方がお世話かけっぱなしですけど……」

「そうなん?気にしなくていーよ。こいつ、人の世話焼くの得意だから。はい、お待たせしましたー、ウーロン茶ね」


 小さく礼を述べ、ウーロン茶のグラスを受け取る。


「晶羽ちゃん、そろそろ始まるっぽい。前の方いこ」

「うん!」



 決して狭くはないが、広くもない。ステージもハコライブハウス全体も。

 それでも、晶羽は数年ぶりのライブの空気感にわくわく、期待が大きく膨らんでいった。

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