三章

第11話 仕切り直し

(1)


 時間は少し前に遡る。



「なぁ珠璃、晶羽ちゃんてさぁ」


 晶羽が退室したのを見計らい、日向音はこそこそ、珠璃に耳打ちする。


「まさかと思うけど、Rainbow Plastic Planetsのキラ、じゃない……、よな?」

「……なんでそう思うんだよ。たしかに声似てるし背ぇ高いけど」


 予想に違わない問い。

 だからなんなんだよ、と、突き放したように問い返す。


「あんな、俺、四年くらい前に友だちの付き合いで地下アイドルイベントに行ったことあってさ」

「ほう、で?」

「そのイベントのゲストにRainbow Plastic Planetsが出演してたんだよ。まだデビュー前だったからかな、キラはさ、観客に混じったら溶け込みそうなくらい、どこにでもいるふっつーの雰囲気の子だったんだよ。出番でステージに上がっても緊張でガッチガチだったし。俺も含めてほとんどの客が素人臭すぎてだいじょうぶか、って思ったんじゃないかな」

「へー」

「でも歌い出したら客席中が一気に引き込まれた。晶羽ちゃんがさ、その時のキラの姿とめっちゃ被るんだよなぁ……、お前はどう思ってんの」

「さあ?」


 そっけなく答えると、珠璃は温くなったレモンスカッシュを啜った。ほとんど溶けた氷の、わずかな欠片がグラスの中で転がる。


「うん、まあ、俺が思ってたイメージと違ってえっらい純朴そうだし。どっちかって言うと騙される側の雰囲気だな、ありゃ……、あ」


 何かを思い出し、日向音は急に黙った。


「あんだよ、気になるじゃねーか」

「ああ、いや……、騙されると言やー……」


 歯切れ悪そうにしながら、日向音はごにょごにょと珠璃に再び耳打ちする。


「あー、なんか最悪の謝罪会見?したんだっけ?興味なさ過ぎて忘れてた」

「どう思うよ?」

「あたしも似たような目に遭ったし、庇う訳じゃないけど……、シロじゃね?天然だけどアホではない気がするし。つか、晶羽ちゃんがキラだろうがキラじゃなかろうがどうだっていい。一緒にいて楽しいか楽しくないか、それだけじゃん。つーことで、この話題終わらすぞ」


 日向音はまだ何か言いたげだったが、ま、いっかと言うようにふっと表情を緩めた。


「だなぁ。大事なのは今だよなぁ。いろいろ疑って悪かったかも」

「悪いと思ってんなら今日のカラオケ代おごれ」

「それとこれとは別」

「あ゛ぁ?!」

「怒んなって。あ、そろそろ晶羽ちゃん戻ってくるかも。んじゃ、俺もションベンしてくるわ」

「……いってらー」


 日向音の方を見ずにひらひら手を振り、残り僅かのレモンスカッシュを一気に飲み干す。

 ドリンクバーに行きたい。でも、二人のどちらかが戻ってこないと行けない。


「にしても遅くね?」


 晶羽が退室し、すでに一〇分近く過ぎている。

 ドリンクバーに行く前後にトイレに寄ったとしても時間かかり過ぎでは。

 そもそもトイレにプラスチックグラス持っていくか?少なくとも自分は嫌だ。


 もしかして、自分や日向音以外の誰かにもキラ疑惑掛けられ、絡まれたりしていないだろうか。


 日向音はともかく、キラへの興味関心の薄い珠璃でさえ疑うくらいだ。そうじゃない者にはもっと疑われてしまうだろう。


 急に心配になり、扉の外へ出る。

 そこで見たのは……、キラだと疑われ、顔色を失くした晶羽の姿だった。








(2)


 押し込まれるように入室、有無を言わさずソファーに座らされる。


「ちょっと待ってて!」


 再び廊下へ出て行く珠璃を無言で見送り、膝に顔を埋める。


 甘えて悪いけれど、あの男性客たちは日向音に任せようと思う。

 でも、絶対、珠璃と日向音には自分がキラだとバレただろう。


 二十分ほど前までは楽しくて楽しくて、高揚していた気分は嘘みたいに深く沈んでいく。とてもじゃないが顔を上げたくな──



「ひゃっ、つめた!」


 ずーんと落ち込んでいると、ふいに、コツ、と頭頂部に固くてひんやりした物を押し当てられた。

 思わず顔を上げれば、面前にプラスチックグラスを差し出す珠璃の手が。


「これ飲んで落ち着きなよ」

「う、うん」


 素直にグラスを受け取る。中身はミネラルウォーター。氷は入っていない。


「あのアホどもはもう気にしなくていいよ。日向音が目の前で画像消させた。安心しなよね」

「……ありがと」


 珠璃と目を合わせるのが怖くて、あえてグラスの水をじっと見つめる。

 珠璃は隣でぐびぐび音を立ててドリンクを飲むと、ギターのチューニングを始めた。


「えっ!」

「えっ?」


 思わず珠璃の方を振り向くと、きょとんとした顔で見返された。

 今にも「次はどの曲るー?」とか言い出しそうだ。


「もう今日は歌いたくない?」


 歌いたいか、歌いたくないかで言えば、『歌いたい』に決まっている。


「歌いたくないなら今日は止めてもいいけど」

「それは……ない、けど」

「だったら歌えばいいじゃん」

「…………」

「開き直ったモン勝ちじゃね?悪いことした訳じゃないんだろ?」


 何にも知らない癖に。

 誤解された時点でなのに。


 一瞬カッと頬が熱くなった──、が、珠璃も自分と同じ経験をしていることを思い出し、怒りはすぐに解けていく。


「珠璃ちゃん、私ね」

「いーよ、無理しなくても。下手に話さない方がいいこともあるし。ただ、まぁ……、あたしが言いたいのは」

「う、うん」

「あたしらと一緒にいれば絶対楽しいから。楽しく生きてりゃ余裕も生まれる。そしたらさ、今日みたいな奴らも上手くあしらえるようになるんじゃね?」


 にやりと不敵な笑みに根拠のない発言。

 だけど、晶羽にはとても頼もしく感じられた。


 懇切丁寧な語調ではなく、何のてらいもなく言われたからだろうか。

 すとん、と、あっさり腑に落ち、胸の奥深くまで言葉が沁み渡っていく。



「てことで、日向音含めて改めてよろしくー。で、次の曲何にする?あたしが作った生理の曲?」

「日向音くんが困りそうだからやめとく……、あ」


 タイミングよく扉が開き、日向音が戻ってきた。


「呼ぶよりけなせじゃん!」

「ブッブー、貶せじゃなくてそしれ、な。で、なに、俺が何に困るんだって?」

「次の曲、あたしの」

「わー?!いいからいいから、気にしないで?!困ることなんてなーんにもないよ?!なあんにも!ねっ、ねっ?!」


 二人の間に割って入り、珠璃の発言を打ち消そうと必死でごまかす。

 取り乱す晶羽の必死さに珠璃と日向音は手を叩いて笑い合った。

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