二章

第6話 揺れる

(1)


纐纈こうけつさんってさ、バンドとかやってた?」


 ドリンク注文しながら何気ない調子で纐纈晶羽に探りを入れてみる。


「んー?ちょっとだけ、やってみたことはある、かなぁ」


 タッチペン片手に注文用端末から目を離さず、纐纈晶羽は答える。

 ソフトドリンクの画面に触れるペン先を見つめ、珠璃は更に問う。


「ふーん、『ちょっと』の割には歌い慣れてる感じ」

「そうでもないよー?あれで精一杯」


 端末から晶羽の横顔へ、膝に頬杖つきつつ、そっと視線を移す。

 眼鏡の奥、黒より茶色味の強い目は奥二重瞼で少し眠たそうに見える。シールとか使って二重にすれば、子犬系のくりっとした目に変わりそう。鼻筋も適度に通っているし、唇も口角がきゅっと上がった、いわゆるアヒル口だ。

 顔の各パーツが適度に整っているからか、却って特徴のない、ごく平均的な顔立ちなのだが。


「うーん、なーんか、やっぱ見覚えあるわ」

「え、なに、なに?!」


 珠璃の不躾とも取れる視線、無意識に口をついたつぶやきに纐纈晶羽は大袈裟に反応を示してきた。

 顔を上げて振り返った動きの大きさ、勢い。先程も見せたひどく怯えた表情に珠璃は面食らうが、すぐになんでもない顔で冗談めかして笑って見せる。


「ごめーん。纐纈さんってカワイイ顔してるなーって、ついつい見入っちゃってた。あ、変な意味じゃなくて素直にそう思ったんだけどさ」


 殊更笑顔を浮かべ、言い訳してみたものの纐纈晶羽の強張った表情は変わらない。

 ついさっきまで纐纈晶羽はお茶系、珠璃は炭酸ジュース系と、互いの好みのドリンクについて語り、盛り上がっていたのに。

 新たに一曲やらないかと言いたいが、途中でドリンクを手に店員が入室してきたら、と思うと、言えない。不可抗力であっても、セッションを途中で中断すると興が醒める。ドリンクが運ばれるまで気まずい沈黙に耐えるしかない。


 なんか話さなきゃ、なぁ。

 珠璃は特段お喋り好きではない。かと言って纐纈晶羽は沈黙を共有できる相手でもない。


 ソファーの座面を忙しなく指先でトントン叩く。

 店員がやって来る気配はまだ感じられない。


「あ、あのさ!」


 今度は珠璃の方が、無理矢理脈絡のない話題を切り出す番だった。

 最もこれはその場しのぎではなく、珠璃のたしかな本心でもあった。


「纐纈さん……、晶羽さんさ!あたしと一緒に……、弾き語りユニットやらない?」








(2)


 カラオケボックスを出て珠璃と別れた後、晶羽は昼間バイトに向かった道を反対へ戻っていく。約十五分弱歩いたのち、地下鉄に乗り込む。


 地下鉄の他、J線、K鉄、M鉄とすべての市内電車路線を網羅したこの駅の地下鉄路線は二つある。

 その内の一つはどの日時であれ終日混み合う。週末の夜九時過ぎだと尚更、遊び帰りの若者の姿が多数占めている。押しつ押されつしながら、乗り込んだのと反対側の扉近くの吊革につかまる。次の駅で乗り換えなので降車しやすい位置に立ちたかったのだ。


 発車後五分程で電車は次の駅で停車し、晶羽は降車した。

 ホームから改札方面へ向かい、更に地下へと続くエスカレーターを下って乗り換え路線のホームへ。タイミングよく電車が停車する直前だったため、慌ててエスカレーターを駆け下りて飛び乗る。


 通勤通学の時間帯以外は人気の少ない路線、余裕で座席に座れる。

 晶羽が暮らすアパートの最寄り駅までは少し時間がかかる。手元の携帯端末からワイヤレスイヤホンを通して流れる音楽を聴きながら、珠璃の誘いについて思案に耽る。


 久しぶりのセッションは心の底から楽しめた。

 珠璃とは気が合いそうだし息の合ったユニットを組めそうだとも思う。けれど。わくわくする反面、不安の方がはるかに大きい。


 例えば珠璃は晶羽の正体がキラだとは気づいていない。

 実は、珠璃=Judyだと指摘したついでに自分も正体を打ち明けようかと迷っていた。が、結局打ち明けることはできなかった。

 今日初めて会ったばかり、しかもたった三時間共に過ごしただけの相手に簡単に打ち明けていいものか。晶羽が珠璃のファンとはいえ、そこまで信用できる相手なのかはまだ判別しきれない。


 ただ、今の時点ではっきり理解できるのは、彼女と一緒に音楽やれたら絶対楽しいに決まっている。その一点だけはまず間違いない。


「あ」


 イヤホン越しに鳴り続ける音楽さえ耳に入らず、悶々と思い悩む間にいつの間にか電車は晶羽が降車する駅に到着していた。気がついた時には駅名のアナウンスと共に扉が開いていて、慌てて席を立つ。


 改札を出たあと、パスケースを鞄にしまうついでに携帯端末の通知をチェックする。

 ひょっとしたら珠璃からRINEが入っているかもしれない。

 アパートに帰ってから確認、返信しても良かったが、彼女の些細な反応ですら晶羽は気になってしまう。


 晶羽は人付き合い自体があまり得意ではなく大勢でわいわいするより、ひとりでぼーっと音楽聴いたり、歌の練習する方が好きだった。人よりマイペース、時に空気を読めない発言をしがちで、昔から『ふしぎちゃん扱い』されることも多かった。

 学校で一緒に過ごす友人もいるにはいたが、広く浅くの付き合いでRINE交換もせず学校限定の付き合い。バンドデビューしてからは事務所に交遊関係を厳しく管理されていたので余計に友人など作りにくくなっていた。


 とにかく、家族や仕事関係以外でRINE交換したのが初めてだった。

 そんな自分に晶羽自身も戸惑いを覚えつつ、端末画面で光るRINE通知──、Judyさんイラストアイコンを緊張する指先でタップする。


 手足の生えた擬人化エレキギターの『お疲れ!』というスタンプ、次に『こんなに楽しかったのは久しぶり』という文章、『ありがとう!』と身体をくねらせ手を合わせる、さっきと同じ種類の擬人化ギターのスタンプが続く。

 シュールな絵柄にふっと笑みを誘われたものの、最後に『マジで一緒に組む話考えといてね!』とダメ押しの一文に『おやすみ』のスタンプはまともに目に入らなかった。


「え~……、どうしよう……」


 知らず口をついた大きな独り言。

 後ろから歩いてきたカップルが追い越しざま振り返ってきたが、更に深く逡巡する晶羽は気づきもしなかった。

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