第5話 ふしぎちゃん

 纐纈晶羽こうけつあきははソファーに座ったまま、緊張なのか遠慮なのか、控えめな声量で一曲目を歌い始めた。

 乗り気でセッションしたいと言ったし、珠璃の予想よりずっと歌が上手いけれど……、見た目通り歌い方自体はおとなしい。素人ならこんなものか。学校での合唱以外で楽器演奏に合わせて歌う機会なんて普通の生活では早々ないし。

 思いっきりギターをかき鳴らしたかったが、それだと彼女の声は負けてしまう。なので、珠璃も彼女に合わせ、普段より大人しめの音で演奏する。一曲目はミディアムテンポのバラード。静かに歌い演奏しても別におかしくはない。


「次、なにります?」

「えぇっと……」


 纐纈晶羽が二曲目に挙げたのは同じアーティストの別の代表曲。

 今度は疾走感溢れるロックナンバーだ。


 最後までこの曲歌い切れるんか?

 初対面なので喉元で飲み込んだが、纐纈晶羽の大人しげな歌い方含めて初挑戦との言葉に不安を禁じ得ない。人前でのライブや生配信で歌う訳じゃないので失敗しても何の問題もないが、失敗して落ち込まれでもしたら正直面倒臭い。


「あのー、立って歌ってもいいです?」

「どぞどぞ、お好きなように。立ってでも何なら寝転んで歌ってもかまわないすよ」


 寝転んではないかなぁ、と苦笑しつつ、纐纈晶羽はすっとソファから立ち上がった。

 背が高いのもあるけどこの人めちゃくちゃ姿勢いいな。座ったまま見上げたあと、イントロを弾き始める。


 一曲目と違い、二曲目を歌い始めた纐纈晶羽の様子が変わっていく。

 ロックナンバーが不似合いに感じる甘ったるい声質に鋭さが増す。控えめだった声量が嘘のように、広さ八帖の室内をいっぱいに満たし、珠璃のギターの音色と共に反響する。

 さっきまで縮こまっていたとは思えない、とびきり明るく元気な歌声に珠璃も演奏に身が入っていく。途中、何度かコード進行を一部変えてみたり、原曲ではシンプルなギターソロをちょっと難しくアレンジしたりと遊んでしまうくらいには楽しい。アドリブ入れても纐纈晶羽はたじろぎもせず、余裕で乗っかってきてくれる。歌っている時の姿勢、動きも、ただカラオケを歌いに来ただけの素人のものじゃない。


 この人歌い慣れてる。

 あと、声も歌い方も絶対どこかで聴いたことがある。


 アウトロを弾き終わり、静まり返った部屋。

 珠璃は再び記憶を呼び起こそうとしたけれど、「あの、次……も、エイプリルの曲が歌いたいです!ダメ?!」と、顔中に喜色と期待を浮かべる纐纈晶羽を見て断念した。


 まっ、いっか。


 この人がどうであれ、久しぶりに楽しい時間を過ごせている。

 自分自身で楽しい時間に水を差してどうするんだか。


「別にいっすよ。好きなんすね、エイプリル」

「うーん、実は聴く分にはまあふつー……なんだけどね。ほら、聴くのが好きな曲と歌うのが好きな曲が違うっていうの」

「なんかわかるかも」


 何度か大きく頷き、全力で同意。

 纐纈晶羽はふにゃっと安堵の微笑を見せる。


「んじゃ、次なに演ります?アップテンポな方が演ってて楽しいすよね?Boyfriend?She isn't?」

「Boyfriendかぁ……、キライじゃないけど歌詞が、ね?」

「たしかにあの歌詞はオメーだいぶ自信過剰じゃね?引くわぁ……ってなる」

「ま、まぁ、そこが日本人の歌詞にはなくて面白いと言えば面白いけど、けど……」

「じゃあ、She isn'tいきますか」


 イントロのコード何から始まるっけ、と、ネックを握り直した時、ふと部屋の前に人影が集まっていることに気づく。途端に纐纈晶羽は小さく悲鳴を上げ、扉から見て死角になりそうなソファーの端へ座り込んでしまった。

 尋常でなく怯え、顔を伏せてしまった彼女も心配だが人の部屋を覗き見る連中の方に珠璃は腹を立てた。相手が男なら電話で店員呼び出そうと思ったが、どうやら若い女の子数名みたいだ。


「覗き見すんのやめてくんない?」


 纐纈晶羽に配慮し、中が見えないようそっと少しだけ扉を開ける。

 見たことのある高校の制服、でも珠璃がかつて在籍していた学校ではないことにわずかにホッとしつつ、「なんか用すか」と続ける。


「ご、ごめんなさい……」

「ここの部屋の人、めちゃくちゃ歌うまいなぁ~って、びっくりしてつい聴き入ってたら……」


 女子高生たちは目配せしあい、珠璃を揃って見つめて言った。


「あの、VtuberのJudyさん、ですよねぇ?!」


 女子高生たちの眩しい程の憧憬の眼差しからさりげなく視線を逸らし、逡巡する。

 正直相手するのが面倒くさい。かと言って、適当にあしらってネットに悪口書き込まれるのはもっと困る。


「うん、そうだけど?」


 胸中の葛藤をごまかすように愛想笑いで応える。

 女子高生たちの眼差しが一層輝き、纏う空気も高揚していく。


「あ、あの!のぞき見してすみませんでしたっ!あのあのっ、のぞき見しといてずうずうしいんですけど……、握手してもらえませんか?!」

「あ──……、別にいいよ?」


 珠璃が右手を差し出すと、おそるおそると言った体で一人ずつ、そっと握り返してきた。


「ありがとうございますっっ。私たち、ずっと応援してますから!」

「こちらこそありがと。ほとぼり冷めたらその内再開するから」


 いつになるかはわかんないけどね。

 内心で付け加えながら、去っていく背中を見送り室内へ戻り、ソファーへと腰を下ろす。

 顔にはまだ不安と怯えを貼りつけつつも、纐纈晶羽はおずおずと端の席から珠璃の隣へ戻ってきた。


「すんませんね。ひとり置き去りにしちゃって。あたしさ、実は自分でオリジナル曲作って弾き語りしてるんだよね。でさ、顔出しはしてないんだけど……、You tubeで弾き語り動画も投稿してて」

「し、知ってる……。Judyさんでしょ?」


 今度は珠璃の方が警戒心を最大限に引き上げる番だった。

 ギターを抱えたまま晶羽から距離を取り、いつでも部屋から出て行けるよう腰を浮かせた。


「……あたしが誰なのか、最初から知ってて声掛けたってこと?」


 睨みを利かせると晶羽は怯えた顔で、「ご、ごめんなさい」と上ずった声で小さく呻く。


「でも、変な興味とか下心とかじゃないんです……!顔は……、たまたまSNSで知ってしまって」

「ああそう」

「私、Judyさんの動画がいつも楽しみだったんです。辛いこと続きでくじけそうでも珠璃さんの歌を聴くと元気になったんです。偶然とはいえ、まさか本人に会えるとは思ってなかったし、あと部屋入れなくて困ってたから……」

「わかった。わかったってば」


 父親の商売柄、子供の頃から色んな人間を見てきた。その観察眼をもってしても、泣きそうな顔で必死に弁明する纐纈晶羽は嘘をついているように見えない。

 彼女の言葉通り、本当に偶然に珠璃と出会い、本当に親切心で声を掛けたに違いない。珠璃は天井を仰ぐと再び彼女の隣に座り直す。


 深く考えることは苦手なのに。

 今日に限って何度も考えさせられることが続出する。


 髪のインナーカラーと同じ青い爪を噛みたたい。苛々すると爪を噛みたくなるので、珠璃にとってのネイルはファッションでもあり、悪癖防止でもあった。


「ところで……、ちょっと休憩しません?」

「は?」


 纐纈晶羽が不自然なまでの笑顔を向け、フードやドリンクの注文用タブレット端末を見せつけてくる。

 場の空気変えようと気を利かせたつもりだろうけども……、唐突すぎ。この人空気読むのちょっと下手かもしれない。呆れと戸惑いが苛立ちを上回る。感情の処理がすぐには間に合わず、珠璃は数秒言葉を失っていた──、が。


「うん、そうしよっ、かな!」


 あれこれ深く考えるのはやめた。

 退室まで一時間以上残っているし、今日は時間いっぱい使ってセッションする。

 もうそれでいいや。


「すみませんね。あたし、あの炎上から元々気が短いのに、更に疑り深くなっちゃっててさ」


 手渡された端末の注文画面に視線を落としながら、ぽつり、こぼす。


「たぶん纐纈さんは分かってくれてると思うけど。あれ、完全なるとばっちりだから。酒も煙草もやったことねーし」

「うん、わかってる。本当のこと伝えても正しく伝わらない、受け止めてもらえない悔しさとか、やるせなさとかも含めて全部」


 知った風な口を利く。

 一瞬反発しかけたが、纐纈晶羽のしんみりと諦めたような表情が真に迫っていたため、反発心は即座に霧消する。


 彼女はいったい何者なのだろう。

 纐纈晶羽に対して、珠璃の中で俄然強い興味が湧いていった。

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