第4話 しくじりが齎した出会い
負けん気の強さと要領の良ささえあれば、物事なんてどうにかなる。
昔から
勉強なら授業中の説明、板書から要点を掴めばいい。運動なら教師や級友の良い動きと悪い動きを両方よく観察すれば、最良の動きなんてわかってくる。周りより早くできてしまえば、あとは多少サボろうがお目溢ししてもらえる。
習い事も勉強や運動と変わらない。
子供の頃通っていたピアノ教室の方針は基礎練習に重点を置いていた。講師も厳しく、ミストーンや拍遅れなどしようものならきつく叱責される。
腹は立つし退屈だしで、珠璃はその教室を早く辞めたくて仕方なかった。が、レッスンについていけないから辞めるなんて子供心に癪だったし、辞めるならとっとと基礎を身に着け、『学ぶことがもうなくなったから』と言って辞めてやると決意を固めた。
一日でも早く辞めるために講師の説明は一言一句聴き洩らさず。講師の手本は目を皿にして観察し、学校の宿題そっちのけで猛練習に励んだ(宿題やらなくたって授業理解できてるし!)
音楽とピアノ演奏自体は好きだったので個人練習は全然苦にならなかったおかげか、小学校中学年に入る頃には基礎はすべて完了。念願通り教室は辞めてやったのだった。
その頃には珠璃はピアノではなく、バンドを始めた従兄弟の影響でギター演奏へと興味が移っていた。
始めは些細な好奇心だった。
しかし、従兄弟に『やめとけ、やめとけ。楽器は楽器でもピアノとギターは根本的に違うぞ』とからかわれ、持ち前の負けず嫌いが発動。
『絶対オメーより弾けるようになってやるし!覚えとけよっ』と啖呵を切り……、十八歳となった現在、弾き語り系You tuber・Judyとして名を馳せるまでになった。
ちなみにYou tuber始めたきっかけも従兄弟だ。
『どうせ学校中退して暇なんでしょ?曲でも作ってネットに上げてみたら?動画のイラストなら俺が描いてやってもいいし?』という彼の余計な一言がきっかけである。が、その一言のおかげで珠璃はオリジナルの曲作りに目覚めたのだった。
珠璃が曲作りにのめり込み、曲をYoutubeに上げる度に動画チャンネルの視聴再生数は増えていく。
たまに数字稼ぎで昔の有名バンドのカバーを投稿すれば更に視聴者が増える。
気楽に始めた筈が予想外の人気を得て少し天狗になっていたかもしれない。
そんな時だった。
『Judyってさ、去年の夏ごろまでS女付属高にいたってよ』
『ってことはまだ未成年?』
『夜十一時過ぎにライブバーで堂々と煙草吸って酒飲んでたらしい』
約二ヶ月前。
動画チャンネルのコメント欄に妙な書き込みをされた。
身元を言及され、さすがに肝が冷えたが、件のライブ
煙草と酒に関しては完全なるでっちあげ。珠璃の手元にたまたま誰かが使った灰皿やジョッキが置いてあったとか、そんなところだろう。
コメントの削除は却って怪しまれるので消さずに、喫煙と飲酒に関してだけ誤解だとちゃんと伝えておいた。
しかし、投稿者は納得するどころか行動をエスカレートさせていく。
『コレ例の飲酒証拠画像!リンク先クリックよろしく!』
『このライブバーの店長Judyの親父らしい』
『目の前で飲酒してる娘止めろよカス』
いや、
飲んでるの酒じゃなくてジンジャーエールだし。
ライブバーじゃなくてライブハウスだし。
つかオトン関係ないし。勝手に叩いてんじゃねーよ。
珠璃は良く言えば物怖じしない、悪く言えば生意気な性格だ。おまけに言葉遣いもめちゃくちゃ悪い。歯に衣着せぬ発言も多く、他人からの反感を買いやすいという強い自覚があった。だからこそネット上だけでも控えていたが──、謂れなき暴言の数々にどうしても我慢ならなかった。
特に、事が己だけでなく関係のない父親にまで及んでは黙っていられなかった。
今にして思えば、冷静に画像削除と謝罪を求める交渉をすれば良かった訳で。
間に入って交渉を手伝うと言ってくれた従兄弟の申し出も無視。激しい怒りに任せつい投稿主と喧嘩じみた応酬繰り広げた結果──、大勢の登録ユーザーにまで騒動が拡がり、チャンネルのコメント欄は大炎上。某SNSには珠璃の飲酒疑惑画像以外にも本名、出身中学高校、父の店と画像まで拡散され。その余波で父の店は一時休業にまで追い込まれた。そして、珠璃のチャンネルは今も
今回ばかりは要領の良さなど一ミリも使い物にならなかったし、負けん気の強さは仇にしかならなかった。
挫折なんてこれまでもこれからも自分には無縁。
他人から見れば挫折と思われる出来事(例えば高校中退とか。珠璃自身は挫折とすら思ってもいないけれど)も根性と要領でいくらでも乗り切れる。なんて、高を括っていた無知さ幼さ傲慢さよ。
特に男手一つで育ててくれた父の仕事に大きな影響及ぼしたことが珠璃を一番打ちのめした。
手伝いも兼ねて訪れていた父の店には炎上騒動以降、一度も顔を出せていない。炎上前は開店前の時間利用してギターの練習場所に使っていたのに。
炎上及びチャンネル閉鎖直後はさすがに落ち込んだし、ギターを握れなくなっていた。けれども、元来の切り替えの早さもあって音楽やギター自体を嫌いになることもなく。騒動から二週間もしないうちに父の店以外でギター練習を始めた。
カラオケボックスも練習場所の一つ──、という訳で、今日も今日とてカラオケボックスへ足を運び、現在見知らぬ女性と二人きりろいう状況に陥っている。
ヤニとアルコールの臭いが染みついた薄暗い部屋。
L字型ソファーで珠璃の斜め向かい、遠慮がちに座る地味な長身女性をしげしげと眺める。
彼女が咄嗟に相部屋を申し出てくれなければ、珠璃はすごすごとカラオケ店を退店せざるを得なかった。が、よくよく考えれば珠璃はギターの弾き語り練習がしたいし、彼女は普通にカラオケで歌いたいだろう。目的が全然違う者同士が同じ部屋にいる意味なんてないのでは。
「あの、私のことならおかまいなく……、ギターの練習してください」
どうぞどうぞ、と手振りで示されても困惑するしかない。
にしても、なんだろう。この
砂糖菓子みたいな甘くて高い声。口調次第では同性からぶりっ子扱いされそうだけど、この人の話し方は媚が一切含まれていない。むしろ妙に自信なさそうなのが少し気になる、かも。
「じゃあさ、あたしの練習とお姉さん……、えっと名前は」
女性は一瞬考える素振りを見せたがすぐに「
「こうけつ?変わった苗字」
「
「なに、本当のって」
珠璃が初めて表情を緩めると、纐纈晶羽も微笑みにも満たない、控えめな笑みを口元に浮かべる。
「あたしは遠藤珠璃。部屋入れたお礼に纐纈さんの好きな曲弾くからさ、あたしの伴奏で歌ってみる?」
と、提案してみたものの、急にセッションしようと言われても素人は戸惑うかも。
まぁ、断られたらまた考えればいいか。
「……どんな曲でも弾けるの?」
「ん?んー、たぶん。知らない曲でも動画一回見れば簡単な伴奏ならいけるんじゃない?」
あれ、乗り気っぽい。
おどおどした眼鏡っ子かと思いきや、意外。
「そう言うからにはなんか歌いたい曲あるんすね?」
纐纈晶羽は突き出した下唇に人差し指を当て、考え込む。
なんだろう、この仕草にも既視感。
「エイプリル・ラミーンの……」
「その曲なら弾ける!好きなんだよねー、つか、同世代で知ってる人初めて会った」
「わ、私も!私の生まれる前、二十五年以上前?に流行ったみたい」
「うちのオトンが言うには流行った当時、やたらこの曲カバーするバンド多かったらしいすよ」
趣味が合うのが嬉しくて余計なこと喋った。初対面早々家族の話とか普段はしないのに。
「早速やります?チューニングすぐ終わるんで」
愛機をギターケースから出しがてら、呼びかける。
纐纈晶羽は初めて嬉しそうな顔を見せ、大きく頷いた。
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