第3話 Judyさん

 先輩との非常に気まずい勤務を終え、上司には『いい加減独り立ちして欲しい』『みんな最低でも二、三か月で一人で仕事している』とこぼされ。岩のように固く、重くなった肩をごきごき回し、ぐったりと帰路を辿る。


 巨大スクリーンで耳にしたあの曲といい、仕事でのミスといい、今日はなんだかついてない。ついてないんだけども……、ミスは当然ながらあの歌を聴いて苦しくなるのだって元を正せば──、考えるのはよそう。小さく頭を振る。


 従業員通用口を出て携帯端末を弄る。画面に表示されたのは、黒髪に青いインナーカラーの女の子のイラスト風アイコン。お気に入りのYouTubeチャンネル『Judyさんの弾いて歌ってみた』だ。

 この弾き語り系女性Vtuber『Judy』のオリジナル曲動画の視聴が、今の晶羽の数少ない楽しみだった。


 晶羽好みの仇っぽいハスキーボイスになめらかな滑舌。歌詞が聞き取りやすく、晶羽と同世代(と思われる)にしては大人びた歌い方にひどく憧れている。

 マイナーやマイナーセブンス多用の暗めの曲調に明るい歌詞を、逆に明るい曲にはめちゃくちゃ暗い歌詞を。3コードの単調な曲に言葉遊びだらけの難解な歌詞、複雑怪奇な曲には歌詞というより簡単な言葉の繰り返しのみ……など、歌詞と曲調にいちいち落差をつける捻くれ……、もとい、自由具合も面白い。

 たまに歌われるカバー曲も懐かしい日本のロックや洋楽が中心で、晶羽の好みを的確に突いてくる。


 大好きだった音楽を嫌いになりかけていた。

 強い不信感からプロが作り上げる業界の音楽は特に受けつけなくなっていた。

 でも、あんなに好きだったものを嫌いになってしまうのは悲しくて。

 プロではなく地元のアマチュアバンドやYouTuberの動画を視聴しまくっていた時、Judyに巡り合えた。以来、彼女の音楽の虜になっていたのだが。


「今日も新着動画はなし、かぁ……」


 これで二ヶ月動画投稿はなし。実質チャンネルは停止中。

 Judyがチャンネル停止した理由は知っているし、期待はほとんどしてなかったけれど。それでも更に晶羽の落胆に拍車がかかる。


 帰路を辿る夕方の街は淡い茜に染まりつつあった。

 居酒屋やレストラン、バーやクラブなどの看板が通りに並び、和洋中様々な料理の匂いが空腹を誘う。呼び込みチラシを配る飲食店員の姿も散見する。


 食べ物の匂いに混じって有線がどこからか流れてくる。

 そう言えば、この界隈にカラオケボックスが一軒あったような。


 カラオケでもなんでもいい。心の靄を取り払うには歌うしかない。


 踵を返して狭い路地を抜ける。

 一本奥まった通りに入れば、会社帰りのOL、サラリーマン、特に制服姿の学生たちの姿がさっきの通りより多く見受けられる。ちょうど客が入れ替わる時間帯だったかも。


 静かに逸る心に従い、流れてくる有線を頼りに歩道を進む内にカラオケボックスが見えてくる。

 マイクを持って歌うのはいつ振りだろう。本当はずっと行きたかったのに、意気地がなくて地元に戻ってから一度も行けずじまいだった。


 せっかく来たのだから、めいっぱい楽しんで歌おう。


 両脇に店名の旗を掲げるカラオケボックスの自動扉を潜りかけ、直前で晶羽の足はぴた、と止まる。


 風に煽られる旗の動きで隠れていたのと、度の合わない眼鏡のせいでなかなか気づけないでいた。自動扉の右端にRainbow Plastic Planetsのミニポスターが貼られていたなんて。


 目を逸らしたいのに、怖いものでも見るようにポスターを顰め面でつい見入ってしまう。

 このポスターも現在の三人組。常に中央センターが定位置、ハイブリーチに虹を表す七色メッシュ、ロングウルフカットの自分が在籍する四人組時代の物でなくて本当によかった。よかったと安堵しつつ晶羽は自動扉の前から動けない。


「いらっしゃいませー」


 迷っている間にうっかりセンサーが反応してしまった。

 扉は無情にも開き、晶羽と同年代らしき男性店員が受付カウンターから呼びかけてきた。


「何名様ご利用でしょうか」

「えっと、一名で……」

「申し訳ありません。土曜日のこの時間帯夕方は団体様優先でして……」

「あっ、そうなんですね……、わかりました」


 久しぶりに思う存分大きな声で歌える、なんてワクワクしていただけに晶羽はひどく落胆した。

 落胆した分だけ一日の疲れが退勤直後よりもどっと押し寄せ、途端にアパートへすぐさま帰りたくなった。


 そそくさと小走りで自動扉へ戻り──、ちょうど中へ入ってきた客とぶつかり合ってしまった。


 早く外へ出たい一心だったのと、晶羽よりずっと小柄な女性(とはいえ、晶羽が女性にしては長身なだけで相手は標準の背丈だが)だったのとで、思ったよりぶつかった力は強かった。女性は弾みで閉まりかけの自動扉へよろめき、肩に担ぐギターケースを硝子に軽くぶつけていた。


「ご、ごめんなさい」


 だいじょうぶですか、と言いかけて口ごもる。

 やぶ睨みされて少し怖かったのもあるが、女性の顔に見覚えがあったからだ。

 怯んだ晶羽を無視、横を素通りして受付カウンターへ向かう後ろ姿を盗み見る。


 あの人はもしかして。


 愛くるしい小動物というより、ヤマネコやカラカルに似た野性味の強い鋭く大きな猫目。顔の半分はありそうな大きな口。斜めに流した前髪やもみあげ、後ろ髪の一部を鮮やかな青のインナーカラーに染めた黒髪ロングヘア。


 カーキ色の長袖パーカーに黒のカーゴパンツと地味な服装にも拘らず、女性の個性強めの派手な顔立ちや独特な雰囲気は一度見たら強烈な印象を他人に残す。晶羽の足は三度止まる。


 当の女性は晶羽の視線にかまうことなく受付の青年と話しだす。

 漏れ聴こえてくる話し声を聴けば聴くほど、確信は益々深まっていく。が、言えなかった謝罪以外の言葉はかけない方が賢明だろう。


 晶羽は彼女のチャンネルを視聴し、彼女の様々な情報を一方的に知っているが、現実ではお互いに面識なんてない。彼女はあくまでも一般人。顔出しせずに活動しているのがいい証拠である。

 なのに、晶羽は少女ことJudyの顔を見ただけで彼女だとわかってしまった。


 それというのも、二ヶ月ほど前にJudyのチャンネルのコメント欄が炎上、インターネット上で素顔や本名を晒されたのだ。晶羽も本当は知る気などなかったが、悪い習慣と化した自身のエゴサーチ中、たまたま某SNSに流れてきた顔写真を見てしまったから。


 まったく知らない相手が一方的に自分の情報を知っている。

 どれだけ怖ろしいことか、晶羽は身を持って経験している。

 だから、このまま黙って立ち去ろうと思ったのに。



「え、マジで?ヒトカラはダメ?!」

「申し訳ありません、只今……」



 そうだった。

 ファンであるJudyの存在に気を取られ、今この時間帯、この店での一人カラオケ利用はできないんだった。


「えー、マジかよー。しばらく待ってみてもダメ?」

「はい、申し訳ありませんが……」


 機械的な店員の対応にJudyは徐に指先でカウンターをこつこつ叩く。

 指先と同時に爪先でも床をこつこつと蹴っている。


 一人ってだけで満室でもないのに断られるのは気分良くないよね。

 そりゃあ一人客より団体客の方が断然に儲かるだろうけど、納得はしきれないよね。Judyが不貞腐れる理由は十二分に理解できる。



「あの、良ければでいいんだけど。一人がダメなら私と二人でとか、どうです?」


 Judyの射抜くような視線が店員から晶羽へとすばやく切り替わる。

 当然、いきなり出てきてなにこいつ、と不審も露わな顔をされた。


 見知らぬ人間に突然こんな申し出されても困るに決まってるのに。

 同性とはいえ、見知らぬ人間と密室で数時間二人きりなんてこのご時世で危機感の欠如も甚だしいのでは……、ああ、言うんじゃなかった。ただの不審者にしか見えないでしょうに。

 衝動的に申し出たはいいが後悔がじわじわ押し寄せてくる。



「……おねーさん。お言葉に甘えてもいっすか?」


 晶羽が申し出の取り下げを口にしかける寸前、迷いと警戒心は残しつつ、なんとJudyは受け入れてくれたのだった。

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