第2話
彼女はそれから、ほとんど毎日俺の家にやって来た。朝の11時くらいにチャイムが鳴って、俺は大抵その音で起きる。あくびをしながら扉を開ければ、ハルは少し大きめのトートバックを肩にかけて立っている。
小さなピンク頭を家に招き入れて、自分の朝食兼昼食用の食パンを焼く。そのついでに彼女に牛乳やら麦茶やら、その時々家にあるものを出してやると、小さな声でありがとうございます、と言ってぺこりと頭を下げた。
ハルは俺の家に毎日来て何をしているかと言うと、たいてい宿題をしていた。一応俺らは付き合っているんじゃなかったっけと首をかしげるけれど、俺も彼女に何かするつもりもないので、いっそありがたかった。
「真面目だよな、ハルは」
ベランダで煙草を吸いながら、目の前の数学の宿題に向かっているハルに声をかけると、彼女はちらりと俺を横目で見てから、シャーペンを持ち直した。
「そんなこと、ないです」
「ま、真面目な子が俺のことストーカーせんか」
冗談交じりに言ったのに、彼女はぎゅっと唇を噛んだ。そういうところが真面目だと言っているのに、どうやら伝わっていないらしい。さすがに女子高生にそんな表情をさせてしまったことに罪悪感が募る。けれど、フォローの仕方もうまくわからなくて彼女に背を向けた。
たばこを深く吸って、肺中に煙を満たす。大きく息を吐いて、ため息をごまかした。彼女は特に俺の煙草をとがめない。好きにしてください、と言われたけれど、さすがに部屋の中で吸うと煙たそうにするので、ベランダに吸うことにしている。ハルはその度に申し訳なさそうな顔をした。
「ハル」
煙草を消して部屋の中に戻る。顔を上げた彼女は俺の顔が思ったより近くにあったことに驚いて、ぐらりと体勢を崩した。慌てて彼女の体を支えようとしたけれど、間に合わなくて、俺がハルを押し倒したような形になる。
「あ、ごめ……」
視線の下の彼女は、困ったような顔で俺の方を見上げていた。別にこのまま何かしてしまってもいいのか、付き合ってるんだし、なんて考える。でも、手を顔の方に寄せるとハルがやけに怯えて肩を震わせるから、それ以上何もできなかった。
ハルは何も言わなかった。だから、俺も何も言わなかった。
彼女は多分、俺と一定以上の接触を求めていない。どうしてかわからないけれど、あんなふうにストーカーしてまで付き合いたかった相手と一緒にいるというのに、ハルの表情が明るいときの方が少なかった。
ハルから離れ、彼女の向かい側に座る。ハルは俯いて、手に持ったシャーペンをぎゅっと握りしめていた。
「なあ、お前本当に俺のこと好きなの」
思わずそんな言葉が口をつく。けれどそう問いかけてから、めんどくさい女みたいな質問をしたな、と後悔をした。
「好きですよ、ほんとに」
ハルはそう答えたけれど、俺と目を合わそうともしないし、その表情と言葉は一致しない。口元だけ笑っていて、目の奥には何か暗いものが居座っている。
好きな相手に、好きと伝えるような顔じゃなかった。けれど、彼女がそれ以上の追及を避けるように宿題へ向かうフリをするから、何も言えなくなってしまった。
ふうん、とつぶやいて、またベランダに出る。もう暗くなっていて、少し肌寒い。後ろから、
「今日は帰ります」
という声が聞こえてきて、背を向けたまま、おう、と返事をする。バタンと扉の閉まる音がやけに響いた。
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