大きな空っぽのハート

阿良々木与太

第1話

「なあ、真面目に聞いてくれって」



「聞いてるだろ」



 そう言う友人の意識は目の前のでかいキャンバスに向かっていて、こちらの話を聞いている様子はなさそうだ。耳から垂れたシルバーのピアスを揺らしながら、尖らせた鉛筆でアタリをとっている。



「えー、なんだっけ、高校生を追っかけてるって?」



「やっぱ聞いてねえじゃねえか、逆だよ女子高生に付きまとわれてんの!」



 俺がそんな風に叫ぶと、翔太はわざとらしく驚いたように目を見開いて、けらけらと笑った。



「お前みてえなやべえ男をどこの女子高生が追っかけるんだよバカ」



 大げさなリアクションに勢いがついてそのまま腹を抱えだした翔太に腹が立って、彼の座っていた木製の椅子をガッと怒りのまま蹴る。



「誰がやべえやつだよ」



「青髪、ピアス両耳四つずつの芸大生。……あれ、右増えてね?」



 翔太が容赦なく俺の耳を引っ張ってまじまじと見つめるから、やめろ、と言って手を払った。彼はへらへらと笑いながら、いてえ、と手をぶらつかせる。


 確かに、自分の見た目は平穏なものとは言えないだろう。だからこそ、謎なのだ。なぜ俺が女子高生にストーカーをされているのか。しかも、あのバレバレな尾行をちらりと視界の端に捉えた感じ、黒髪にメガネの、随分真面目そうな子だった。



「ふうん、ま、手出すなよ」



 出さねえよ、と言うと、翔太は笑って、散々見つめ合っていたキャンバスの前から立ち上がり、荷物を持って教室の扉の方へ向かった。



「帰んの?」



「おー、今日から夏休みだし、まぁどうせ来るけど、今日くらい帰るわ」



 わかった、とお互いに手を挙げて、俺も帰るか、荷物を持って立ち上がる。教室の扉を開けるとむっとした熱気が押し寄せて、思わず顔をしかめた。


 廊下にはもう人がいない。試験最終日ということもあり、みんなさっさと帰ったのだろう。構内をなるべく日差しを避けて歩く。


 大学から下宿しているアパートまでは、歩いて10分くらいという学生にはありがたい近さだ。それでもこの暑さの中では10分歩くだけでも体が溶けてしまいそうで、嫌になる。


 いつも通りの帰り道を歩いていると、これまた最近はいつも通りになった視線を感じた。なんとなくわかってしまうのだ、電信柱の後ろから、彼女が覗いている。


 今のところこんな風に帰り道にひたすら後をつけられること以外は特に被害は出ていない。いや、そんなことを考えている時点で少し感覚が麻痺し始めているのかもしれない。


 いっそ振り向いて何の用だと怒鳴ってやりたいけど、それで逆に怖がらせて警察でも呼ばれてしまえば終わりだと、自分を言い聞かせる。


 後ろから早歩きの足音が聞こえてくる。隠すつもりがないのかと思うほど、この子はストーカーが下手くそだ。やるならもうちょっとうまく隠してほしかった。じゃなきゃこんなに悩むことだってなかっただろう。


 そんなイライラが重なって、もう振り向いてやろうと思ったとき、後ろから、



「あの!」



 とかわいらしい声がかけられた。


 振り向いたときの俺は、随分間抜けな顔をしていたと思う。そこに立っていたのは、ショートヘアで、メガネの、見覚えのある女の子だった。1つ違うのは、明らかに自分で染めたのがわかるムラだらけのピンク色の髪。



「……何?」



 あっけにとられて返事が遅れる。俺のどすのきいた声に驚いてか、彼女はびくりと肩を揺らした。



「あの、はじめまして、私、九重ハルと言います。その、私と付き合ってくれませんか」



「は?」



 何の冗談かと耳を疑った。ただ彼女の目はまっすぐこちらを見つめていて、ふざけているようには見えない。


 いや、しかし彼女が真剣だったとして、そもそもこの状況がおかしい。俺はどうして、ストーカーされていた少女に告白をされているのか。一歩間違えれば、やはり警察にお世話になりそうな案件だ。



「いや、ごめん、よくわからないんだけど……ていうか君、あれでしょ、俺をストーカーしてた子でしょ」



 彼女は今までばれていないとでも思ったのか、俺がそんな風に指摘をすると、顔をカッと赤くさせた。目線を右往左往させて、明らかな挙動不審になった彼女は、犯罪が見つかったときの犯人そのものだ。いや、実際その通りなのだが。



「……私、付き合ってもらえるまでここを動きませんから!」



 ぐるぐると頭の中で何か考えていたらしい彼女は、やがて吹っ切れたようにそう叫んだ。俺はというと、外は暑いし、試験終わりで早く帰りたいしで、このストーカーに構うのが嫌になってきている。



「おう、わかった、好きにしてくれ」



 そう冷たく返して、彼女に背を向けた。何か言いたげな雰囲気を背後から感じたけれど、無視して家の方へと歩く。数歩進んで、ちらりと後ろの方へ目を向けると、彼女が本当にその場にしゃがみこんでいるのが見えた。


 明らかにおかしくて悪いのは彼女の方なのに、どうして俺の心に罪悪感が芽生え始めているんだろう。なんだかみじめったらしいその姿が、俺の歩みを止めさせた。


 自分でもばかばかしいと思う。それでも気が付けば、くるりと今来た道を引き返していた。



「そんなに俺と付き合いてえの」



 上から覗き込むように声かけると、彼女がふっと視線を上げる。その目は暗く、底のない闇のようで俺は一瞬どきりとした。彼女は小さく頷いて、膝をぎゅっと抱いている。その姿は小動物を連想させた。


 ストーカーをするほどの彼女の感情を理解することはできないけれど、俺の抱いたこれはある種の情だ。彼女のが愛情なら、俺のは同情。



「じゃあ俺んち来れば」



 翔太のにたり顔と、手出すなよという言葉が頭よぎる。いや、ない。それはない。かわいそうな女子高生を炎天下の中放り出すのが申し訳ないだけだ。




「まあ、適当に上がって」



 もう少し警戒すればいいものを、彼女は二つ返事で俺の家までついてきた。ストーカーが板についているのか、ずっと俺の後ろを歩くから、横に並んでくれと頼めば、最初こそ横を歩いていたが、段々斜め後ろに下がっていった。



 はたから見れば奇妙な2人だっただろう。自分からしても奇妙な状況だ。途中誰かに通報されるのではないかと、内心びくびくしていた。


 ひとり暮らしの狭い部屋は、女の子を呼ぶのにふさわしくないほど散らかっていた。床に放りだされた、まだ洗濯の終わってない服たちを拾い上げながら廊下を歩く。


 彼女は何を思っているのかわからないような目をして、所在なさげに玄関に突っ立っていた。こっちおいで、と言うように手招きをすれば、おずおずと部屋の方へ入ってくる。


 畳の部屋と、ベランダに続く大きな窓。真ん中には部屋の3分の1を占める丸いテーブルが1つ、それから部屋の隅に小さな本棚。家具としてはそれくらいしかないはずなのに、周りには服やら教科書やら飲みさしのペットボトルやらが散らばっていて、部屋が狭く見える。


「ハルちゃんだっけ、誘った俺が言うのもなんだけど、簡単についてきちゃってよかったの」



 俺がそういうと、彼女は一瞬暗い目をしてから、首を傾げた。



「どういう、ことですか」



 彼女はきっとわかっている。それなのに、俺のこの行動の真意を確かめるために、そうやってわざわざ遠回しにたずねてきている。


 俺は小さく首を振って、何でもないとつぶやいた。ハルはストーカーまでしていた男の家に来ているとは思えないほど悲し気な表情をしている。



「がっかりした?」



 そう問いかけると、彼女は今度こそわからない、という風に首をかしげた。



「好きな男の正体がこんなやつで」



 少し、意地が悪かったかもしれない。ハルはちょっとだけ考えるように、小さく、んー、とうなってから、口を開く。



「まだ、あなたのこと、がっかりするほど知りません」



 そんな彼女の回答に、今度は俺が驚く番だった。これだけで、十分がっかりする要素はあっただろう。俺のどこに惹かれたかは知らないけどストーカーをして、夢を抱いていたはずなのに、いきなり家に呼ばれるわ、その家は汚いわで、むしろ落胆しない方が難しいと言える。


 いや、もしかしたらその逆なのかもしれない。ストーカーしているからこそ、俺の悪い部分をもう知っているから、この程度でがっかりしないのだろうか。



「そういえば、まだあなたの名前知らないです」



 ハルが思い出したようにそう言った。俺も、彼女なら知っているだろうと思っていたことに気が付いた。



「ヨウ。一之瀬ヨウ」



 これが、俺の大学二年生の夏休み、最初の出来事だった。

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