第14話 練習の成果

「えー、朝礼を始めます。本日の日直、挨拶お願いします」

昨日までアヤ先生が司会を務めていたが、今日は山田先生が司会を務めるという予想外の出来事によって教室内は、一瞬で気まずく重たい空気が伝染した。

「起立」「気を付け」「礼」

日直が厳格な軍隊式の挨拶を行っていた。その様子を見て、いつもの教室に戻ったのだと少し懐かしく感じた。

「えー、本日はね、1限目がロングホームルームなので朝礼とセットで行いたいと思います。えー、先生はね、こうゆう決めごとはパパッと決めたいタイプなのでね、早速本題に入ります」

水曜日に体育祭の打ち合わせがあるとは聞いてはいたが、まさか1限目にあるとは思っても見なかった。予定表を確認しなかった自分の落ち度だ。

「えー、プリントは昨日全員もらっているので早速、体育祭の出場種目を決めていきます。えー、アヤ先生は書記として担当お願いします」

「は、はいッぃ。分かりましたっ・・・」

「えー、まず団体戦の綱引き。相田、一ノ瀬、上杉、岡本_」

次々と名前を呼ばれる中、アヤ先生はメモ帳を見ながら必死に黒板に書き込んでいた。昨日は問題なくスピーチができていたが、アヤ先生の右腕が震えているのが見えた。ネットの記事通り、やはり上がり症とは根気強く克服しなければならないようだ。

「_えー、以上が体育祭の全種目と出演メンバーです。名前が無かったり、被ったりしている生徒はいませんか?後、不満があるなら今のうちに言えばまだ修正もできるぞ。」

名前を改めて確認しても問題点は無く、不満を口にする生徒は誰もいなかった。

「えー、ではこれで正式決定します。みんな、拍手!」

山田先生に促されると、大きな拍手が教室中に響き渡った。

他のクラスだと必ず何か揉め事があるはずだが、山田先生の的確な指示で、面倒くさい体育祭の決め事がスムーズに決まった。

「えー、では、体育祭の件はこれでおしまいにして、今日はアヤ先生のことでみんなに相談があるんだ」

まさかアヤ先生のことが話題に出るなんて思いもよらなかった。彼女の方に目をやると、俯いたままメモ帳に書き込まれた内容をじっくり読み込んでいた。恐らく最初から、この状況を知らされていたのだろう。

「えー、早いものでアヤ先生が来てから3日目になります。えー、そこでアヤ先生が早くクラスに馴染めるように自己紹介の機会を残った時間で設けたいのだがどうだろうか?」

「賛成、さんせ~い。私もアヤ先生のこと、もっと知りたいです!!」

あかりが元気良く答えると、他の生徒たちも賛同するように頷いた。あかりは普段とは違う非日常的なイベントがあることに興奮し、水を得た魚のように活気にあふれていた。

「えー、ではアヤ先生、自己紹介の方お願いします」

「えっと・・・あの・・・そのっ・・・」

アヤ先生は今にも泣きそうな表現と荒い呼吸を繰り返していた。明らかにいつものアヤ先生とは少し違っていた。

「昨日みんなで練習したのに・・・昨日は上手くいったのに・・・とにかく何か話さないとっ・・・」

聞こえてくる言葉はどれも不安と焦りに満ちていた。昨日の練習の成功体験が逆にアヤ先生に強いプレッシャーを与えるきっかけになってしまったのだろう。心の中で必死に、もがき苦しんでいることが痛いほど伝わった。

「アヤ先生大丈夫ですか?まずは落ち着いて深呼吸しましょう!!」

そんな彼女の衰弱した姿を見逃すことはできず、つい声を荒げてしまった。アヤ先生は驚いた様子でこちらを見つめて固まっていた。

「急に大きな声を出してしまってすみませんでした。でもアヤ先生、自分を責める必要はありませんよ。何があっても自分たちが全力でサポートするので安心してください」

「そうですよ、アヤ先生。まずは落ち着いて深呼吸しましょう。ヒ、ヒ、フーですよ」

「おい、一ノ瀬!今のご時世、コンプライアンス的に突っ込みにくいボケをかますな!」

山田先生の口からは似合わない言葉を発したので、教室中は爆笑の渦が巻き起こった。それに釣られてアヤ先生も思わず笑っていた。

「山田先生、コンプライアンスなんて言葉、知ってて使っているんですか?」

あかりが意地悪そうに質問した。

「教師を長年やってると、時代に合わせた無茶な対応を色々させられるんだよ」

山田先生は笑いながらそう答えていたが、サラリーマンのぼやきのような哀愁を感じさせる回答だった。教師の仕事もなかなか大変なのかも知れない。そんな一連のやり取りで教室の空気は和やかになり、アヤ先生も深く深呼吸をして少しずつ落ち着きを取り戻していた。もちろんラマーズ法の呼吸ではないが。

「はぁ、はぁ、皆さん、私の事を心配して頂いて、ありがとうございました。もう大丈夫です」

先程のアヤ先生とは打って変わって、いつもの優しい表情に戻っていた。黒板に自己紹介を書き始め、右手も震えも収まっていた。これならきっと大丈夫。上手く自己紹介ができることを祈りながらアヤ先生の話に耳を傾けた。

「み、皆さん。改めておはようございます。私は月城彩と申します。私は普段は生駒大学の教育学部に通っています。今は、教育実習生として、こちらの高校にお世話になっております。担当教科は数学です。何か分からない問題や困った事があればいつでも相談に乗ります。あの、その、私は人前で話すことが苦手で、頭が真っ白になって上手く話せないことに悩んでいます。でも、それでも、私は人とお話することが好きなんです。ですので、もし、よかったら皆さん、気軽に話しかけてもらえると嬉しいです。えっと、最近の私の趣味はお菓子作りをする事です。snsでお菓子のレシピを調べて作ったりしています。ヨーグルトとクリームチーズを混ぜて作るレアチーズケーキや電子レンジで作れるプリンが最近のおすすめです。簡単なので皆さんも是非作ってみて下さい。後、100円ショップでお菓子作りの道具やお皿、可愛いクッキーの型を見つけてしまうと、つい買ってしまいます。手間暇を掛けて作るお菓子は単に美味しいだけでなく、お菓子を作っている時間も楽しいです。大切な人の為に真心を込めて作ったお菓子を、誕生日や記念日にプレゼントするのも素敵なことだと思います。その想い出は私たちの心にずっと残る貴重な宝物になるでしょう。以上です。ご清聴ありがとうございました」 

こうして無事に自己紹介が終わると、クラス全員からの惜しみない拍手が大雨のように降り注ぎ、彼女を祝福した。昨日のスピーチを聞いていた自分は、柳原先生に指摘された箇所が修正されてたことに気が付いた。彼女が目の前の課題に一生懸命に取り組む姿勢には素直に尊敬の念を抱いた。

「よかった・・・。本当に・・・よかった・・・」

緊張の糸がほどけたのだろう。アヤ先生はその場でしゃがみ込んで安堵のため息を吐いた。

「本当によくやったよ、アヤ先生!」

「私にもお菓子の作り方、教えてください。」

「最後の言葉、すごく素晴らしかったです。感動しました。」

周りからの声援に励まされ、彼女は徐々に元気を取り戻し、再び立ち上がった。

「えー、アヤ先生、自己紹介ありがとうございました。今回の経験を活かして、教員として更なるスキルアップを期待しています。えー、まだ時間があるので、アヤ先生に質問がある人はいるか?」

「はい、は〜い。ツッキー先生に質問があります。ツッキー先生は愛している大切な人にお菓子を渡したりしないんですか?」

「その、気になる人が居ないこともないと言えば嘘になると言いますか・・・私が一方的に片想いしているだけだと言いますか、その・・・中々踏ん切りが付かなくて・・・」

「ツッキー先生ならきっと大丈夫ですよ。女は度胸、当たって砕けろです!!」

「あの・・・出来れば砕けたくないんですけど・・・」

大盛り上がりの1時限目はあっという間に過ぎ去り、チャイムが鳴ってもまだまだ話足りない雰囲気が教室中に漂っていた。山田先生の喝が入ると、生徒たちはようやく次の授業の準備に取り掛かっていた。2限目の体育の授業は体育館で行われるので、急いで更衣室で着替えの準備をしなければならない。それにしても彼女が心惹かれる人物とは果たして誰なのだろうか。自分はアヤ先生の方に目線を移してもその答えが出てくることはなく、教室を後にした。

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