第5話 6月2日

スマホのアラーム音より早く目を覚まし、布団から体を起こす。いつもなら2度寝の誘惑に負けそうになるが、今回は違う。胸の中の期待が膨らみ、ワクワク感が広がっていた。なにせ10年ぶりに初恋の彼女と再会し、同じクラスで過ごせるからだ。カーテンを開けて窓を換気する。朝陽が差し込み始め、爽やかな空気が流れて心地よい静かな朝が広がっていた。いつもより少し早い朝の時間帯。通学の準備を余裕を持ってこなし、足取りは軽く学校へと向かった。もう1度初恋を始めよう。過去の出来事は変えられないが、今から始める初恋はきっと未来を変えられる。成長した自分ならもっと彼女との関係性をより良く構築できるだろう。そんな考えを整理していると遠くの方から猛ダッシュの足音が大きく聞こえた。

「お〜いシュウ、はぁっやっと追いついた、今日は珍しく早いね、はぁっ、どうしたの」

あかりは息を切らしながら挨拶を交わした。ペットボトルからお茶を一気に喉に流し込むと、少し休息の後こう続けた。

「昨日、私を置いて帰ったでしょ!あの後、大変だったんだよ!間違った問題をやり直しさせられたんだよ!もう最悪!!」

「随分と朝からご機嫌斜めだな、あかり」

「小学校からの親友を見捨てて帰るなんてサイテー。シュウには人の心はないの?」

「もしも立場が逆だったらあかりは残ってくれるのかよ」

「もちろん帰るけど、ってそうじゃないの。私は、シュウの人間としての道徳を問い詰めているの!」

「そいつは随分とご立派な教えですね」

何とも自分勝手で図々しい教えであるが、本音を言って機嫌を損ねられても面倒くさい。一ノ瀬あかりはそういう人間なのだ。何か違う話題で気分を和らげようと話題を考えていると、意外な人物が会話の中心になった。

「それに比べて月城先生って本当に優しいよね。私の課題も最後まで手伝ってもらったし、シュウとは大違いだね」

「アヤね、アヤ先生と一緒だったのか?」

「そうなの。私が放課後、一生懸命に問題を解いている時に仲良くなったの。しかも最後には時間が遅いからって答えをこっそり教えてくれたの。」

「それってただ匙を投げただけじゃ_」

「それだけじゃなくてほら、ホームルームで不審者が出るって情報があったでしょ。そこで、か弱い私を1人にするのはいけないって話になって。そこで月城先生が名乗りを挙げて一緒に家まで帰って来れたの」

「先生方も大変だな。要するに面倒事を自由が効く教育実習生に任せたって所か」

「そんな言い方ないでしょ。それより帰り道には色々な話をしたよ。月城先生は言いにくいからツッキー先生ってあだ名を付けたり、休日にはカフェ巡りに行ったり、クッキーを手作りしたりするんだって。女子力高いよね」

「そうなんだ、それは知らなかったな」

10年も経てば、アヤねぇの内にも新たな一面が開花しても不思議ではない。それにしても、たった一日で二人が仲良くなっている事実に驚きを隠せない。自分から話しかけるのも躊躇してしまうような臆病者にとって、その勇気はとても真似できない。

「それよりもシュウとツッキー先生ってどういう関係?小さい頃を知ってるって、先生言っていたよ」

「もう10年も前の話だ。たまたま家が隣同士ってだけで別に深い関係はないよ」

「またまた御冗談を。ツッキー先生のこと絶対気になってるでしょ。隠しているつもりかも知れないけど顔に書いてあるよ。青春だね!」

一番知られたくない弱みをあかりに知られてしまった。しかしここは冷静に対処しなくてはならない。

「アヤ先生は他に何か言ってなかったか?」

「シュウのことはそんなに喋ってないよ。でも、まだ彼氏は居ないんだって。あんなにかわいいのに勿体ないよね」

「そうなのか・・・」

「ワンチャン脈ありかもだから頑張って見てもいいんじゃない?まぁ奥手なシュウじゃ、ちょっと厳しいかもね」

「言わせておけばいい気になりやがって・・・」

あかりはすっかり機嫌を良くして人のことをからかい楽しんでいた。小悪魔的な笑顔の影響なのか自分自身も気分が明るくなった。学校に近づくにつれ、生徒の数も多くなり賑やかな雰囲気が漂っていた。桜並木の緑がそよ風で揺れて、小鳥のさえずりが聞こえてきた。アヤ先生と過ごせる2週間を大切にしたいと心に決めて、今日1日の学校生活が始まろうとしていた。


 普段の朝礼と違い、アヤ先生が教室へ入ると興味津々の生徒たちの目線が一気に注がれた。

「み、皆さん、おはようございます。本日はお日柄も良く、じゃなくて本日の朝礼を始めます。連絡事項ですけど体育祭の日程が来週の金曜日、10日に決まりました。その、雨天は中止となりまた後日、代替日また連絡します。あし、明日のロングホームルームで詳しい内容を話します。私は以上です」

本人は朝礼の司会を務めようと努力しているのだろうが、慣れるにはまだ時間が掛かりそうだ。しかし一生懸命な彼女の姿は逆に初々しく、自然と守ってあげたいと思ってしまう。

「えー、月城先生、落ち着いて話せば大丈夫ですよ。つまり体育祭があるのでね、それまでに準備をしましょうって事です。えー後、昨日の英語の提出物は無事、全員提出しました。今度からはもう少し余裕を持って行動できるように。分かったか、一ノ瀬!」

昨日の大騒動は流石に山田先生の耳にも入って当然だろう。

「わ、分かりました・・・」

名前を指名されてあかりは意気消沈してしまった。正に因果応報とはこの事だろう。朝礼が終わると同時に駆け寄って来て愚痴をこぼし始めた。

「なんで今日に限って名指しで言われなきゃいけないの?」

「昨日のあれだけ大騒ぎしておいて、怒られなかっただけましじゃないか」

「ちゃんと提出期限は守っていたでしょ。全問正解するまで居残りする話の方がおかしいでしょ」

「考え方は教えたんだが、やっぱり時間が足りなかったか」

二人のやり取りを見ていた響也が口を挟んだ。

「はぁっ、なんだか憂鬱だなぁ。せっかく頑張って問題を解いたのに。人生って、どうして思い通りにならないんだろう」

「あかりが落ち込んでいるとなんだか調子が狂うな」

「心配ないですよ。月城さんは頑張って課題を解いたのだから落ち込むことはないよ」

アヤ先生が落ち込んでいるあかりの事を気にかけ、優しい言葉で慰めた。

「ツッキー先生、でも私は・・・」

「そうだ、今度一緒にパフェでも食べに行きませんか?きっといい気分転換になると思いますよ」

「行く行く。ありがとうツッキー先生。楽しみにしていますね!」

パフェに釣られて一瞬のうちに機嫌を直した。ある意味、あかりの単純明快な考えの方が幸せな人生を歩めるのかもしれない。

「あの2人はいつの間にあんなに仲良くなったんだ?」

響也が疑問に思うのも無理はない。

「昨日の居残りで一緒に課題を解いたらしい」

「なるほど、そこで意気投合したのか」

「ごめんなさい。私、他のクラスの授業へ行かないと。またね、みんな」

アヤ先生は1限目の準備をするために急いで職員室へ戻っていった。

「教育実習って大変なんだな。アヤ先生は大丈夫なのか?」

「授業の準備だけじゃない、担当教員の指導、指導案の作成、生徒とコミュニケーションの取り方まで、俺たちの想像以上に多忙らしい」

「ツッキー先生なら優しいし、真面目だから大丈夫だよ。この私が保証する」

「その根拠のない自信はどこから来るんだ?」

わずかな休息の時間は、あっという間に過ぎ去り、授業の鐘が鳴り響いた。

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