第3話 再会

 月城先生は教科担当の先生に付き添い、他のクラスを転々として、バタバタと忙しそうだった。自分とは特に接点もなく、4限目の数学の時間にようやく一緒の授業になった。自分は窓際の後ろの席からこっそりと彼女を覗き見ると、授業風景を真剣にメモに書き込んでいた。真面目に物事に取り組む姿勢は上品で美しく見えた。

「では今日のプリントを配ります。月城先生、お願いしてもいいですか」

「わ、分かりましたっ・・・」

 まだ緊張しているのか、その手つきはたどたどしく、律儀に一人一人、プリントを配り歩いていた。まだまだ教師としての経験が浅く、授業に慣れていない様子が見受けられた。そしてのそのそとした動きで自分の席へとやってきた。

「ど、どうぞ・・・」

「どうも・・・」

 プリントを受け取って、軽く会釈した。再会した彼女との最初の会話は事務的なやり取りで終わってしまった。

「月城先生、一番前の人にプリントを渡して配ってもらったらどうですか」

 ぎこちない動きに痺れを切らして、先生が助け舟を出した。

「そ、それもそうですね。ここの列は7人だから、1枚、2枚、っと・・・」

 悪戦苦闘しながらもクラス全体にプリントが行き渡る。先程は気が付かなかったがプリントの裏には小さな付箋が貼り付けられていた。その付箋には彼女の手書きのメッセージが添えられていた。

「もしよければ、少しお話しませんか。昼休み体育館の裏手で待っています。」

 文字の一つ一つに彼女の温かい気持ちが丁寧に込められている様に感じられた。思わず背後を振り返ると彼女は穏やかな表情でこちらに微笑んでいた。自分は早々にお辞儀を返して黒板の方に意識を向けた。さっきまでうだうだと悩んでいたことはどうやら取り越し苦労だったらしい。胸に溜まっていた重たい感情は消え去り、心が軽くなっていく。彼女とどんなことを話そうか?小さな付箋を筆箱の中にしまいながら考えた。そして何度も何度も、時計を確認しては時が過ぎることを待ち望んだ。


 勉強という拘束から解放され、待ちに待った昼休みの時間がやってきた。教室から自由に行き来する生徒や、友達同士の会話で校内はにぎやかな雰囲気に包まれた。空腹感に耐えかねた響也が食事に誘ってきた。

「柊、めしに行こうぜ。今日は購買どうする?」

「今日は先客があるんだ。ごめんな」

「釣れない奴だな。あかりと一緒にランチでも行くのか?」

「そういう訳じゃないけど、今日は1人にしてもらえないか?」

「柊がそこまで言うなんて珍しいな。分かったよ、俺は適当に友達と連んでるから行ってこい」

 響也に送り出され教室を後にする。ふと周りを見渡すがもう彼女の姿はどこにも見当たらなかった。すでに体育館に向かって行ったのであろうか?自分も一刻も早く体育館まで行きたいが、まずは購買で昼ごはんを買う必要がある。500円玉を握りしめ、購買へ向かうとすでに行列が出来始めていた。サンドイッチとメロンパンを買えれば、ちょうど良くお腹も満たされ、おまけにお釣りも受け取る時間も省ける一石二鳥の算段をした。ただ問題はどちらも人気があるのですぐに売り切れてしまうことだ。今回は早足で行動したこともあってスムーズに商品を手に入れることが出来た。これで体育館に行く準備は整った。

 約束通り指定された場所へ足を運ぶと、彼女は体育館の側面の入り口の小さな段差に座り込んでお弁当を食べていた。基本は用事がないと立ち寄らないので周囲を見渡しても人影はなく、2人きりだった。

「お久しぶりです。岡本柊くん。実はあなたが小学校の頃に一緒によく遊んだりしたのだけれど、私を覚えていますか?」

「もちろん、アヤねぇの事を忘れる訳ないよ」

 大きく澄んだ瞳を輝かせながら嬉しそうな表情を浮かべた。相変わらず愛らしい表情に思わず目を逸らしてしまった。

「私のこと覚えていてくれてありがとう。柊くんは見違えるように男らしくなったね。あれから10年も経ったなんて時の流れは本当に早いものね」

「そう言うアヤ姉さんも、とても綺麗になってびっくりしたよ」

「そんなお世辞が言えるようになるまで成長したんだね。なんだか感慨深いなぁ・・・」

「べ、 別にお世辞じゃ・・・」

 気恥ずかしさから口ごもってしまった。

「でも、もう一度アヤねぇ会えるなんて思っても見なかった・・・手紙も来なくなってしまったから・・・」

 大切な人と縁が切れることは人生では避けて通れない出来事だ。この喪失感は時間が経つにつれ忘れていくのだろう。自分はそれを受け入れられなかった。アヤねぇを忘れることなんてできなかった。だから再び巡り合えたこの瞬間がこんなにも愛おしいのだろう。

「手紙のやり取り、途中で止めてしまってごめんなさい。あの頃はいろいろあって・・・それでもこうして柊くんと会えて本当に嬉しいです」

 2人の間に照れくさい沈黙が流れていた。そんな空気をかき消したのは彼女の提案だった。

「立ち話もなんだから、一緒に座って昼ごはん食べましょうか?」

 空いている彼女の隣に座りメロンパンをかじった。風になびく長い髪を手で抑えて、弁当を手に取って一口ずつ味わっていた。食事中は静かな時間が流れていた。4限目に話す内容を考えていたが、いざ本人と対面すると思ったように話せなかった。それでも自分は彼女の隣にいられるだけで幸福感に包まれていた。自分がメロンパンを食べ終わった頃には、彼女の弁当箱は空になり、再び会話が始まった。

「この場所、私のお気に入りなの。教室から遠いから人も来ないし、屋根もあるし。高校生の時はよくこの場所で友達と食べていたんだ」

「アヤ姉さん、やたらと詳しいね。上之関高校に通っていたの?」

「教育実習って母校でやることが多いんだけど、まさか柊くんも私と同じ高校に通っているなんて思わなかったよ。運命って本当に存在するんだね」

「本当にその通りだと思うよ・・・」

 やはり緊張のせいか上手く話を広げられない。そんな自分に彼女は優しく質問を投げかけた。

「高校生活は楽しいですか?柊くん」

「まぁ悪くはないですよ。友達との交流は楽しいけれど、勉強は少し苦手です」

「高校生は苦労も失敗もあるけどそれ以上に楽しいこともたくさんあるんだよね。だから後悔しないように、思いっきり青春を楽しんで過ごして欲しいな。なんて先輩からのアドバイスだよ」

 その言葉には自分へ対して思いやりの気持ちが込められていた。胸が暖かくなり満たされた自分は無言のまま頷いた。そんな穏やかなランチタイムが続いていたが、どうしても聞きたいことが1つだけあった。

「でもどうしてアヤ姉さんは教師になりたいと思ったの?」

 彼女は緩やかに口元を引き締めこう続けた。

「そうだね・・・こう見えても勉強を人に教える事が好きなんだ。特に数学の楽しさをもっとみんなにも知ってほしいの。それだけじゃなくて、私は生徒達のたくさんお話しして、時には笑いあったり、泣いたりしながら一緒に成長していけたら楽しそうだなって・・・上手く言葉にできないけど・・・」

「教師になりたいなんて素敵な夢だと思います。夢に向かって努力できる人は輝いて見えますよ」

「でも私なんかが本当に教師になってもいいのかな?授業は全然上手くないし、人見知りだし、どんくさいし・・・」

「アヤ姉さん、もっと自分の可能性を信じて欲しいです。強い想いがあるなら絶対やり遂げられるはずです」

「そうだね。まだ自信は持てないけど、一歩ずつ前へと進まないとだね。励ましてくれてありがとう、柊くん。」

「いえ、それほどでも・・・」

 改まって感謝されるとつい謙遜してしまう。時が過ぎるのは本当にあっという間で、彼女はスマホで時間を確認すると立ち上がった。

「ごめんなさい、次の授業の準備があるからそろそろ行かないと」

「楽しい時間を過ごせて楽しかったです。また一緒にお話しましょう。アヤ姉さん」

「昼はこの場所にいるから気軽に声をかけて下さい。それとまだ教育実習生だけど、一応先生って呼んでほしいな」

「それならアヤ先生って呼んでもいいですか?」

 今まで下の名前を使って呼んでいたので、月城先生と呼ぶのは自分の中で違和感があった。

「もちろんいいよ。またね、柊くん」

「それではまた教室で、アヤ先生」

 こうしてアヤ先生が帰っていく後ろ姿を見送った。きっと大人になったとき、この瞬間が青春のかけがえない時間だったと後から実感するのだろう。会話の余韻を感じながら、自分は最後のサンドイッチを平らげた。

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