第4話 父
田舎に引越してから妹は大人しくなった。近所に住んでいた斉藤と物理的に距離ができたことに安心したんだろうと思う。妹は田舎に引越したことで、忌まわしい出来事を思い出すきっかけがなくなったわけだ。しかし、妹は一日中家にいて、布団の中で寝ているか、体育座りをして一人でぶつぶつ言っているだけになってしまった。
斉藤は裁判中か刑務所に入っていたのか知らないけど、取りあえずは拘束されていたと思う。両親は後に斉藤を訴えたらしいけど、確かお金は取れなかったみたいだ。斉藤自身が働いておらず、両親もお金がない人だったようだ。
何年も経ってから聞いた罪状は、強姦致傷だった。
***
僕は妹が好きだった光GENGIが出ている雑誌を買ったりして励ましたけど、男という生き物自体がダメになってしまったらしい。僕のことも避けるようになっていた。後から聞いた話だと、父親のことも怖がって母親以外は近づけなくなっていたそうだ。僕は妹が不安定になるので、話しかけることもしなくなった。
僕がちゃんと学校に行き、妹が夜中に騒がなくなってから、母はまた僕に優しくなった。そこで初めて、妹に何があったかを知らされた。妹は部活から家に帰る途中に斉藤に会ってしまい、ナイフを突きつけられあいつの家に連れ込まれたそうだ。
やはり強姦されてしまっていた。その時、怪我をしていたので、ちょっとの間入院したけど、その時のことを思い出して、病室で暴れるようになった。その後は数週間精神病院に入院していたそうだ。
「でも、強姦って罪が軽くて三、四年したらすぐ刑務所から出て来るんだって。軽すぎるよね。英子があんな風になっちゃったのに」
「そんなに軽いんだ。人生めちゃくちゃになっちゃったのに…」
妹はもう一生あのままだろう。学校にも行けず、働くこともできない。それなのに、犯人は何年か経ったら普通に外に出てこれるんだ。
「そんな法律おかしいね」
「ほんと、犯罪に巻き込まれたら損するのは被害者ばっかりだね。あの子と二人でこれからどうやって生きていけばいいのか…」
「お母さんに何かあったら僕が面倒みるよ」
「聡史…ほんと?」
「うん。英子は僕にとっての一人だけの妹だから」
不登校だった時に、家族で一人だけ優しくしてくれた妹だから、僕は絶対に見捨てないと心に誓っていた。
お母さんは感激してうれし涙を流していた。たった一人しかいない兄妹なんだから当然だ。僕は母に褒められたくてそう言ったのか、自分に酔っていたのかわからない。
***
しばらくして、三年の夏休みの時期になった。もし、もともと住んでいた市にいたら、そろそろ高校受験の最後のラストスパートという頃だったろう。うちの中学の生徒のほとんどは街にある某底辺高校に行くことになっていた。そこ以外、距離的に他に通えそうな学校がなかったからだ。その学校は県内でも下から数えて五本の指に入るほどレベルが低くて、偏差値なんてないようなものだった。定員割れしているから、よほどの非行歴がなければ全入なのだ。
そんな学校だから、ほとんどの人が就職するか、都会に出て専門学校などに行くだけだ。その高校を卒業してもいい大学に行ける見込みはほぼなかった。お父さんの住んでいる市に戻りたい。僕はそう思い始めていた。中学でいじめがあったけど、あいつらは頭が悪いからいい高校には入れない。僕はもともと成績がよかったし、周囲の友達もそれなりに勉強していたから、高校からまた友達たちと合流できるかもしれない。
僕は母に頼んで参考書を買ってもらって、必死に勉強を始めた。僕の成績は引越して来た時からクラスで一番だった。前の学校ではオール4くらいの成績だったのに、田舎の学校はレベルがすごく低かったから、僕レベルでも天才と言われていた。せっかく頑張っても仕事がないから誰も勉強していなかった。
僕は思い切って母に、高校からは地元に戻りたいと伝えた。そうすれば母も楽だと思ったからだ。
「聡史。ごめんね」
母はわっと泣き出した。
「言ったことなかったけど、もう〇〇には帰れないんだよ」
「どうして?」
「お父さんとお母さん離婚したの」
「え?」僕は固まった。
「こっちに移って来てからしばらくして離婚したの。お父さん、職場に彼女がいて、もうその人と再婚して、もうその人と住んでるから…。赤ちゃんできたって言ってた」
ショックだった。あの真面目そうなお父さんに他の女性がいて、すでに別の家庭を築いているなんて。そう言えば、父からは電話が全くかかって来なかった。僕も気恥ずかしくて手紙を送ったりしていなかった。電話したかったけど、市外電話を掛けると高いからおじいちゃんに遠慮していた。
「お父さん、ずっと前から浮気してたの。今まで言えなかったけど」
完璧だと思っていたうち家族は虚像だったんだ。
僕の頭の中が真っ白になった。
僕は騙されていたんだ。
僕は一体何を見ていたんだろうか。僕は本当に幸せだったんだろうか?
父は僕の人生から消えてしまった。
「離婚しても、あの人があなたたちのお父さんだってことに変わりはないからね。毎月、養育費も送ってくれてるんだよ。それに、大学までの学費は出してくれるって」
「こんな田舎に住んでて、入れる大学なんてないよ!」
僕はかっとなって言い返した。
「だって、みんな中間テストとかでも50点も取れないんだよ!僕100点なのに!」
どんなに母を責めても、僕の人生はすでに終了している。
母は勉強すれば何とかなると言っていたけど、何も耳に入らなかった。
中学の先生は、前に住んでいたところの先生とは比べ物にならないくらいレベルが低くて、説明も下手だった。同級生もみんな馬鹿で、田舎臭くて、煩くて、学校でも勉強せずに手紙を回したり、ノートに落書きをしたりしていた。僕は学校に行くのが本当に嫌で仕方がなかった。ヤンキーはみんな十代で結婚するから、中学生で妊娠したり、堕したりが珍しくなかった。
僕はそんな人生を送りたくないと心底思っていた。
***
結局、僕は同級生たちと一緒に隣町の高校に進学した。しかも、そこは商業高校だった。本当は違うところに行きたかったけど、普通科のある高校は通学に片道二時間もかかってしまい、行くだけで疲れてしまうので諦めた。
しかし、ど田舎でも天才と呼んで差支えないほど頭のいい人がいた。僕はそいつと仲良くなって、勉強を聞いたりして何とか過ごしていた。部活に入らず、授業が終わったら、そいつと図書館で勉強して夜遅く家に帰る生活が続いた。
家で勉強出来たらいいのだけど、早く家に帰ると、おじいちゃんから農家の仕事を手伝えと言われるのが普通だった。母方の祖父母の実家は女の子しかいなくて後継ぎがいなかったから、大学なんか行かなくてもいいと言われていた。
僕が高校三年生の時、また事件が起きた。
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