第2話 事件

 僕は職員室に行った後、部活に行かなくてはいけなかったけど、そのまま家に帰ってしまった。手紙のことやカバンを踏まれたことがショック過ぎて、部活に行くのを忘れていたのだ。先生に部活を休むと言いに行くのを忘れて後悔したけど、部活に行って先生の顔を見たら泣いてしまうから、行かなくてよかったと思う。


 僕は家に帰って制服のまま布団に入って寝てしまった。そうやって、いくら泣いたかわからない。気が付いたら眠っていた。妹が夕飯だと言って起こしに来たけど、僕は具合が悪いからいらないと嘘をついた。学校でいじめられて泣いている姿を見られたくなかった。


 夜全く寝れなくなってしまい、そのまま布団の中で今日あったことや、日下部の顔を思い出していた。どうしてそんなに嫌われてしまったのか。僕はどうすればよかったのかわからない。


 次の朝、母親に起こされたけど、眠くて起きられなかった。

「具合が悪いから休む」

 そう言うと、母は熱を測ってと言って体温計を渡して来た。測ってみたけど、熱はなかった。仕方なく親に渡すと「熱ないじゃない。学校行きなさい」と言われた。僕は行きたくなかったからと泣いて嫌がった。

「頭痛い」

 そう言うと、やっと母は許してくれた。僕は中学に入ってから、一度も学校を休んだことがなかったから、一回くらいいいだろうと思ったのだろう。


 その日、学校の先生から家に電話が掛かって来た。僕が電話に出ると、先生が朝の会で誰かが僕の名前でA先生にラブレターを書いたことをみんなに話したと言っていた。字を見れば誰かわかるから、ばれる前に言いなさいと言っておいたそうだ。わざわざ、自分がやりましたなんて言うやつがいるわけがない。僕は恥ずかしくて余計に学校に行きづらくなってしまった。 


 友達も電話して来て、「大丈夫?」と心配してくれたけど、僕はどうしても学校に行けなくなってしまった。

 朝になると、母が怒って僕の体を叩いたり、髪を引っ張ったりしたけど、僕はどうしても行きたくなかった。僕は謝って家でも勉強するからと言っても許してもらえなかった。学校に行っていないから、小遣いやお菓子はもらえなくなった。妹だけは優しくてこっそりお菓子を持って来てくれたり、自分が買った少女漫画を差し入れしてくれた。


 父親は母親よりは理解があった。どうして行きたくないんだ?と聞いて来て、僕に寄り添おうという態度だった。二日に一回くらい部屋に入って来て、「今日は何してた?」、「学校行けない?」、「学校に行かないと勉強が遅れて、レベルの低い高校しか入れなくなるぞ。そしたら、ヤンキーが多くて大変だぞ。いじめに遭うぞ」と脅して来た。父親は国立大卒の公務員だったから、息子が不登校なんてあり得なかったと思う。今は不登校は珍しくないけど、僕が知っている限りでは、昔は学校に一人もいないくらいだった。


 そのうち、僕の育て方を巡って両親が怒鳴り合いの喧嘩するようになった。

「お前、専業主婦のくせに家で何やってんだよ!お前みたいなのがいるから、あいつも家で遊んでていいと思ってんじゃないのか?」

「あの子が勝手に行かなくなっただけで、私のせいじゃない」

「いつも殴ったりしてるくせに!精神的におかしくなってるじゃないか」

「何したって行かないんだから仕方ないじゃない!」

「お前、頭おかしいよ。病院行けよ!」

 家の中は針の筵のようになった。


 そんな時でも優しかったのは妹の英子で、僕の食事を部屋のドアの前に運んでくれ、欲しい物がないか聞いてくれた。それが毎日だった。夕飯の後に僕の部屋に寄ってくれた。妹の存在にどれだけ励まされたかわからない。


「お兄ちゃん、大丈夫?」

「うん。大丈夫だよ。ごめん。学校行ってなくて。英子も学校で何か言われてない?」

「うん。先生がお兄ちゃんどうしてるの?って聞いて来た。あと、プリントもらってきたよ」

「そっか。ごめん」

「先生が会いたいって言ってた」

「それは無理かな…」


 担任に会うくらいなら死んだ方がましだと僕は思った。学校に行くという当たり前のことができていないなんて、不甲斐ない兄で情けなかった。この間、担任と電話で話した時、担任が「A先生は気にしてないから」と言っていた。何を言ってるんだろうと思う。僕は何もしていないのに。


 もう、学校に行くのは無理だ。僕は早く死んでしまいたかった。


 一か月ほど家にいると、母も学校に行けとは言わなくなり、両親とはほとんど口を利かなくなっていた。母は専業主婦だったけど、僕と二人で家にいるのが嫌だったようで、昼間、出掛けるようになった。妹によると毎日プールに通うようになったらしい。

 

 僕は家に一人だから、好きな時にトイレに行くことができたし、風呂に入ったり、テレビを見たりした。テレビを見ていたからといって楽しくはなかった。時間を無駄にしている気がしたし、勉強が遅れてしまうことも怖かった。


 ***


 僕はどうなるんだろう。中卒で人生終わるのか…。それだけでなく、僕のせいで家族がバラバラになってしまった。


 ちょっと前までは仲のいい家族だったのに。僕のせいでめちゃくちゃだ。僕が学校に行かないせいで…お母さんとお父さんの仲が悪くなってしまった。


 僕がいなければ。死んだ方が二人とも喜ぶ。そう激しく自分を責めた。決して出口のないトンネルに迷い込んだようだった。前と変わらず接してくれるのは英子だけ。英子は中学一年生で、すごくかわいい子だった。家族だからということを抜きにしても、ちょっと目立つくらいにかわいかった。部活は新体操をやっていて、痩せていてスタイルもいい。僕は目立たない学生だったけど、妹は他の学年の生徒からも知られていたと思う。友達からも妹がかわいくて羨ましいと言われていたほどだった。僕にとっては自慢の妹だった。

 

 そんな中で事件が起きた。

 しかし、その事件が起きたことを知ったのはずっと後だった。


 ある夜。僕は夕飯を待っていたけど、英子はいつもの時間になっても二階に上がって来てくれなかった。僕は親に会いたくないから、自分から食事を取りに行けないまま部屋で待ち続けた。しかし、その夜は誰も来なかった。英子が持って来れない場合は、両親のどちらかが食事を運んでくれてもよさそうなものだったのに。


 僕がこっそり一階を覗いてみると、家の電気が消えていて、家族が誰もいなかった。きっとみんな僕だけ置いて食事にでも出かけてしまったんだ。僕は大きなショックを受けていた。自分はいなくてもいい存在なんだ。食事も準備されていなかった。僕は台所にあったカップラーメンと冷蔵庫の中の牛乳なんかで夕飯を済ませた。


 その後は、いつ家族が戻って来るかわからないから、急いで部屋に戻った。夜遅くに両親たちが戻って来たようだが、僕は自室に籠ったまま下に降りていかなかった。こんな遅くに何をしてたんだろう?もしかしたら、誰かが入院したとか、亡くなったという悪いことなんじゃないか…。そんな気がしていた。


 僕の食事のことなんて誰も気にしちゃいなかった。気になったのは、その日以来、妹が僕の部屋を訪ねて来なくなったことだ。それどころか、家にいる気配がなくなった。夜遅い時間にこっそり妹の部屋を覗くと、部屋の中は空だった。


 妹がいなくなってしまった。どうして?

 何故なのか僕にはわからなかった。


 


 

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