僕の完璧な世界

連喜

第1話 はじまり

 今はもう腐った中年だけど、僕が中学だった頃はもっと純粋ピュアだった。

 まるで、売り物の置物か何かのように、わざとらしい笑顔を振りまく天使のような存在。女子たちからかわいいと言われていた。


 裕福でも貧乏でもない家庭で育ち、学校には仲のいい友人たちがいて、成績はまあまあいい。体育会系の部活もやってる。体つきは普通。健康で、何もかもが普通。足りないものは特にない。成績はすべて3か4に収まるタイプだった。

 平凡で取り立てて特徴もない。

 それが僕だった。


 ちょっとしたいじめに遭ったこともあったような気もするが、覚えていないくらいの些細なことくらいしかなかった。


 我ながら完璧な世界に住んでいた。


 ***


 198X年。


 僕は〇〇県にある公立中学に通っている。

 田舎に住んでいる平凡な中学生だ。


 でも、時々怖くなる。


 僕は今すごく幸せで、今の生活に満足している。

 家族も、友達も、先輩もみんな好きだ。


 今いる人たちは、誰一人いなくなって欲しくない。

 ずっと今の生活がしたい。

 誰か欠けても僕の人生は綻びてしまう気がした。


 それどころか、そのうちの誰かいなくなったら、僕は生きていけないとさえ思う。


 しかし、崩壊の序章はいつも小さなきっかけで始まる。

 今もその日のことをはっきり覚えている。


***


 学校の教室でのことだった。


 昔だから、A列は男子、B列は女子という風に性別で席順が分かれていた。


 僕の隣は誰だったんだろう。僕が好きなのは別のクラスの子だったから、あまり覚えていない。僕は女子とはまったく喋らないから、隣が誰かなんてあまり気にしていなかった。それより気になるのは、前後に誰が来るかだ。


 僕は割と誰とでもうまくやっていける自信があった。友達からも敵を作らないタイプと言われていたし、人当たりのよさには定評があった。


 しかし、二学期の席替えで僕は苦手なやつの後ろになってしまった。


 そいつが休み時間ごとに後ろを振り返って話しかけ来る。僕は話しかけられないように、用もないのに友達の席に行ったり、トイレに行って時間を潰すようになった。でも、前の席のやつが嫌だからそうしているとは言わない方がいいと思っていた。だから、ずっと黙っていた。


 ある日のこと。休み時間の後、席に戻ると机の上に置いておいた鉛筆が一本なくなっていた。(この年になると、それが鉛筆だったのかシャープペンシルだったのか覚えてないのだが)僕は決まって五本の鉛筆かシャープペンシルを家から持って来ていたから、なくなったことにすぐ気が付いた。筆箱の中にもないし、教科書の間に挟んだりもしていない。


 僕はきちんとしていないと気が済まないタイプで、机の上にいつも授業で使う鉛筆を一本だけ置いていた。さっきまであったのだから、なくなる理由はない。床を見ても落ちていなかった。


 誰かが持って行ったんだ。僕ははっとした。鉛筆を忘れた誰かが僕の筆箱から取って行ったんだ。別に「貸して」って言えばいいのに。友達が黙って借りて行ったんだろうか。いや、違うと思う。僕の周りにそんな人は図々しいやつはいなかった。


 僕の頭の中は、自分が周囲からどう思われているかという想像でいっぱいになった。僕ってそんなに舐められてる?それとも、嫌がらせ?僕は怖くてたまらなかった。そんなに嫌われているんだろうか。僕が女子からかわいいと言われるからだろうか?確かに、僕がかわいいと言われていると、他の男子は僕を見て馬鹿にしたように笑っていた。僕は女子と全く喋らないし、向こうが勝手に言ってるだけなのに。その時からは、授業の内容がまったく頭に入らなくなってしまった。


 多分、前の席のやつがやったんだ。

 僕が休み時間にそいつから逃げていることに気が付いたんだろう。


 それからは、机の上に筆箱を出しっぱなしにしないで、毎回、机の中に入れるようになった。鉛筆の件はそれで解決できた。僕はほっとした。


 ***


 僕の前の席は、日下部(もう名前を憶えていない)というやつで野球部だった。いつもジャージで登校していたが、朝練の後のようでいつも埃っぽくて汗臭かった。声がでかくて煩いし、内容のない話をして来るから、僕は苦手だった。あまり好かれる感じではなかったけど、部活に入っていたから友達はいるようだった。だから無視はできない。

 僕にいつも話しかけて来るからと言って、僕のことを気に入っている訳ではなかった。むしろ、いつも小ばかにしていて、さっき〇〇が〇〇って言ってたと後でみんなで笑うためにそうしてる気がした。僕が卓球部だということを見下していて「卓球ってやる意味あんの?どんなに頑張っても中国には勝てないじゃん?」と言っていた。


 卓球部に入ったのは、部活が週数回しかなくて楽なのと友達がいたからで、それほど深い思い入れはなかった。でも、自分がやっていることを否定されるのは不快だった。僕は話を聞いているふりをして、いつも机の上を片付けたり違うことをしていた。


「田中君ってどんな子がタイプ?」


 日下部がいきなり聞いて来た。顔を見るとにやにやしていた。こいつは女子がいない時は、いつも下ネタを言っているような男だった。しかも、相当下品で全然面白くなかった。


 僕は女子が周りにいるのにそんな話はしたくなかった。多分、誰かが聞いていて、後からみんなに言いふらされるに決まっている。僕が答えないと日下部は、「わかった。年上ね」と、決めつけた。


「違うよ!」むかついたけど、誰が聞いているかわからないから否定した。

「じゃあ、A先生とB先生どっちがいい?」

 どちらも三十代から四十代のおばさんだった。

「選べない」自分の親と変わらない世代の人たちだから、そんな目で見るのは不可能だった。

「究極の選択」

 日下部はしつこく言った。

「無理だよ」

「どっちか選ばないと殺すって言われたら?」

「A先生」

 日下部は腹を抱えて笑っていた。

 A先生は国語の先生で、髪にふわっとしたパーマをかけていて、小太りだった。胸が大きく、スーツのボタンが飛びそうなくらいでいつもキツキツのを着ていた。それでいて、太っていなくて、きれいな感じの人だった。一方、B先生は女子の体育の先生でいつもジャージで歩いている怖い感じのおばさんだった。A先生かB先生で後者を選ぶ人はいないだろう。


 ***


 毎日、日下部が話しかけて来るから、僕は精神的に疲弊していた。朝学校に行くのが嫌で、授業中も次の休み時間はどうしようかと悩むほどだった。


「田中。ちょっと」

 朝の会の後、担任の先生が僕を呼んだ。

「はい」

 僕は立ち上がって教壇の方に行った。

「放課後職員室に来い」先生は僕の耳元にこっそり言った。

「はい」

 何だろうか。多分、先日学校に出した書類に不備があるとかそういう話だろう。僕は優等生ではないけど、先生に呼び出されるようなことは一切身に覚えがない。僕は卓球部の友達に職員室に寄ってから部活に行くと伝えて、一人で職員室に向かった。


 担任の先生は四十代くらいの男で、社会科の担当だった。面白くていい先生だったから、僕は好きだった。先生のデスクに行くと、先生が周囲を見回してから、誰もいないのを確認して話始めた。


「お前。A先生にラブレター書いたんだって?」

「え?書いてません」

 僕はびっくりして首を振った。先生も僕の反応に意外そうな顔をしていた。

「Aさんの家にお前から手紙が届いたって」

「違います」

 僕は必死に否定した。

「読むか?」

 担任は僕に白い封筒に入った手紙を渡した。親が使っているような白い縦長の封筒で、裏地が紫のやつだった。筆圧の強い汚い字で、ボールペンで書かれていた。


『いきなり手紙を送ってごめんなさい。先生はびっくりすると思いますが、中一の頃から先生のことが好きでした。授業の時は先生が教室に来るので僕はうれしいです。先生は学校で一番きれいな人だと思います。年下ですが僕とつき合ってください。僕は卓球をやっているので、体力には自信があります。先生を十分満足させられると思います』


 僕は頭が真っ白になった。付き合ってくださいなんて、今まで誰にも言ったことがないのに。

 自然と涙があふれて来た。


「悪戯か?」

「はい。僕じゃありません」

 泣きすぎてしゃくりあげてしまったから、そう言うのにどれくらい時間が経っていたかわからない。


 僕が教室に戻ると、帰宅部の人が何人かいるだけだった。多分、その時はヤンキーしかいなかったと思う。ヤンキーが苦手だったから、僕は泣き顔を見られないように隠しながら、自分の席に行った。


 すると、カバンが床に落ちていて、上から踏まれたみたいに、足跡が付けられていた。


 その瞬間時が止まった。僕はいじめられているんだ。はっきりそれが分かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る