第23話 日の本へ(最終話)

空想時代小説 

 前回までのあらすじ 

 小田原・石垣山にて政宗の影武者が秀吉を殺める。その後、秀吉軍は崩壊し、北条家が巻き返す。政宗は佐竹を攻めると見せかけて反転し、宿敵相馬氏を倒す。以後、北の南部氏、越後の上杉氏を降伏させる。上杉氏に従属していた真田氏も降伏してきた。その真田氏の上州の領地を欲した北条氏と戦い、これを滅ぼす。ここに政宗の東国支配が決まる。

 10年後、西国を支配した徳川家康が幕府を開き、政宗は副将軍となり、家康とは不干渉同盟を継続することとなる。だが、家康が亡くなり、秀忠の時代となると不穏な動きが見られ、信州と小田原で戦が起きる。秀忠は家臣の勝手な行動と主張するが、虚偽であることは明白だった。そして政宗は反撃を開始する。水軍の活躍もあり、秀忠を隠居に追い込むことに成功する。

 3代将軍に家光をたて、政宗は隠居し、異国へ旅立つことを決めた。そして政宗はルソンへ到着した。そこでキリシタンとなり、イタリア・ローマへ行くことを決意する。途中の港では幾多の苦難にあう。それを乗り越えていよいよヨーロッパへ入り、イタリアへ到着した。ローマ教皇に謁見し、貴族に任じられるものの、想定外の出費を強いられ、長くはいられないと判断した。 

 帰路につくが、途中で攻撃を受け、政宗は負傷する。医者がおらず、厳しい航海となる。行きとは違い、南半球ルートを通り、マニラへもどってきた。


 1620年1月、ルソンへ着いた。8ケ月の航海は、行きよりも3ケ月も早かった。季節風に助けられたことも大きかったが、寄港する数を少なくしたのが大きな要員であった。ルソンの港に入って、明日上陸という時に、長房(27才)は全員を甲板に集め、イスパニア語で話し始めた。

「体調がすぐれない政宗様に代わって話す。政宗様の話と思って聞いてくれ。今までの皆の苦労。心より感謝いたす。皆といっしょにイタリアまで行けたこと。日の本初のこと。皆の偉業は長く語り継がれることであろう。さて、今日は皆に頼みがある。ルソンに着いてゆっくりしたいと思っていただろうが、政宗様の体調が思わしくないことは皆存じておろう。ゆえに、一日も早く日の本に帰りたい。そのためには、皆の力が必要だ。新しい水夫をさがしていたのでは時間がかかる。どうだ、皆のもの!」

「今までの給金はどうなってる?」

水夫の中から当然の質問がでた。

「江戸に着いたら払う。それも約束の5割増しだ。その上、この船を皆に渡す。この船でルソンへもどってくればよい」

「それはすごい!」

と、水夫たちから歓声があがった。そして、水夫の代表格が話を始めた。

「俺たちは、かつて囚人だったり奴隷だった。人として認められていなかった。でも政宗様は俺たちを人として付き合ってくれた。疲れた時は、やさしく声をかけてくれたし、嵐の時はいっしょに櫓をこいでくれた。食べる物も俺たちと同じだった。政宗様のためなら江戸まで行くのに、何の文句があるだろうか。そうだろう皆!」

「そうだ! そうだ!」

 翌日の上陸日、船を降りる者はいなかった。補給担当の横山隼人(26才)は数人の部下を連れて補給品の補充を行った。それでも、船の金庫には金銀が残っている。隼人はマルコ神父からもらったエメラルドを処分したのである。日の本への航海は順調であった。

 黒潮海流にのり、来る時の倍の速さで進むことができた。水夫たちに、舵のとり方や帆の張り方、たたみ方などを伝授してすすんだのである。順調でなかったのは、政宗(55才)の体調であった。ルソンでも薬は入手できず。横たわってばかりいる政宗であった。

 紀州の串本で、最後の補給をし、横須賀をめざした。横山隼人だけが下船して、早馬をとばした。船より少し早く着くかと思われた。串本を出航した後、政宗は主な者を自室に呼んだ。江戸6人衆と船長の長房・通訳のジョアン(24才)そしてマルコ神父(56才)である。

「皆の者、よく集まってくれた。今日は、万が一のために遺言を残しておく」

「お屋形さま、そんな縁起でもないことをおっしゃらないでください」

「あくまでも万が一の場合じゃ。江戸に無事着いたらご破算の話じゃ。よいな」

「そういうことでしたら・・」

「わしが死んだら、芝の増上寺に埋葬せよ。喪主は忠宗じゃ。わしはキリシタンであるが、今のキリシタン同士の争いを見ると、心からキリシタンにはなれぬ。だが、マルコ神父には江戸での布教を認める。ぜひ、平和なキリシタンを広めていただきたい」

ジョアンの通訳でマルコ神父にこのことが伝えられると、マルコ神父は手を合わせ、頭を下げた。

「次に、長房とジョアンのことじゃ。もし二人がわが家中に仕える気があれば、小十郎のもとにあずけよ。小十郎ならば、この二人を上手く使えるであろう。どうだ? 仕える気はあるか」

長房とジョアンはしばらく返答しなかった。しばしたってから、

「おそれいりますが、お屋形さまが存命ならば、お屋形さまの下で働きとうございます。ですが、万が一のことがあればルソンへもどります。ルソンが拙者の故郷でございます」

長房は涙を浮かべながら答えた。

「私もです。マルコ神父の通訳は、二人の修道士ができると思います。私が帰路の間、言葉を教えました。今では、日の本の人間と同じくらい話せます」

「そうか、二人はルソンへ帰るか? 無理もないな。では太田、お主がこの遺言を忠宗と小十郎に伝えよ。新九郎はじめ5人は証人じゃ。よいな」

「はっ」

この言葉の後、政宗は言い切った安心からか眠りに入った。


 三浦半島を過ぎ、明日には横須賀につこうという日、政宗の容体が悪化した。船長の長房と親衛隊長の太田光三(32才)が傍らにいた。

「いよいよ終・わ・りのようじゃ。わが人生・悔い無し・じゃ。世・話に・なったな」

と言って、眠るように目をとし、首を横に向けた。

「お屋形さまー!」

二人のその声に船にいる者全員が涙した。

 翌日。帆には黒の半旗が掲げられ、横須賀の港に入港した。そこには忠宗(21才)や愛姫(54才)・五郎八姫(27才)・小十郎(36才)らがいた。早馬で駆けてきた横山隼人もいる。担架に乗せられて降りてきた政宗の亡骸を見て、皆が涙していた。小十郎は膝を折って泣き崩れている。政宗の遺骸は駕籠に乗せ換えられ、江戸の増上寺へ向かった。まだ桜の咲く前だったので、臭いはきつくなかった。

 増上寺に着くと、忠宗による葬儀が行われた。成実(54才)にも知らせはだしたが、間に合わなかったようだ。増上寺の裏手の墓地に政宗は葬られた。遺体のままである。そこに黒漆で塗られたお堂が建てられた。政宗の鎧姿を思い起こさせる建物だ。見事な彫刻が施された2間(4mほど)四方のお堂である。そこに成実がやってきた。

「政宗殿! あの世にいくのはまだ早いぞ。わしを置いてさっさと行くとはけしからん。奥州は、地震や津波それにお山の噴火で大変だったのだぞ。それをわしに押しつけておいて自分だけ黄泉の国にいくとは、何事ぞ。一言謝ってからあの世に行け!」

と叫びながらお堂の前で泣き伏していた。


 政宗の死を知らされた家光(16才)は、側近に次のように話した。

「あの政宗が死んだか。本当の旅立ちをしたのだな。政宗の願いは、わしが引き継ぐ。それが大御所の願いでもあるからの。政宗の野望はローマに行くことではなく、日の本の平安じゃ」


 あとがき


 この作品は、当初「政宗の野望」というタイトルで書いたものです。ネット掲載に際して、わかりやすいタイトルに変更して書き直してみました。最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 私の空想時代小説に興味のある方は、「われ、家康と政宗の孫なり」も一読ください。                     飛鳥竜二


 

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政宗が秀吉を殺していたら 飛鳥 竜二 @taryuji

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