第14話 異国へ

空想時代小説

 前回までのあらすじ 

 小田原・石垣山にて政宗の影武者が秀吉を殺める。その後、秀吉軍は崩壊し、北条家が巻き返す。政宗は佐竹を攻めると見せかけて反転し、宿敵相馬氏を倒す。以後、北の南部氏、越後の上杉氏を降伏させる。上杉氏に従属していた真田氏も降伏してきた。その真田氏の上州の領地を欲した北条氏と戦い、これを滅ぼす。ここに政宗の東国支配が決まる。10年後、西国を支配した徳川家康が幕府を開き、政宗は副将軍となり、家康とは不干渉同盟を継続することとなる。だが、家康が亡くなり、秀忠の時代となると不穏な動きが見られ、信州と小田原で戦が起きる。秀忠は家臣の勝手な行動と主張するが、虚偽であることは明白だった。そして政宗は反撃を開始する。水軍の活躍もあり、秀忠を隠居に追い込むことに成功する。3代将軍に家光をたて、政宗は隠居を申し出、異国へ旅立つことを願い出る。


 副将軍辞任から3ケ月後、江戸のサクラが散ったころ、政宗(51才)は横須賀の大船にいた。見送り無用ということで、見送る者は少なかった。愛姫(めごひめ・50才)とは江戸城にて別れの一夜を過ごした。ただ、酒を酌み交わし、愛姫の膝枕で寝ただけだが、愛姫にとっては別れの特別な感情はなかった。政宗に愛情を感じていないわけではないが、側室が何人いるかもわからぬぐらいで、少しあきれているのも事実である。成実殿(50才)には、一人も側室がいないのにと常々思っていた。政宗のことよりも嫡男の忠宗(18才)と出戻りの五郎八(いろは・24才)姫の方が気になっている。

 大船の船長は、高山長房(24才)である。イスパニア(スペイン)語が堪能で、胆力が備わっているのが、何よりも頼もしい。支倉常長(45才)と内藤ジョアン(55才)は、奥州の領地へもどっていた。いずれも平和なキリシタンである。数少ない見送りの中に小十郎(33才)がいた。

「お屋形さま、さびしうございます。いつまでもお屋形さまとご一緒したかったです」

「何を言う。お主は30万石の大名ぞ。お主の元には多くの家臣と領民がおる。その者たちのためにお主がいるのだ。それに、副将軍となった忠宗をささえてもらわなければならぬ。日の本の平安は、まだ始まったばかりだ。お主の力が必要なのだ」

「ですが、拙者も異国を見てみたいです」

「そっちか! いずれお主も隠居すれば行ける。その道筋をわしが作るのじゃ。それに、わしとて行ったきりではない。いずれ、帰ってくる」

「それはいつのことで・・?」

「それは分からん。1年か2年か・・はたまた10年先か。天のみぞ知るだ。お主の父が天から見てくれているであろう」

「父はいつもお屋形さまのことばかり考えておりました。おそらく道筋を示す星となっていることでしょう」

「だろうな」

と政宗は初代小十郎の顔を思い浮かべていた。小うるさい時もあったが、いつも政宗の傍らにおり、親身になってくれていた。何より疱瘡にかかって右目の眼球が飛び出した時に、斬り取ってくれたのは若き小十郎であった。主君の嫡子に刀で斬りつけるのは、本来ならば打ち首ものである。それを覚悟の行いであった。自分が副将軍までなれたことは小十郎あってのことなのである。

 2代目小十郎は、初代小十郎と違い、細面であった。おそらく母の血筋なのだろう。

「ところで、小十郎、奥方を亡くしたということだが・・・」

「はっ、病が重く、長く伏せっておりましたが、ひと月ほど前に・・」

「そうであったか、娘ごは元気か?」

「12になりましたが、母恋しで泣く日々が続いております。男親では、なんともなりませぬ」

「だろうな。では、奥方の裳があけたら、後室をもらってはどうだ?」

「後室など・・・」

「信繁(51才)の娘ならば、知っておるだろう」

「阿梅殿(22才)ですか?」

「そうだ。いい娘だぞ。気がやさしくて美人だ。信繁はお主の守り役だった。親交もある真田家と縁を結ぶことは、日の本の平安にとってもいいことだ」

「そうではありますが・・」

「よいな。すぐに信繁に文を書くぞ」

「お屋形さまには、まいりました」

政宗は、そそくさと文を書き、陸に残る家臣に真田家に届けるように指示した。筆まめの政宗ならではの速攻である。


 出航し、まずは串本をめざした。本州最南端の地である。大船は、早舟1艘を曳航している。浜に上陸するためである。また、小舟を2艘、甲板においてある。万が一の避難用である。大船の長さは、50間(90mほど)、幅が10間(20m)もあるので、それも可能だった。串本は先の戦でも立ち寄ったところで、風光明媚なところである。魚もおいしい。政宗は、那智大社に立ち寄り、航海の平穏を祈願した。

 翌朝、大社の宿坊から降りてくる時に、青岸渡寺の三重の塔が朝陽の光で黄金に輝いているのが見えた。ふだんは朱色なのだが、まさに金色に見えている。三重の塔の背後には那智の大滝があり、政宗は足を止め、金色が消えるまで見入っていた。傍らにいる高山長房に、

「この世とは思えぬ景色じゃの」

「はっ、まさに絶景でございます。天からの恵み、お屋形さまの航海が平穏であることの天のおぼしめしではないでしょうか」

「かもしれんな。しかし、神社に祈って、仏寺で返答するかの? 日の本は不思議な国じゃの」

「それが日の本の良さかもしれませぬ。いろいろなところに神がいるということです」

「キリシタンらしからぬ言いようだな。キリシタンは他の神は認めるのか?」

「拙者のキリシタンは、平和を好みまする。キリシタンでもいろいろいます」

「そんなものか。それにしてもいいものを見た」

 5日ほど、串本に滞在し、次は薩摩の枕崎に向かった。波は今まで以上に荒れたが、大船はさほどゆれることもなく進むことができた。風が強いと帆をはることはできないが、60本の櫓(ろ)が大船を動かしていた。櫓をこぐ水夫はもう囚人ではない。皆、鎖を外された一人前の水夫であった。彼らにとっても、この航海が終われば真の自由人となれるのだ。それも見たことのないような報酬も得られるのである。日の本で降りてもよいと言われたのだが、言葉のわからぬ土地では暮らせないということで、全員がルソンへの帰途を希望していた。高い報酬も魅力だった。

 2日で枕崎に着いた。薩摩半島にそびえたつ開聞岳がきれいに見えた。

「長房、まるで富士の山だな」

「高さはありませんが、姿・形は富士の山と同じです。薩摩富士と呼ばれております。それに、ここには神の岩があります」

「神がいる岩か?」

「立神岩という海にそびえ立つ奇岩でございます。夕陽をあびると神々しい姿に見えまする」

その日は、くもり空だったので、夕陽は見られなかった。翌日は、晴れたので夕陽が見られた。陽が沈むにつれ、周りが赤くなり、陽が岩の後ろについた。夕陽の太陽は大きく見える。まるで観音さまに後光がさしたような景色であった。政宗はあまりの美しさに魅入っていた。

 その次の日には、琉球に向かって出航した。いよいよ日の本との別れである。政宗は船内で書いた文を薩摩の役人に託した。宛先は、将軍家光・副将軍忠宗・京都守護職秀宗・正室愛姫・重臣成実・小十郎。そして補給を助けてくれた薩摩藩藩主島津家久に礼状を書いておいた。

 2日で琉球についた。海は比較的おだやかであった。中城(なかぐすく)の港に入った。薩摩藩の支配下にあるとはいえ、人々の服装や食べ物が違う。異国を感じ、政宗はわくわくしていた。山の上に城郭を見つけた。300年ほど前に造られた石垣だらけの城である。急峻な崖の上にあり、見るからに攻めにくい城である。

「長房、あの城をどう思う?」

「攻めにくい城ではございますが、大砲には弱いですな。一発で石垣が崩れまする」

「であるな。これからの時代は、山城ではないという象徴だな。それに住みにくそうだ」

「たしかに、住みたくない城ですな」

 中城には、5日間逗留した。台湾までの水先案内人をさがすのに手間取ったのである。台湾に行ったことはあるが、帰る手段がないということで、ごねられたのである。結局、倍近い金額で雇うことになってしまった。それに、言葉がよくわからず、通訳まで雇わざるを得なかった。航海に出て初めての障害だった。だが、それ以外はまずまずの航海であった。

 翌日の夜、嵐がやってきた。帆をたたみ、櫓を最大限にこいだ。通常の1本一人ではなく、交替要員も入れて2人でこいだ。それでも足りないので、甲板員も補助に入り、3人でこいだ。波がきたらそちらに船首を向けなければならない。それができなければ、横波をくらうのである。一晩、嵐とたたかった。

 朝になり、波はおだやかになった。船長の高山長房は、船内の被害をくまなくさがさせた。幸いに、船そのものには被害はなかったが、倉庫で一人死んでいた。倉庫番の船員が、積み荷の下敷きになっていたのだ。結んでいた縄が切れていたので、それを直そうとして下敷きになったようである。多くの積み荷が崩れれば、船自体の転覆にもつながりかねない。他の荷物は二重に縄をかけられ、強化されていた。その船員は、皆から冥福を祈られ、布にくるまれて海に沈められた。横須賀からきた漁師の次男坊であった。

 台湾では、基隆港(キールン港)に入った。ここはイスパニア(スペイン)の船がいた。その船と見比べても、政宗の大船は見劣りしなかった。大砲の数もほぼ同じ。

「これがイスパニアに船か」

と政宗は感心している。

「お屋形さま、この船も元はイスパニアの船でした。ところで、船の名を決めておかなければいけませぬ」

「政宗号ではだめなのか」

「おそれながら、イスパニアでは発音しにくいかと」

「そうか、それでは日の本号ではどうだ?」

「ジパングですね。いいですな。それでいきましょう」

「日の本ジパング号か、いい名だ」

 基隆港に上陸した政宗は、まさに異国の情緒を感じていた。まず歩く人々が違う。弁髪の中国人もいれば、大げさな帽子をかぶったイスパニア人もいる。日本人も少なからずいる。日本人街があるということも聞いた。露店で売っている物も違っている。見たことのない食べ物があった。食べると甘いということで、買って食べて見たが、甘ったるい味で、政宗は変な顔をした。つらかったのは、はえの多さと臭いのきつさである。はえがたかっていても、店子は追い払おうともしない。それに、いたるところで糞尿の臭いがする。これには、物好きの政宗もたまらず、そそくさと退散した。

「江戸ならば、糞尿の始末をする者どもがいるが、ここではおらんのか?」

「拙者の知っている異国は皆このようなものです。河にながすところもありますが、人が集まるところは間に合いませぬ。江戸が進んでいるのです」

「そんなものか。異国に学ぶべきものは少ないか?」

「それはわかりませぬ。イスパニアやローマは、日の本とだいぶ違うようですが」

政宗と長房の会話は、今後の政宗の動きに大いに関係するのである。

 物資の補給と水先案内人の確保は比較的容易だった。台湾とルソンは交易が盛んだったからである。この10年後、台湾北部はイスパニアの統治下となる。

 3日の逗留で基隆港(キールン港)を後にした。今回の水先案内人はイスパニア語がわかり、長房にとっては扱いやすかった。そのおかげもあり、航海そのものは順調だった。だが、ひとつだけ問題があった。暑さである。灼熱の太陽が政宗たちをおそった。政宗も経験したことのない暑さでぐったりしていた。船室で寝てばかりいる日々が続いている。風がない凪ぎの状態では、帆をあげても効果がない。櫓ですすむことになるが、交替でこぐしかなく推力は少なかった。飲料水の消耗が多く、制限をしなければならないほどだった。それでも5日の航海でルソンについた。港に着いた時は、皆が喜びの叫び声をあげた。水夫にとっては自由になれるし、水で苦しむ必要もなくなるからである。

 日の本ジパング号は、無事ルソン港に入港した。長房にとっては、2年ぶりのルソンであった。


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