第4話

 放課後になって僕は いわゆる帰宅部なのに帰ることもせず屋上に佇んでいた。端にあるフェンスの前に立って、この辺では一番高い場所から住宅街を見下ろす。

 暮れる太陽の方からビューッと風が吹けば、一緒に佇むエリちゃんの黒髪がなびく。エリちゃんは珍しく僕の腕から離れ、僕が見ている景色に興味が無いのか屋上をふらふらとしていた。


「どうしたの? こんなところに来て」

「……、エリちゃんに話しておきたいことがあって」

「もしかしてまだ呪いのこと怒ってるの? だってあれは健人くんだって困ってたじゃん。もうしないからさ、許してよ」

「それはもう良いんだよ。いや良くはないんだけど……」


 僕は振り返り、彼女と目を合わせる。彼女は僕の四メートルほど離れた位置にいた。


「あのさ! 僕、エリちゃんを満足させられてるかな?」

「え? 急だね。ふふふ」

「もうすぐでいなくなっちゃうんでしょ? この世で最後に過ごす瞬間なのに、僕はエリちゃんに何もしてあげれてない」

「ふーん、そっか。つまり自信がないんだ。変なことで悩むねぇ」

「まぁ……うん。僕が不甲斐ないから、あんまり良い思い出を作れてない」

「なるほどね。じゃあ、これからどうするの? ごめんなさ〜いって謝るのかな?」


 エリちゃんはくすくすと口角を上げて、見定めるかのように視線を向ける。僕はそれに不気味で妖しい威圧感を覚えたが、負けないように拳をギュッと握ると言った。


「僕は、君のやりたいことをなんでもやらせてあげたい! 僕にして欲しいことをなんでもやりたい! エリちゃんに喜んでて欲しいんだ……!」

「なにそれ。……らしくないね。無理しちゃって」

「うん……。僕には出来ないことが多いよ。でも、やれることはなんだってやりたいんだ。今日、エリちゃんがいなくなった時、あの世に行ったんじゃないかって思ってさ。本当に嫌だったんだ」

「んふふふ。それでそれで?」

「僕はその……エリちゃんがいなくなる瞬間、『良かったな』って思ってくれるような……エリちゃんの最後はそんな風にしたいんだよ」

「……そんなこと、考えなくてもいいのにな」


 エリちゃんは僕に背を向けた。彼女の視線が向こうの住宅街に移される。ここからだと彼女の表情が見えない。


「自信持ちなよ。私はね、健人くんと一緒に居るだけですごく楽しいんだから」

「そ、そんなはずないでしょ。僕は本当に何もしてなくて……」

「あれ、自信持ってって言ったのにな。して欲しいことをやってくれないんだぁ。ふふふ。言ってることが違うよ?」

「あ、いや、こ、これは、また別じゃん……!?」

「あははははっ♪ やっぱり面白いなぁ、健人くんは」


 その時、エリちゃんは首を上に傾けて空を仰いだ。


「健人くんは自分のこと、どう思ってるの?」

「えっ? 僕? そ、そりゃあ、ダメダメでどうしようもなくて、人とも上手く話せないし、エリちゃんをあんまり喜ばしてあげれないような、情けない人……だと思ってる」

「そっか。……でもね健人くん。これだけは忘れないで欲しいな」

「な、何?」

「私は、健人くんと会えてすごく良かったと思ってる。健人くんが自分を悪く思うのは勝手だけどさ、この世界には健人くんと会えて良かったって思う人も居るってこと、よく覚えておいてね」


 エリちゃんの優しい言葉と声色で、僕の心にじんわりと暖かいものが広がってくる。僕の方が喜ばされてどうするんだ!そう思うのだが、なんだか涙が出てきそうだった。

 僕も勢いに任せて言う。


「僕だってエリちゃんと会えて本当に良かったと思ってる! というか、いなくなって欲しくない! ずっと一緒に居たい!」

「わがまま言わないの。いつかあの世に行かなくちゃいけないんだから」

「……ずっと一緒に居たいよ」

「えぇ? もう……」


 後ろからだからよく分からないが、エリちゃんの首の角度が少しだけ上に上がった気がした。

 すると、エリちゃんがガバッと振り返って僕を見た。僕を真っ直ぐ見る彼女の瞳からは溜まっていた涙が溢れていたが、彼女の表情はこれ以上ないほどの笑顔だった。


「私、今なら飛び立てそうな気がする!」

「えっ!?」


 僕が困惑しているうちにエリちゃんは腕を横に広げて僕に走ってきた。

 僕もまた腕を広げて受け止める体勢を取る。

 そして僕とエリちゃんの距離が抱き合えるくらいにまで縮まった時、一瞬世界が白く光ったように感じた。



 気絶していたらしい僕は、状況を飲み込めないまま屋上の硬い地面から身体を起こした。太陽の位置的には最後の記憶からそれほど時間が経っていないらしい。

 僕は辺りを見渡してエリちゃんを探した。

 見つけたことは見つけたのだが、エリちゃんは小さな人形に戻っていて、屋上にポツンと置いてあったそれを僕はおぼつかない手で拾い上げた。

 宝石のような黒い髪を伸ばし、綺麗な花柄模様が描かれた黒い着物を着た日本人形。それを僕は胸にまで引き寄せ、その場にうずくまった。



 教室に通学カバンなどを残していた僕は取りに戻った。ガラガラと扉を開けて入ると、そこには藤田くんが夕日に照らされた教室に一人でいた。何やら荷物をまとめているようだが僕に気づいたらしい。


「おう、山岸か。どうしたんだよ」

「あ、荷物、取りに来て……」

「そうか」


 僕は咄嗟に日本人形を後ろに隠した。それが功を奏したのかは知らないが、気付かれずには済んだ。

 藤田くんは多分今帰ることになったんだろう、ゴソゴソと荷物をまとめている。僕も自分の机でこっそりカバンに日本人形を入れた時、藤田くんが話しかける。


「悪かったな。お前の漫画、勝手に見て」

「えっ……?」

「バチが当たったかも知んねーわ。あの腹痛は」

「あ、うん、いいけど……」


 藤田くんは僕を見ることなく言った。後ろの方の僕はその背中を見つめる。

 ……ふと、エリちゃんの言葉が頭の中に流れた。


『この世界には健人くんと会えて良かったって思う人も居るんだってこと、よく覚えておいてね』


 まるでエリちゃんが僕の弱い心を包み込んでくれているようだった。ふう、と息を吐くと僕は少しの勇気を持って言う。


「あ、あのさ、良かったら読んでみる? 僕の漫画」

「え? いいのか?」


 と藤田くんは振り返って僕を見た。


「うん、まだ途中だけど……」


 ──────


 描いていた分まで読み切った藤田くんは、ノートを返しながら言った。


「すげー良かったぜ」

「そうかな、あはは……。ありがとう」

「俺も漫画好きだから、お前と話してみたかったんだよ。次に新しいの描いたら読ましてくれないか?」

「あ、う、うん!」


 教室を僕たちは共に下駄箱まで向かい、その間漫画のことについて話し合った。僕がどうやって描いているのかや、好きな漫画の話など。正直藤田くんが色々聞いて僕は答えているだけなのだが、それでも楽しくて心が踊るものだった。


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