第2話

 学校に行く時でさえエリちゃんは僕の腕に絡みついていた。やめて欲しいと言っても聞く耳を持たない。同じく登校中の周りの生徒はエリちゃんのことを見えていないのだが、それでも女の子とベッタリくっついて外を歩くのは恥ずかしく赤面してしまう。


「え、エリちゃん。歩きづらいんだけど」

「んふふ〜♪」

「そろそろ離れてくれても……」

「やだよぉ〜」


 周りからしたら一人で歩いてるだけなので、傍から見ると顔を赤くして歩きがおぼつかない僕は風邪気味なんじゃないかと疑われるだろう。

 現に学校に着いて教室に入った時、とある女子生徒から心配された。


「あれ? 山岸くん、顔赤いよ? 大丈夫?」

「あ、うん。大丈夫……」


 彼女、宮本さんは僕のクラスの学級委員であり、僕とは比べ物にならないほど誰にでも好かれているが、僕のような陰キャにも優しく話しかけてくれる。

 そのためよくモテて告白されることも多い、クラスのマドンナ的存在だ。


「本当に大丈夫? 熱あるんじゃない?」


 と彼女は手のひらを僕の額に当ててきた。その遠慮が無い仕草に思わず驚き、そして照れてしまう。

 するといきなり宮本さんの顔が青ざめ、何かに恐れたのか額に置いた手を引っ込める。


「ひっ……!」

「ど、どうしたの?」

「……いや、なんでもないよ。急に寒気がしてさ。私の方が熱っぽいのかな。あはは」


 引きつった笑顔で陽気に振る舞った彼女は僕の元から逃げるように離れていく。僕は恐る恐る横のエリちゃんを見ると、彼女の瞳孔が紅く光って宮本さんを睨んでいることに気づいた。


 僕は慌てて教室を出て誰にも見られない階段の隅にまで移動した。当然腕にくっついてくるエリに言う。


「エリちゃん! な、なんかしたでしょ!?」

「ん? なんのことかな?」

「だってさっきのって……!」


 怒るのに慣れてないせいで言葉が出ない。一旦息を吐いて落ち着いてから言った。


「あの、エリちゃん。人と話す時にそうやってされたら困るっていうか……。人が離れちゃうよ。ただでさえぼっちなのに」

「嬉しかった?」

「え?」

「さっきの人におでこに手を当てられて嬉しかった? って聞いてるの」

「そ、そりゃあ嬉しいよ。心配してくれたんだから、もちろん」

「ふーん……」


 エリちゃんはニンマリと笑って僕の腕から離れると、僕と正面に向き合う位置に立った。


「じゃあ……私は何をしたら君をより嬉しい気持ちにできるかな?」

「えっと、いや、それは───」


 返答に困る僕に一歩近づいたエリちゃんは、右の腕を上げてしなやかな手で僕の頬を撫でた。僕は驚いて背が少し仰け反ったがエリちゃんの細い指は頬についてくる。


「言ってくれたらなんでもしてあげるよぉ? よりもずーっ嬉しいこと……。ふふふ」


 逃げられなくなりそうなほどの蠱惑的な囁きに僕は身震いする。僕を捉える瞳に吸い込まれそうだった。

 その時、廊下にチャイムが響き渡る。僕にとっては渡りに船だ。


「あっ、ホームルームの時間だ。行かなきゃ!」


 と僕は背中にエリちゃんの刺すような視線を感じながら、その場を後にした。


 エリちゃんは姿こそ僕以外に見えないが物には触れられるらしい。授業中、手持ち無沙汰な彼女は教室を歩き回って何かを手に取り遊んでいる。時にはクラスメイトの消しゴムをこっそり動かしたり、閉まってたはずの窓を音もなく開けたりなど、気づいた人だけが怖がるような些細な心霊現象を起こしていた。

 彼女がそれをするたびに僕はハラハラしてしまうし、なんならエリちゃんは僕のそういう反応を楽しんでいるようだ。


 あぁ、ダメだ、気が散る! 気分を紛らわそうと僕は先生やクラスメイトの目を盗んでノートにキャラクターのイラストを描き始めた。

 授業が退屈な時もよくこうして描いている。僕がいるのが後ろの方の席なことと、僕が目立たない生徒だからバレにくいのだ。

 描いたのは僕の漫画『豪華なる剣』の主人公。まるで真面目に授業を受けている風を装いながらシャープペンシルを動かし造形を───


「何描いてるの?」

「うわっ!」


 バレたという焦りと驚きで僕の身体は飛び上がり、机と椅子が揺れてガタッと音を立てた。クラス中の視線が一気に僕に集まる。

 先生が僕に言った。


「どうしたんだ〜? 山岸。寝てたのか?」

「う、あ、はい……。すみません」


 クスクスとちょっとした笑い声が起こると、何事も無かったかのように授業は再開された。

 咄嗟に気づけなかったのだが、さっきの声の主はエリちゃんだった。僕がエリちゃんの方を見ると、さっきのがよほど面白かったのか楽しそうにほくそ笑んでいた。


 放課後となり、やけに疲れた帰り道。またも僕の右腕にくっついて横を歩くエリちゃんに、僕はもうやめて欲しいとは言わなくなった。

 夕陽がエリちゃんの黒い着物と髪を鮮やかに彩った。僕の指に指を絡めながら、足取り軽やかに歩く彼女に僕は聞く。


「ねえ。楽しいの?」

「ん〜? なにが?」

「その……こうしてくっついてることとか、教室でイタズラして僕の反応を見たりとか……なんか楽しそうだから。なんでなのかなって」

「楽しいよ〜♪ 健人くんと一緒ならなんでも楽しいの」

「そ、そうなんだ……」

「この世に居る最後の瞬間が健人くんと一緒で、私はすごく嬉しいんだぁ〜♪」


 正直言って、どうして僕と居て楽しいのかは全く分からなかった。自分がそんな人間だとは思えないから。ただ、そう語るエリちゃんの言葉に嘘は無いと思えた。

『この世に居る最後の瞬間』……ふと、その言葉が僕の胸に引っかかる。


 家に帰る途中にとあるお寺の前を通ることになる。タク兄の実家であり人形を貰った場所だ。通りがかった時、寺の住職は枯葉の掃除をしている所だったらしく、僕に気づいた住職が声をかけてきたことで僕も気づいた。


「健人ー! 帰りかい?」

「あ、うん。今ね」


 にこやかに言った住職だが、しかし突然顔が険しくなった。僕に警戒心むき出しで近づくなり言い放つ。


「お前の右腕に何か邪悪なものが潜んでるぞ!」

「えっ!? じゃ、邪悪!?」

「ああ、とんでもなく強大な呪いだ! それが今、お前の右腕に固く取り憑いている……!」


 僕が戸惑いながら自分の右腕を見ると、そこにはエリちゃんががっしりと僕の腕に絡んでいる姿が見える。どうやら住職はエリちゃんの姿をはっきりと見えるわけではないらしい。

 しかし気になる。邪悪で強大な呪い……!?


「なにそれ! ど、どんな呪いがあるの?」

「うむむ……。こやつから伝わってくる怨念は……なになに……健人くんを私のものにしたい、私だけを見ててほしい、誰にも渡さない、ずっと一緒にいた───ぐはっ!」


 その時、急に住職が気絶してぶっ倒れた。


「わ、わぁ! 大丈夫!?」


 戸惑いながらも嫌な予感がしたので横を見ると、案の定エリちゃんは目を紅く光らせて住職を睨んでいる。彼女は僕の腕を離れて住職に近寄った。


「エリちゃん! な、なにしてるの!? 死んでないよね、これ!」

「記憶も消しておくか……。はっ! 呪い!」

「エリちゃん!」


 彼女は住職に手をかざし、その姿勢で数秒したらやることが終わったのか僕の方に向いた。一層妖しく恐ろしく、それでいて綺麗な笑顔で僕に言う。


「この人が言ったことは全部忘れてね♪」

「ひっ……!」


 エリちゃんの有無を言わさぬ紅い瞳に、僕は頷くしかなかった。

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