第129話 大人の逃げ道、子どもの逃げ場

大人には、逃げ道なんかいくらでもあります。

逆に、なめた相手を叩きのめす方法もね。


 こういうと、子どものうちは誰かが守ってくれるかもしれないが、大人になったら誰も助けてくれないとか何とか、そういうことをホザく低能が湧いて出てくるものです。そういうことをホザく低能は、よほど、周りにクズしかいない社会を生きているのでしょう。でなければ、そんな言葉など出てくるはずがない。

 哀れな雑魚と思って、しっかり、あわれんでやりましょう。

 ま、雑魚なのだけどね。

 雑魚どもは、昭和のクソ演歌の世界でも生き抜いた気になっているがよろしい。

 実は、そのクソ演歌の世界でも相手にされてねえことに気付いていないのが、世にも痛々しい雑魚どもの現実なのだけどね。


 あ、演歌かもしれんが、酒持って来いおじさんの歌は素晴らしいぜ。

 実は、母上の幼馴染でもあるのだ。

 浪花恋しぐれ、いいっすね。酒や酒や! さけこ~てこ~い!

 

ごめん、わし、酒買ってくるわ。酒買うのは人に任せられん(わっはっは)!

低能は、女なら(以下略)、酒なら何でもええ、程度の認識なのね。

なぜだろうなぜかしら。

低能だからです。限りなく無能と同列の低能ね。

これぞ、低能の低能たるゆえんなのです。


社会に出たら、誰も助けてくれない。子どもだから私が助けてあげているのだ。

↑ こういうのを、恩着せがましい低能な大人というのです。

 年齢性別職業社会的地位財産、一切関係ない。

 一定、そういう大人はいます。それ悲しいかな、理論値だけでなく現実です。


 そんなのに限って、世の中の厳しさのヘチマの、いっぱしのことを言うのよ。

 演歌なんて、そういうクズどもの傷のなめ合いのためにあるのかとさえ思うぜ。

 あと、童謡なんかも大概、そういうクズどもの郷愁のためにあるのかな、とね。

 ああいうのを「子どもだまし」って言うのよ。

 生きる術を知るプロレベルの大人には、通用しないことは言うまでもない。

 カラスの勝手と見抜かれてあたふたした昭和の雑魚どもには、笑えたぜよ。


 ただ、子どもの場合、逃げ道と逃げ場は、こちらが用意してやらんと駄目。

 下手すれば、マジでつぶれてしまうからな。

 つぶされずに生き延びてこその物種よ。

 逃げ道と逃げ場から、しっかりと、生きるすべを学べばいいのよ。

 あ、あと、低能なクズの見分け方も学ぼうぜ。

 そういう雑魚に人生をつぶされちゃあ、たまらんでしょうが。


低能とか雑魚って、誰だって?

よそ見するな! そこの生意気ホザいとる、オドレのこっちゃ!

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