第31話 

☆ 要 渚


「あっちー……。いくらなんでもこんなクソ暑いのにわざわざ外に出るかねフツー。さっさと謝ればそれで済む話なのになんで分かんないのかなぁ、あの子」

 先生が民事訴訟なんてするわけないじゃん。僕の脅しだって反省を促すためのブラフだよ。ああでもしないと懲りずにまた似たようなことを繰り返すだろ。だから僕らは『これだからZ世代は』って大人からバカにされるんだ。ネットリテラシーくらい小学校で習えよまったく。

 そういえば先生の世代はゆとり世代とかってバカにされてたのかな。団塊の世代やらさとり世代やら、いつになっても変わんないなこういうの。くだらなすぎてイライラしてくる。


 そうやって悪態を吐きながら通学路をウロウロすること約十分。僕は初めて荒木さんを見かけた踏切に近づいていた。先生は具体的にココを指定してたけどさすがにいないでしょ。

 ……いた。マジでいた。ちょっと遠いから自信はないけど平日の午前中に制服を着た手ぶらの女子中学生がそうそういてたまるか。こんな所で何やってんだよ。電車に乗って当てもなく旅にでも出るつもりか。


 とりあえずそっと近づこう。でも接触できたとして次はどうすれば? 戻ろうって言っても絶対に断られるよな。そしたら僕はあの子を拘束するしかない。でも確実に抵抗されるだろう。騒がれたりしたらコトだ。最悪の場合、通行人に通報されかねない。あーもう、なんで男の僕を向かわせたんだよ。勘違いで処分を下した校長にでも行かせりゃ良かったのに。


 とにかく見つけた連絡だけでもしておこう。ちょうど警報機が鳴って遮断機が下りたから動けないはずだし。そう思ってスマホの電話帳から先生の名前をタップした瞬間、僕は目の前の光景に言葉を失った。

 電話こそ繋がったけど体が硬直してしまったせいで耳元まで持ってこられなかった。今まさに荒木さんが遮断機をくぐったから。

 視界のはしっこに電車が見えて耳をつんざくような警笛が鳴り響く。周囲にチラホラといた通行人が何事かと振り向く。その全てが僕にはスローモーションに感じられたんだ。

 死ぬ、このままじゃあの子は電車にひかれて死んでしまう。でも僕には何も出来ない。体が金縛りにあったみたいに動けない。最悪の光景が脳裏に広がった。

〈……し。もし……。……なめくん?〉

 スマホ越しに微かに先生の声が聞こえる。けどなんだか変な感じがした。ノイズに混じって別の音が聞こえたような……? 

 背中をトンと押されたのは直後だった。わけも分からず前につんのめりそうになる。眼前に広がる光景に気を取られて足元が疎かになったのかと思ったけどそもそも僕は動いていない。なのに誰かが僕を後押ししてくれたような、温かい感触が背中のほうから伝わったんだ。なにが……いや、考えるのはあとだ。

 この勢いに乗じて僕は駆け出した。あらん限りの力を込めて。人生でこんなにも本気で走ったのはこれが最初で最後だった。また目の前で人が死ぬ瞬間を見てしまったら、十三年前と違って防げたかもしれないそれを逃したら、もう僕は二度と姉ちゃんや先生に顔向けできないから――




☆ 飛鳥井 こころ



 二人が運び込まれた病院の診察室で私たちがまず目にしたのは大口を開けて泣く美保ちゃんと、精魂尽き果てた様子でへたり込む要くんの姿だった。第一報を聞いた時は本当に腰が抜けそうになった。遮断機の下りた踏切に若い女の子が侵入し、その直後に同じく若い男が駆け込んだ。非常ブレーキが間に合わなかった電車が彼らのいた線路を通過したのはほんの数瞬後だったらしい。


 美保ちゃんを抱きかかえるように飛び込んだ要くんは両腕をすりむいて手当てをしてもらっている。その美保ちゃんは要くんに抱きかかえられて倒れ込んだ際に肘をぶつけたらしいが軽傷のようだ。

 そして今、彼女は合流した母親の腕の中でもう一度叫ぶように泣いた。足が悪いはずの母親は美保ちゃんを視界に入れた途端、杖を投げ出して彼女のもとに駆け寄ったんだ。今はそっとしておこう。理由はどうあれ電車を止めてしまったんだ。警察と救急が出動する羽目になったし、これから鉄道会社との面倒なやり取りがあるはずだから。

 それに今、私が付いておくべき子はこっちだ。


「要くん……」

「マジで死ぬかと思いましたよ……」

「ごめん……いや、ありがとうって言うべき、かな……」

「いえ、間に合ってよかったです。にしても先生は能力者か何かですか? 本当に居場所を言い当てるなんて……」

 それから彼は「まさか僕があの時の先生みたいなことをするなんて」と力なく笑った。それはもはや懐かしささえ感じる記憶だ。飛び降り自殺を図ろうとする彼に飛び込んで同じように軽いケガを負ったんだった。


「こんな時に冗談言ってるつもり?」

「こうでもしないと正気を保てなくて……」

 その後、彼は二人きりになりたいと言って私をひと気の少ない通路へ連れ出した。

「やりすぎました……」

 壁にもたれて後頭部を預けた彼は目をつむっている。明確な悔恨の念が息遣いから感じられた。よく見るとシャツやズボンのあっちこっちがボロボロだった。飛び込んだ時の激しさを物語っているみたいに。

「ちょっとした仕返しのつもりだったんです。僕は純粋にあの子がしたことが許せなかったから」

「うん……」

「これに懲りたらもう二度とこんな真似はするなよ、と、それで終えようと思ってたんです」

「軽い気持ちで復讐しようだなんて思ったらさ、痛い目見るよね……」

 彼はその問いには返事をしなかった。その代わりに眼を開くと私を見て「あの子は……ひどいイジメに遭っていました」と言った。言葉の意味をワンテンポ遅れて理解した私はもちろん驚いたが無言で先を促した。


「病院に連れて行ってる最中、いろいろ話してくれました。その前に何度も謝られました。『ごめんさないごめんなさい、生きててごめんなさい』って。その時、どうも違和感を覚えたんです。僕に謝ってるような感じではなかったので。で、どうにか話を聞いたら少しずつ分かってきたんです。あの子は母親が過去に犯した罪のせいで教員連中にバレないような陰湿なイジメを受けていた。”犯罪者の子ども”という扱いを受けて、ね」

「なに、それ……。周りの人は知らないの?」

 力なく首を横に振る要くん。


「あの親はともかく、教員連中は仮に知っていても『イジメは認知していなかった』としか言いませんよ。イジメが原因で自殺した生徒のニュースで腐るほど見てきたでしょ」

 返す言葉もない。

「母親の罪って?」

「あの母親は高校生の時にビルの五階から飛び降り自殺を図ってます。それで下敷きになった人が亡くなりました」

 息が、止まった。


「十三年前。荒木美保はお腹の中にいました……。僕の姉ちゃんが下敷きになって衝撃が和らいだおかげで親子共々死なずに済んだみたいです。調べたんですけど、五階って中途半端な高さだからのび降りても生存率が五〇パーセントくらいはあるらしいです。もっとも、親のほうには下半身に大きな後遺症が残ったみたいですし、危うく流産するところだったみたいですが」

「生きてた、の……? 飛び降りたのがあの親子だってこと……?」

 今度は首を縦に振った。彼が精魂尽き果てた様子だったのは自らを危険に晒しながら間一髪で美保ちゃんを救えたからじゃなくて、その事実を知ってしまったからだったのだ。


「イジメの加害者たちがどうやって過去の事件の詳細まで知っていたのか僕には分かりませんが、それだけネットが怖いってことです。考えてもみれば二〇一〇年ですからね。今ほどじゃないにしてもネットは発達してた。荒木美保はそのせいで日頃から母親に対して恨みのようなものを感じていたんです。今回の自殺未遂は半ば突発的な行動でしたけど、自分が死ぬことであの母親に後悔させてやるつもりだったらしいです。人前で怒られたのが最大のトリガーになってしまって突発的に行動を起こした、と。全部……こっちが聞きたくなくても話してくれやがりました……。あの子はもう……充分すぎるほどの罰を受けています」

 話すことで彼は余計に疲れてしまったのか、またへたり込んでしまった。


「なんなんだよ本当に……。頭追いつかないって」

「要くん……」

「僕、最低です」

「どこがさ。キミは人の命を救ったじゃない。お墓参りした時さ、言ってくれたよね。自分から道を閉ざそうとしている子どもを見つけたら、それを止められる大人に僕はなりたいって」

 そんな未来は来てほしくないのが一番だけど、それでも彼は有言実行したんだから純粋に褒めてあげたくて私は屈んで頭を撫でた。でも彼はイヤイヤという風に首を左右に振って私の手を振り払ったんだ。まるで、褒められる資格なんてないとでも言いたげに。


「違うんです。僕、荒木美保の話を聞いた時『助けなければ良かった』って思っちゃったんです。コイツは姉ちゃんの命を奪ったヤツの娘なんだ。死なせておけばあの母親に復讐できたのにって……。僕だってこんな余計なケガをしなくて済んだのに」

「でも、キミは実際にあの子を助けた」

「僕じゃない。あの子を助けたのは姉ちゃんです」

 その言葉の意味が当初は分からなかった。死者がどうやって人を助けるんだ、と。

「先生に電話が繋がったのと荒木美保が遮断機をくぐったのはほとんど同時でした。情けないですけど僕は驚きすぎて体が動かなかったんです。でもスマホ越しに先生の声が聞こえた瞬間、急に背中を押された」

「……もしかして、それがキミのお姉さんだと?」

 要くんは静かに頷いた。にわかには信じがたい話だけど嘘を言っているように見えない。


「だって、僕が知る姉ちゃんは大の子ども好きだったから」

「……とにかく今は休みなよ」

「そう、ですね。そうしてきます」

 フラフラと歩きだす彼。その後ろ姿を見るとどうにも不安で私はたまらず「あー、ちょっと待った」と声を掛けた。

「なんです?」

「髪、拭いてあげる。汗すごいよ」

 夏はいつもカバンにタオルを忍ばせてある。犬に対してするみたいにワシャワシャと拭くと、何を思ったのか彼は私に体を預けてきた。やせ型とはいえ男の子だし、私より背が高いんだから当然ふらついた。


「ちょっと。寄りかからないの。自分で立ちなさいって」

「……すみません。少し、甘えたくなって」

「甘えるって、私はキミのお姉さんじゃないんだよ」

 どうしてだか、姉ではないことを強調するような言い方をしてしまった。けどタオルに隠れて表情が見えないはずなのに彼が笑みを浮かべているように感じられたのは何故だろう。ただ、それを考える前に最悪の事態が訪れてしまう。目の前に弘絵さんが現れたんだ。

 硬直する私をよそに、彼女は息子のケガや傷んだ服を見て糸が切れたように意識を失った。



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