第30話 

☆ 飛鳥井 こころ


 謹慎を受けた身であるにも関わらず急に校長から呼び出された時は何事かと身構えた。油断していたから服はパジャマのままで頭はボサボサだったので支度に時間まで掛かってしまったし。

 急いで学校へ向かって校長室に入ったら要くんと弘絵さんがいたので驚き、向かいのソファに泣きじゃくっている他校の制服を着た女の子とその母親らしき人物がいてそのカオスな状況に二重で驚いた。もうひとつ気になったのは母親の傍らに杖があったことだ。まだ足を悪くするような歳じゃないから怪我でもしたんだろうか。


「飛鳥井先生。ご足労いただきありがとうございます。どうぞお掛けになって」

 校長にそう言われたので要くんの隣に腰掛けたものの依然として状況が読めない。まず第一にこの女の子は誰なんだ。すると要くんが「僕らをネットにあげた子ですよ。気配感じたって言った時の。荒木美保って名前だそうです」と耳打ちしてくれたのでようやく合点がいった。


「どうやって見つけ出したの?」

「僕が通ってた中学の制服だから学校の特定は簡単でした。で、踏切で会ったことを考えればすぐ近くの通学路を通ってることも容易に想像できたので張り込みしてたんです。ちょうど停学中だったんで時間は余ってましたから」

「張り込みって、キミ……」

 それじゃあ本気で不審者じゃない。


「軽く問い詰めたらすぐに認めましたよ。子どものしたことだからもうこういう事はしちゃダメだよっ注意だけで済ませようとしましたけど、僕だけならまだしも先生にまで実害が出てるからそうもいかないって思って校長先生に連絡したんです。せめて誤解と先生の謹慎処分だけでも解いてほしかったので」

 他人事のように語る彼の思いやりが私は少し怖かった。ハッキリ言ってやり過ぎだ。軽く問い詰めたらって、本当にそれだけならこんなに泣くわけないだろうに。

「もちろん中学の校長と教頭、あとこの子の担任の先生にも来てもらってます。あんまりにも四面楚歌で気の毒だったから今は別室に控えてもらってますけどね」

 私は校長を見た。すると無言で頷かれたのでどうやら本当らしい。そんな大所帯で来たのか。こんな子どもを囲って。少しばかり同情しちゃうな。


「で、どうします先生?」

「どうって?」

「荒木さんの処分ですよ。先生が決めてください」

「は!? 私!? なんで!?」

 そういうのは大人同士でしっかり話し合っていい落としどころを探っていくものじゃないの? そう思ったんだけど――

「先生が来る前に話し合って決めた僕らの総意です。一番の被害者は先生なんだから、先生が望むなら重い処分を受けさせることだって可能ですよ。こっちにはその権利がある。被害届を出してあの画像を削除したところでデジタルタトゥーや風説は当分のあいだ消えません。どころか、影響が出るのはこれからかもしれない」

「そ、それはそうだろうけど……」

「本人の名誉を著しく傷つける、それも嘘の情報を悪意ある第三者によって広められる。精神的に相当な苦痛を感じたっておかしくないです。中学生が相手でもその親に損害賠償を請求する民事裁判を起こせることは当然ご存知ですよね? 刑事事件においては十四歳未満は一律に責任能力がないとされ、年齢を満たしていなければ罪に問われることはありませんけどそのまま日常生活に戻れるというわけでもない。場合によっては児童相談所に送致されるといった措置だって取られる」


 児童相談所。送致。真っ当に生活していればおよそ縁のない単語に荒木さんと母親がビクンと震えた。彼女らの命運は文字通り私たちに握られているというわけね。

 しかし要くんの変貌ぶりはどうしたのよ。学生にはまだ難しいことを全く噛まずにスラスラと。まるでニュース原稿を読んでるAIみたいに。

「ちなみに僕の停学も間接的に影響を受けてます。田中はあの投稿をイチ早く見つけて僕をからかったみたいなので。まぁ、手を出したのは事実ですから今さら処分の撤回を望む事はしません。そこは反省しないといけないので」

 嘘だ。キミはこれっぽっちも反省してないじゃない。本当に反省していたら相手に罰を与えられたぞって喜んで語ったりしないもの。


「さぁ、先生。どうぞ」

 どうぞと言われても困るので私は校長先生の顔色を窺って「ほ、本当に私が決めるんですか?」と訊ねた。

「えぇどうぞ。もちろんあなたの謹慎は撤回します。早とちりしてすまなかったわね」

 本気なのか。ホントのホントに大人が寄ってたかって一人の子どもの人生を左右させようとしてるのか。人間の怒りがこうも恐ろしいとは。

 でもそうか。校長先生は自分が治める高校の名前に傷を付けられたわけだし、要くんも嫌な思いをしたはずだ。キッチリと罰を与えなきゃ二人の溜飲は下がらないだろう。けど、だとしてもだ。こんなやり方は教育者として認めたくない。


 しかし私が手をこまねいていたせいで美保ちゃんの母親が「美保。早く謝りなさい」と急かしてくる。それでもなお俯いたまま動けないでいる娘を見て業を煮やしたのか、苛立ったように「この度は本当に申し訳ございませんでした」と娘の頭を押さえつける始末。私は自分が被害者であることも忘れていたたまれない気持ちになった。見ていて気持ちのいいものではないし、むしろ嫌な思いをしたくらいだ。あの杖が娘に向けられるんじゃないかとヒヤヒヤもする。

 ややあって美保ちゃんは喧騒に包まれた教室だったら絶対に聞き取れないであろう声量で「ご、ごめん……なさい」と呟いた。もはや死に絶える寸前の人の最期の言葉だ。

 それに加えて直後に「す、すみません。ちょっとトイレに……気分悪くて……」と席を立ってしまう。チラッと見えた横顔は真っ青で今にも泣きそうだった。思わずあとを追いかけそうになった私だが、美保ちゃんの母親に腕を掴まれてしまう。予想以上に力が強くて驚いたが、その表情を見れば理由が分かった。


「ね? 先生。あの子も反省してるみたいなのでどうか穏便に……」

「……私の一存では決めかねます。それよりも彼女が心配です。あの顔色は普通じゃありませんでした」

「構いません。馬鹿なことをしたんだからいいお灸になったでしょうし」

「お灸って……」

 その後、私は彼女の明らかに保身に走った身の上話を聞かされた。女手ひとつで育てたから様子を見てやれなかっただの、スマホは取り上げますから裁判沙汰だけはどうかご勘弁をだの、減刑を請う被告人のようで憐れというほかない。そもそも私はそんなこと望んじゃいないのに。


 様子が変わったのは美保ちゃんが出ていって十五分ほど経ってからのことだった。ウンザリした様子で話を聞いていた要くんが「さすがに遅すぎません?」と口を挟んだのだ。確かに。そもそも美保ちゃんはトイレの場所すら知らないはず。そりゃ、しらみつぶしに当たればいつかは辿り着けるだろうけど普通は先に聞くよね。

「フラフラしてたからひょっとしてどこかで倒れてるかもしれませんよ。階段から落っこちてたり」

「要くん、縁起でもないこと言わないの」

 それから私は校長に「話は一旦置いて美保ちゃんを探しに行きましょう」と提案した。徐々に部屋の空気が張り詰めていくのが分かる。

「要くん、キミも探しに行ってくれる?」

「僕もですか? めんどい――」

「こら。元はと言えばキミが始めたことなんだから責任取りなさい」

「……ずるいよなぁ先生」

 そう言う割りには素直に従って出ていこうとするんだから素直でイイ子だよキミは。


「あ、ちょっと待って。要くん、ちょい耳貸して」

「なんです? 普通に話せばいいじゃないですか」

「や、それがね、ここから先は他の大人たちに聞かれたくないのよ」

「……まさか女子トイレを覗きに行けとか言いませんよね」

「違う違う。キミには美保ちゃんの通学路近辺を探してほしいんだよ。あの踏切とか」

「……荒木美保が学校を抜け出してるってこと?」

「多分ね」

「根拠は?」

「女の勘」

 そう言うと要くんは一瞬呆れたような表情を見せたが「あとで冷たい物でも奢ってくださいね」と言って出ていった。私もずいぶん彼をコキ使うようになってしまったみたい。さて、私はオロオロする美保ちゃんの母親をなんとかしなければ。それにさっきからずっと無言の弘絵さんが気になる。なにか喋ってくれれば気が楽なんだけど。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る