第28話


 そこからの展開は嵐のようだった。とてもじゃないが保健室では手に負えないケガなので私が車で田中くんを病院へ連れて行き、それから双方の親へ連絡。病院で田中くんの両親と対峙した弘絵さんは問答無用で要くんの頬を張った。

 それからこちらが止める間もなく頭をガシッと掴んで「ウチの愚息が大変申し訳ございませんでした」と風切り音が聞こえるほどの勢いで頭を下げた。要親子に会ったら一言二言くらい言うつもりだっただろう田中くんの両親は、迷いもなく息子に手を挙げた弘絵さんの行動にドン引きし、なおも手を緩めようとしない彼女を慌てて止める事態になったほどだ。


 聞けば、母親のほうは昨年の授業参観で起こした弘絵さんの事件を自分の目で見ていたから戦々恐々としていたらしい。幸いにも入院せずに済んだ田中くんを連れて帰る際、私に「あの親子は……どうかしています」と怯えながら告げていたくらいだから。



「校長先生。なんとか要くんの停学処分を撤回していただくことは出来ないでしょうか」

「無理です。何かしらの処分を下さなければ被害を追った生徒とその保護者の方に示しがつかないでしょう」

 その日のうちに開かれた職員会議で要くんの停学処分が決まった。期間は十日なので夏休みに入ってしまう。つまり彼は期せずして一学期はもう来ないという昨日の発言を実現させてしまったのだ。出席日数が危うい。これで一学期だけで三十日近くも欠席することになる。


「ですが校長先生。今回の騒ぎは元はと言えば田中くんの発言によってもたらされたものです。当事者の二人も認めていますし、それを聞いたクラスメイトだって大勢います」

 発端は要くんが『お前、飛鳥井先生のことが好きなの?』と田中くんにからかわれたことらしい。要くんは当初無視していたようだが『あんなおばさんのドコがいいんだよ』とか『もうヤッたの?』などとエスカレートする発言に我慢の限界が来たらしく、思わず手が出たのだとか。いくら鼻の骨が折れやすいとはいえ……。


 しかし私にも原因がある。田中くんがそのような挑発的なことを言ったのは私が要くんの家で寝落ちた翌週のホームルームでの対応が気に食わなかったからだろう。私もまだまだ青二才というわけだ。

「飛鳥井先生。SNSが発達した今の時代は残念ながら耳にしたくもない誹謗中傷や罵詈雑言で溢れています。もしそれで言葉の暴力を受けた側が傷害事件を起こしたらどうなりますか。逮捕されるのは手を出したほうなんですよ?」

「では校長先生は、心ない誹謗中傷を受けた子がそれを苦にして自ら命を絶ってもまだ同じことが言えるのですか」

「落ち着きなさい飛鳥井先生。そこまでは言っていません。当然、言葉の暴力をぶつけた側にも相応の処罰が下されるべきです」

「だったら――」

「飛鳥井先生、少し目にクマが出来ていますね。疲れが溜まっているのでは?」

 かぶせられた言葉は昨夜の件で寝不足な私を気遣っているように見えてこれ以上議論はしないという意思表示でしかない。冷たい人だ。


「そういえばあなたは要くんが通学中の女子中学生に声を掛けたことに関しても執拗にかばっていましたね」

「かばうも何も彼は無実です。職員会議でもお話したじゃありませんか。彼は踏切が開かなくて焦っていた女子生徒に親切心から声を掛けただけだと」

 こうなってくると自然なことだが停学が決まった職員会議でもその話題は上がった。今、要くんの立場は非常にマズいものとなっている。欠席多数、教師を休職に追い込む母親、声かけ事案、そして暴力。あんな大人しい子なのにやっていることは問題児そのものだから。


 でもせめて誤解だけは晴らさなくては。そして万が一にでも彼の耳には入れないようにしないと。親切心から起こした行動のせいでいわれのない罪を着せられるなんて許されないもの。

「飛鳥井先生。彼の何があなたをそこまで突き動かすんです?」

「……分かりません。自分でも少々入れ込みすぎている自覚はあります。ただ、彼のことがほっとけないんです」

 誰かが耳元で囁くんだ。彼を一人にしておくと、後悔することになるぞ、と。

「抽象的ですね。国語教師が聞いて呆れます」

「……」

 返す言葉もない。国語どころじゃない。私は”教師”そのものにふさわしくないんだ。だって私は……。


 その時、背後からノックが。その主は丸井先生で「お取込み中失礼いたします」とやけに深刻そうな表情で入ってきたかと思えば校長先生と相対しているのが私なことに気が付いてギョッとしていた。この驚きよう、普通じゃないな?

「校長先生。ちょっとこちらをご覧になっていただけますか」

 丸井先生がおずおずとスマホを差し出した。どうやら私は退散したほうがいいみたい。形勢もよろしくないし、頃合いか。そう思って静かに去ろうとしたら校長先生から「待ちなさい」と突き刺すような声で制止された。

「飛鳥井先生。これは一体どういうことです?」


 眼前に突き出されたスマホの画面を見て私は目を疑った。表示されている写真は不鮮明ながらも建物の室内で二人の人物が向き合っていることが分かる。写っているのは私と要くんで、傷を隠すメイクをするために私が彼に密着して頬に手を添えている瞬間を捉えたものだ。

 その投稿には【教師と生徒がひと気の少ない早朝の学校でキスしてる件】というコメントまで添えらていたから心臓が止まりそうだった。誰がいつ撮ったんだ。まさか要くんが感じた人の気配ってこのことだったの?


 問題はそれだけじゃない。その画像が表示されているページが国内どころか世界で最もユーザー数の多いSNSだったことだ。この投稿はついさっき投稿されたばかりで恐ろしいスピードでシェアされ続けている。想像もつかないほど大多数の人間にこの投稿を見られてしまった。

 そして恐れていたことが起きる。見ても気分が悪くなるだけだとそのページを閉じようとしたまさにその瞬間【これウチの高校の制服だわ】というコメントと共に学校名が書き込まれたのだ。私は丸井先生の私物だということも忘れてスマホを取り落とした。


「ご、誤解です! こんな……キスなんてしていません! 私は要くんの頬の傷を隠すメイクをしてただけで――」

「えぇ。ですがこの投稿を見た人はどう思うでしょう。この画像に写っている二人は何をしてるように見えますか」

「それは……」

「あなたが要くんに入れ込んでいる理由がよく分かりました。ちょうどいい機会ですから二人とも頭を冷やしてきなさい」

「……は?」 

「飛鳥井先生。あなたに無期限の謹慎処分を言い渡します」


 世界から音が消えていく。今朝のとても幸せな時間からまだ半日も経ってないのにこの変わりようは天国から地獄というほかなかった。

 

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