第24話
* 翌日
深夜二時過ぎ。終電もなくなり、明日も平日だから駅前は閑散としている。いるのは暇そうに客待ちをするタクシーと飲み屋帰りらしき大学生風の男の子くらい。私はその集団を横目に目当てのスナックへ向かった。
はじめからこうすれば良かったんだ。忙しさにかまけて視野が狭くなりすぎていた。営業時間が終わった直後に店に行けば客はいないし、店のスタッフは後片付けがあるからすぐには帰らない。必然的に要くんのお母さんとサシで話せる。もちろん褒められた行為ではないけどこちらとしても手段を選べなくなってきたのだから仕方がない。
要くんは今日、学校を休んだ。
「来るって言ったくせに。嘘つき」
しかも連絡がつかなかった。念のため自宅へ向かったが空振りに終わってしまい、私に残された手はここへ来ることだけだったのだ。
ドアを開けるとカランコロンとカウベルが鳴り、カウンターにいた女性がこちらを向く。既に営業時間を終えているせいか、店内は必要以上に暗くて顔がよく見えなかったが要くんのお母さんで間違いないみたい。
「すみません、今日はもう終わりで――」
申し訳なさそうな表情を見せたのは一瞬。訪れた女が招かれざる客だと気付くとすぐに眉根を寄せた。
「どうも。夜分に失礼します」
「……表の看板が見えなかったの? CROSEって書いてあったでしょ」
「それを見たから入ったんです」
「……ヤな言い方」
口ではそう言いながらも彼女は追い払おうとしなかったので私は手近なカウンターに腰かけた。その時だった。厨房から「母さん、後片付け終わったよ」と要くんが姿を見せたのは。しかも頬に大きなガーゼを貼って。カウンターにまだ客がいて、あろうことかそれが私であることに気づいた彼の動揺っぷりといったらなかった。
そして私の耳に届く大きな舌打ち。その音の出どころは考えるまでもない。
「先生……」
「要くん、どうしたのそのケガ――」
そこに割って入る「渚」という冷たい声。名を呼ばれた彼は気まずそうに立ちすくんだ。
「アンタはもう帰ってなさい」
「で、でも……」
「いいから」
有無を言わさぬ威圧感に彼は言い返すこともなく静かにうなずいた。そしてこちらを一瞥することもなく裏に消えていく。当然ながら私は彼のあとを追おうとした。けれど――
「ご注文はお決まりですかお客様」
「あ、いえ私は……」
「ただでさえ営業時間外にノコノコやって来て、仕方なく通したら通したで注文もせずに帰ろうとする。それはちょっと非常識が過ぎるんじゃない? 教師っていうのはみーんなこんな生き物なのかしら。聖職者が聞いて呆れるわね」
敵意をむき出しにしたその声色。ヘビのような瞳。なるほど。あの要くんが素直に言うことを聞くわけだ。
「それにアンタ明日も仕事でしょ。こんな時間まで起きてて平気なの?」
「明日も学校がある要くんをこんな時間まで働かせている人のセリフだとは思えませんが?」
「へぇ、言うじゃない。気に入ったわ。一杯おごってあげる。なに飲む?」
「その前に彼に会わせてください」
「ダメって言ったら?」
「このことを児童相談所に報告します。それから労基にも」
「ふぅん。教師なのに脅しとかするんだぁ」
「脅しなんかじゃありません。子どもが満足に学校に通えないまま望まぬ労働を強いられているのならしかるべき組織から力を貸してもらう。当然の選択です」
そう言うと彼女は値踏みするように目を細めた。
「それと彼のケガ。あれはどうしたんですか?」
「ちょっと顔をぶつけただけよ。あの子ドジだから」
白々しい嘘だ。私が信用すると思ってもいないくせに。
「なにアンタ。まさか私が渚に手をあげたとでも思ってるの?」
「……今後の返答次第ではそう思わざるを得ません」
「本当にヤな言い方するわね。アンタ、友達いないでしょ」
「私に友だちがいないとして、それが何か関係ありますか?」
「あぁやっぱりいないんだ。独り者同士だから通じ合うものでもあったのかしらね。だから二人きりでヤラシーことでもしてたんでしょ」
その言葉を聞き逃す私ではない。
「今……なんて言いました? 私と彼はそんな関係ではありません。訂正してください!」
「じゃあ証拠でも見せてみなさいよ。夜中に男の家から若い女が出てきたら誰だってそう思うでしょ」
「言いがかりです。神に誓って私と彼にやましいことなんてありません」
「わーかった分かった。そんなにキーキー言わないでよ鬱陶しい」
「誰のせいでこうなってると思ってるんですか」
落ち着け。この人は私の反応を見て面白がってるだけなんだ。激情すれば思うツボ。学校にまた変なことを吹き込まれるかもしれないから注意しないと。
「要さん。いずれ渚くんを交えて正式に三者面談の場を設けますのでそのつもりで」
「そー。勝手にすれば。あ、今度来るときはちゃんと注文してよね。それと営業時間内に」
「……えぇ、そうさせてもらいますよ」
本当は文句の一つでも言ってやりたくなったがここはグッとこらえて私は店を出た。今は彼のことが先だ。
彼はスナックを出て少し歩いたところにある自動販売機の横でしゃがみ込んでいた。ともすれば私も見逃しそうになったけど、ちょうど飲み物を買おうとしたサラリーマンが彼を見つけてギョッと飛びのいたのでその反応で気付けた。まさかそんなところに人がいるなんて思わないもんね。ただ、私が声を掛けたら彼は一目散に逃げ出した。
「ちょ、待たんかっ!」
少し迷って私も駆け出した。準備運動もせずに走り出すのはご法度だけど仕方がない。しかし相手はモヤシっ子とはいえ男子高校生なので追いつけるはずもなく。それどころか私はたった数十メートル走るだけで心臓がバクンバクンと暴れに暴れ、息も絶え絶えになる始末。膝に手をついて息を整えようとしても上手く息が吸えなくて額に変な汗まで浮かんできた。
するとワイシャツ越しの背中に温かいものが触れて「先生、体力なさすぎでしょ」という声と共に背中をさすられた。顔を上げると心配と呆れが混ざったような不思議な面持ちの要くんがいた。
「つい戻ってきちゃいましたよ。これも作戦のうちですか?」
「や、やかま……しいわ……ゼェ……ハァ……」
「運動不足すぎやしませんか?」
「私はそれ以前の問題なんだよぅ」
「はぁ。にしても先生、なんで来たんですか。しかもこんな時間に」
「こんな時間に、はコッチのセリフよ。今何時だと思ってるの」
「いや、それこそコッチのセリフなんですけど……。明日も仕事でしょ?」
そういうところだけは親と同じことを言うんだなぁ。なんだかんだ言って子どもは親の背中を見て育つのか。だとしたら要くんも将来あんな感じになるの? それはいただけない。
「色々と聞きたいことはあるけど、まずそのケガどうしたの? まさか本当にぶつけただけじゃないよね」
要くんが伏し目がちにガーゼで覆われた頬を押さえた。言ってもいいのか悩んでるような様子だ。それはつまり自分の不注意でできた傷ではないと公言しているようなもの。
「母さんにちょっと、引っぱたかれまして……。その時、爪の先がこう、イイ感じにスパーっとね」
「やっぱりあの人か……。なんでそんなことになったのよ」
「なんでもないです。ちょっと言い合いになって……」
「言い合いってつまり口ゲンカでしょ? たったそれだけで暴力を振るわれることのほうが問題よ」
ただでさえネグレクト気味なのに虐待まで加わるとなると、本格的に児相を頼らないといけなくなるかも。ただ、それが必ずしも彼の為になるとは限らない。
「ねぇ要くん。私はキミの味方なんだよ。何が起きたか詳しく説明してくれない? きっと力になれるから」
要くんはまだ迷う素振りを見せていたけど私が諦めの悪いタチであることを知っているからポツポツと語ってくれた。
「昨日、先生と一緒に姉ちゃんの墓参りに行ったじゃないですか。で、そのあといつも通り母さんの店に向かって普段と同じ仕事をしたんです。ただ、一日中動き回って疲れちゃったのか、本当ならやらなきゃいけなかった仕込みを忘れて帰っちゃったんです。だから学校休んで今日の朝からやれって言われて仕込みをすることになったんですけど、その時にちょっとした言い合いになって……」
「暴力を振るわれた、と。たったそれだけのことで……」
「たったそれだけって言っても、前の日に僕が仕込みをするからってちゃんと約束してたんですよ。母さん、夏バテかもしれないけど最近体調悪そうだったから」
「事情はあれどれっきとした暴力に違いはないんだよ。っていうか親子喧嘩でも傷害は適用されるから厳密には犯罪だからね」
要くんは犯罪という言葉に反応して少し困り顔となった。一人しかいない親が逮捕でもされたらどうしよう、なんて考えてるんだろうか。お人好しめ。自分の心配をしろっての。
「先生。今日のことは誰にも言わないでもらえますか。大ごとにしたくないので」
「キミが望むならそうするけどケガは誤魔化しようがなくない? せめてガーゼを剝がすとか」
「大丈夫です。学校の人に見られなければいいんだから」
「いや、簡単じゃないでしょ。手でずっとほっぺた押さえでもしないと……」
「僕、一学期はもう登校しません」
あまりにも平然と不登校宣言をしたから私は一瞬反応が遅れた。
「……は? え、いやいや、ダメに決まってるでしょ」
「でももう少しで夏休みじゃないですか」
「だからキミはちょっとでも欠席を少なくしないとまずいんだってば。このままじゃ二学期からは皆勤賞ペースで来ないといけなくなるよ」
「じゃあそうします」
私は無言で軽くチョップした。
「それが出来るんなら今までだって出来てたでしょ」
「だったらどうすればいいんですか」
「堂々と学校に来ればいいじゃない。年頃の男の子なんだから顔に傷のひとつやふたつくらい出来てたって誰もなんとも言わないわよ」
「でももし、もしも万が一が起こってこの傷の理由がバレたら母さんに迷惑が掛かっちゃう」
話している最中、私は言いようのない違和感を覚えた。要くんは自分じゃなくて母親の心配ばかりしてないか。
「キミはどうしてお母さんをかばうの」
「かばってなんかないです」
「要くん。私の目を見て話して」
私は彼の顔を両手で掴み、無理やり自分のほうへ向かせた。彼はちょっと怖気づいたようだけど抵抗まではしなかった。
「……あんな母さんでもちゃんと優しいところはあるんですよ。虐待みたいな本当に酷いことはしませんから」
「断言できる理由は?」
「こんな僕でも……母さんにはたった一人しか残されていない家族なので」
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