第14話
うん、そうだ。これは要くんに違いない。でも要くんだと確信を持って言えたのは面影があるからじゃなかった。私はこの時代の彼を自分の目で見たような記憶があるのだ。
そんな、でもありえない。私と要くんが直接会ったのは今年の四月。まだほんの二ヶ月半だ。昔たまたますれ違った可能性ですらあり得ない。だって要くんは今年で十七。私は三十歳。この写真の要くんが仮に四歳だとしたら当時の私は高校二年生。学生時代の私に街を自由に練り歩く余裕なんてなかったんだから会っているはずがない。そもそも人と会うことすら稀だったんだもの。
まだ推理していたいけど厨房のほうから要くんの足音が聞こえてきた。どうしよ。直接聞く? でも勝手に写真を見た立場であれこれ詮索するのもどうよ。
結局私は野次馬根性を引っ込めて元の椅子に座った。ややあって戻ってきた要くんのお盆にはグラスにじんわりと汗をかいたカルピスサワーが。
「お待たせしました、カルピスサワーでございます」
「うん、ありがと」
焼きそばに続いてこれもすごく美味しい。香ばしいソースでコーティングされた喉が炭酸ではじけながら洗い流されていく感覚は病みつきになっちゃいそうだ。サワー系なんてほぼジュースだからゴクゴク飲めちゃうし、これはペースを気を付けないと。
あ、そうだ。お酒の力を借りればさっきの写真のことも聞けないかな。いやでもそのレベルだと結構酔わないといけないんじゃ? だとしたら聞いたところで明日の朝には忘れちゃってる可能性がありそう。それに私は体質的に記憶を飛ばすほど飲んじゃダメなのだ。
「要くんはここのお手伝い、もう長いの?」
「高校に入学してからだからまだ一年ちょっとですよ」
「そっかぁ。賃金を貰ってないとはいえ高校生でバイトなんて偉いなぁ。学生のころの私に爪の垢煎じて飲ませてやりたいわ」
「先生の学生時代ってどんな感じだったんです?」
「んー、秘密」
「自分から思わせぶりな態度取っておいてそういうこと言うの、良くないですよ。年齢を聞かれて『何歳に見える?』って答える女の人みたいでメンドくさいです」
「お、言うねぇ。その口ぶりからすると面倒な女の客に当たったことは少なくないね?」
「そりゃもう何回も。ウチの店に来るのってだいたい母さん目当てのおじさんばかりなんですけどたまに女の人も来て、そういう時は母さんが『ああいう疲れた女にはアンタのほうがウケがいいから』って僕が対応することが多いんですよ」
「あー、なんかそういうの分かるカモ。おじさんやおばさんって若者に砕けた態度で接してもらうのを喜ぶ傾向にあるもんねぇ」
「そうなんですか?」
「そーそー」
「先生も?」
「まぁ、悪い気はしない、かな」
「じゃあ先生の昔の話聞かせてよ」
「んー?」
あれ? なんか要くんの雰囲気が変わったような。あー、でもダメだ。ポワポワして頭が回んないや。
「先生、もうその辺にしといたほうがいいですよ。グラス、とっくに空です」
「えー?」
あらホント。呷っても氷が唇に当たるだけだわ。
「先生、めちゃくちゃ酒弱いんなら言ってよ」
「弱くない弱くなーい。こんくらい平気だってぇ」
「絶対弱いじゃん……。このまま記憶なくしたりとかしないでくださいよ?」
「んぇー? だぁいじょぶだよぉ。私、学生時代の記憶とかほとんどないからぁ」
「バカなこと言ってないで。ちょっと、寝ないでくださいよ? もしもーし」
そのあとも要くんはブツクサ呟いていたけど上手く聞き取れなかった。そうこうしているうちにどんどん睡魔が襲ってきて、瞼が鉛みたいに重くなって……なんだか凄く心地良くなって――
★ 二〇一〇年 春 結弦
素人の始球式みたいなフォームでふんわりと投げたゴムのボールが山なりに飛んでいく。買ってもらったばかりのグローブを構えた渚くんがそれを受け取ろうと手を伸ばし――
「あだっ」
——失敗した。
「おらおらーしっかり取らんかー。そんなんじゃプロ野球選手になんかなれっこないぞぉ」
桜の散る公園に転がったボールをトテトテと拾いに行く渚くんの背に向かって鬼コーチのようなセリフを投げる私。控えめに言ってもワルな図だ。砂場で遊ぶ幼い子どもたちは怯え、一緒に来てるママさんたちがドン引きしているけど気にしない気にしない。
「おねーちゃん、もっととりやすいのなげてー」
「甘ったれるでない小僧よ。もういっちょいくぞ」
「えぇー」
大きく振りかぶって星飛雄馬よろしく足を天高く上げるフォームで踏み込み、剛速球(自称)を投げ込むと渚くんの慌てる表情が目に飛び込む。フフフ、うろたえておるわ。そのわりにすっごい不格好だったけどちゃんと捕れていた。え、凄くない? 天才じゃない? これは将来のドラフト一位待ったなしだわ。
初めて落とさずに取れたからか、渚くんは遠目でも分かるほど目をキラキラとさせて自分が捕球したボールを眺めている。うんうん、分かるよ。最初の成功体験って何物にも代えがたいもんね。
「ナーイスキャッチ! さすが私の弟」
「えへへ、やったぁ」
うーん、天使。可愛すぎる。見てみて―と言わんばかりにボールを掲げる渚くんが愛おしくて私はたまらず駆け寄って頭を撫でた。するとワンちゃんみたいに身をよじるから尚のことカワヨイ。調子に乗った私は両手でもみくちゃにした。
「おねえちゃん、くすぐったい」
「んふふー、めんご」
「ね! ね! ぼくすごい?」
「んー! 超すごい! 天才! 守備職人!
「えへへー、じゃあもっかいやる」
まるで完全に飼い主へボール投げをリクエストする小型犬だ。これは私も負けてられないな。
「よーし、いっくよー。ピッチャー振りかぶってぇ」
再び足を高く上げ――スカートの下に体操服のズボンを履いてるから問題ない――私は思いっきりボールを投げた。すると大暴投。しまった、力みすぎた。
「おねえちゃんどこなげてんのぉ」
追いかける渚くんの声が遠ざかる。もちろんダイレクトキャッチなんて無理な話で、転がったボールを甲斐甲斐しく拾いに行く羽目に。すまん弟よ。ノーコンなネーチャンを許しておくれ。しかしアレだな。やっぱり制服は運動するのに向いてないよ。ローファーなんて地面が砂だと滑りまくって全然踏ん張れないもの。
「よーし、今度はちゃんといいコースに投げるからねー」
そして私は再びボールを放る。もしも渚くんがプロ野球選手になったら今日この日のエピソードをみんなにたくさん自慢してやろっと。
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