第13話


「食べたい物のリクエストとかありますか? 普通の家で作れる料理なら大抵なんでも用意できますけど」

「え、んー……焼きそばとか?」

「焼きそばですね。塩とソースどっちがいいです?」

「じゃあソース、かなぁ」

「了解です。いや、かしこまりました、かな」

 そう言って渚くんはエプロンを付けながら厨房へ向かっていく。私は未だ現実感が追いついてない呆けた思考でその姿を目で追った。


 いやいや、いいのかこんな事して。生徒に夕飯を作ってもらうなんてなんか倫理的にというか道徳的にマズいんじゃないの? 教え子とはいえ異性だよしかも。いくらクタクタだったとはいえホイホイついて行くなんてどうかしてるよ、と私は物理的に頭を抱えながらカウンターに突っ伏した。

 それにしても要くん、様になってたなぁ。エプロンの紐を背中で結びながら厨房へ向かう姿だけでも手慣れてることが分かる。この様子だと母親の手伝いをしてるのはほぼ毎日なんだろうね。

 教育上よろしくないんだけどやっぱり凄いなぁ。なーんにも出来なかった私の学生時代とは大違いだ。各自の家庭環境には違いがあるんだからこんな私が学生相手に説教じみたことを言うなんて変な話ね。昔の自分が聞いたら笑っちゃうだろうな。でも案外、立派になったねと褒めてくれるかも。

「ははっ……ないない」


 真っ当な社会生活を送れていることに驚きはするだろうけどさ。それにしても眠たい。今、目をつむったら一瞬で落ちる気がする。昨日の夕方から色んなことが起こりすぎなんだよなぁ。要くんにはただでさえ手を焼かされてるんだから。

 そうやってネガティブになりつつあるところにソースの焼ける香ばしい匂いが漂ってきた。それに釣られたわけじゃないけど私は首の筋が悲鳴を上げるんじゃないかと言うほど勢いよく頭を上げ、鼻腔をくすぐるその匂いに脳内でヨダレを垂らす。空腹だからというのもあるけどやたらイイ匂いだ。私がたまに作る焼きそばとは全然違う。


「できましたよ焼きそば」

「わぁ、すっごいイイ匂い」

「冷めないうちにどうぞ」

 とりあえず考え事はそっちのけにして腹ごしらえにしますか。お腹が空くとイライラしたり怒りっぽくなるとどこかの大学の研究で言ってたし。

「いただきまーす」

「どうぞー。じゃあ僕、裏でフライパンの手入れしてきますから」

「お手入れ? 洗うだけじゃないの?」

「鉄のフライパンだから加熱して水分を飛ばしたあとに油を塗らないとダメなんです。じゃないと錆びたり焦げつきやすくなったりするんで」

「へー、初めて知った」

「……先生って仮にも一人暮らしをしてる大人ですよね。なんで知らないんですか」

 あ、これ呆れられてるパターンだわ。


「だ、だって私が使ってるのってテフロン加工のヤツだしぃ? めんどいから鍋を使うことのほうが多いしぃ?」

「それって湯煎で食べられるインスタント食品が多いってことですよね」

「そ、それだけじゃないわよ。ちゃんと作ってるって」

「例えば?」

「カ、カレーとか」

 今度は無言でジトっとした眼差しを送られた。

「先生、普段ちゃんと食べてます? 栄養バランスの整ったものを」

「た、食べてるって。っていうかモヤシのキミに言われたくないよ」

「僕は朝少なめなだけで昼と夜はちゃんと食べてますから。野菜もお肉も魚もね。でも先生は見た感じ後始末がメンドくさそうな料理はしないでしょ。インスタントの袋麺とか鍋で作って器に移さずにそのまま食べたりしてません?」

「……余計な食器汚さなくて済むから合理的じゃない?」

 あ、とうとう溜め息を吐かれた。なんだろう。ベラベラ喋る私が悪いんだけど大人としての威厳が著しく損なわれた気がする。


「先生、そんなんじゃ結婚できませんよ」

「やかましいわ。余計なお世話じゃ。それに前にも言ったけど結婚なんてするつもりありません。私は一人がいいんだよ」

「でも年とっておばあちゃんになった時に一人だと寂しくありません?」

 年をとっておばあちゃん、か。

「キミ、なかなか面白いジョークを言うね」

「は、はぁ? 別にジョークなんて言ったつもりじゃ……」

「いいからいいから。とりあえずわたしゃこの美味しい焼きそばをいただくとするよ。せっかく作ってくれたのに冷めたら悪いからね」

 説明が足りないからか、要くんは不満げだった。でもそばを啜って「んー! すっごい美味しい。今まで食べた焼きそばの中で一番美味しいよ」と言うと少し頬を緩めて――それでもプライドがあるのかそっぽを向いて――「お、大げさですよ。こんな焼きそば、どこでも作れますし」と言っていたところを見るとまぁまぁチョロそうだ。


「にしてもキミの前だとなーんかいらんことまで話しちゃうな」

「そりゃどーも」

「どうもタガが緩んじゃうんだよねぇ。知り合って間もないって気がしないし」

「奇遇ですね。僕もですよ」

「お、ホント?」

「えぇ。だってウチの店に来る女のお客さんはみんな先生みたいにだらしない人ばかりなんで」

「……シツレーな奴」

 性格はこの焼きそばのちぢれ麺みたいに曲がりくねってるのに料理の腕は確かなのが恨めしいな。なんだかんだ言ってあっという間に完食してしまったのも悔しい。


「ごちそうさまでした」

「お粗末様でした」

「いやー、ホントに美味しかったよ。ソースの甘辛さが絶妙だね。この店オリジナル?」

「そんなところです」

「売ってくれない?」

「ダメです」

「ケチ」

「だってそんなことしたら先生ウチに来なくなるでしょ。貴重なお客さんをますます逃すようなことなんてしませんよ」

「あら、意外と商魂たくましいのね。じゃあ食後のドリンクでも見立ててもらおうかな。オススメある? 度数が低ければお酒でもいいよ」

「オススメ、ですか。酔っ払ったお客さんに人気があるのはグレープフルーツですね。果糖とビタミンCがアルコールの分解を助けてくれるので」

「あー……ごめん。グレープフルーツはダメなんだ私」

「苦手でしたか? 確かに人を選ぶ味ですもんね」

「うん。ていうか果物全般は基本NGなの」

 全般と言うとさしもの要くんでも驚いたみたい。


「アレルギーですか?」

「まぁ、そんな感じ」

「じゃあ無難にカルピスサワーなんてどうです? 今の時期によく合いますよ」

「お、いいねー。じゃあそれをいただこうかな」

「かしこまりました。それでは用意しますので少々お待ちください」

「そんな店員さんみたいな敬語使わなくていいってー」

「こうやって慣らしとかないとついうっかりってことがあるでしょ」

 うーん、一理ある。一歩上をいかれた私は大人しく待つことにした。焼きそばは高校生男子でもそれなりにお腹が膨れそうな量があったので私の腹の虫はすっかり機嫌を直して眠りについたようだ。

 しかし問題は私本体である。疲労が溜まった体に満腹のダブルパンチ。これはヤバい。焼きそばだけ食べてとっととズラかれば良かったかも。でもそれだとせっかく誘ってくれた要くんに失礼じゃないかな。食欲だけ満たして帰る女って男の子から見たらどうなんだろう。


 とりあえず座ってたら落ちちゃいそうだから立って散策でもしよ。人様のお家だけどお店だから許してくれるでしょと自分に言い聞かせた私は軽く店内を練り歩いてみた。もちろんスナックなんてどこも大して広くないから――むしろ広いと風情がないまであるので――探索できる範囲なんてたかが知れてる。

 それでも壁に掛けられている絵だったり棚とテーブルにチマチマと置かれている動物の小物を見ていれば意外と飽きない。そのまま棚の上の小物たちを追っていくとフォトフレームに飾られた一枚の写真に辿り着いた。

「なんの写真だろ……」

 そこに写っているのは太陽が燦々と降り注ぐ芝生の上で撮られた家族写真らしきものだ。しかし写真の中の人たちは年代がどうにもチグハグだった。並んでいる三十歳前後の男女が夫婦だとして高校生くらいの女の子と四、五歳くらいの男の子との関係は? まさか娘と息子なわけないよねぇ。だとしたら親が若すぎる。

「あれ? この男の子、どこかで見たような……」

 女の子にも見えるくらい綺麗な顔立ちをしていてお日様の下に素肌を晒すのがヒヤヒヤするほど色素が薄い幼子。目を離したら一瞬のうちに姿を消してしまいそうなくらい儚げなこの男の子は――

「要、くん?」

 

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