第12話

 ☆ 要 渚


 昨日の夕方、慌ただしく帰っていった事なんてなかったとでも言うように今朝の先生は普段通りだった。朝のホームルームが終わってから昨日先生が帰ったあとタッチの差で母さんが戻ってきたことを伝えたら「あーんもう、ツイてねー」と心底残念そうにしていたっけ。これでいつもと変わらない毎日がまた始まると、夕方まではそう思っていた。


 にわかに教室の空気が変わったのは最後の授業と掃除が終わってから帰りのホームルームが始まるまでの自由時間だ。うるさいから聞きたくないけどどうしたって耳に入る周囲の声にちょっと神経を集中させると

「昨日の不審者情報って結局なんだったんだろ。ウチの生徒が犯人みたいな扱いだったけど」

「さぁな。つうか他のクラスは朝のホームルームで情報展開したってのになんで俺たちのクラスだけやってねーの?」

「アタシに聞くなし。飛鳥井センセって結構おっちょこちょいだから単に忘れてただけなんじゃない?」

「ありえる」

 などといった声が上がっていることに気付く。不審者か。最近そういうの多いもんな。暖かくなってきたら変な人が増えると言うし、そのうえ学校や保護者サイドは昔と比べると敏感になってるし。


 けど僕には関係ないから先生が来るまでちょっとでも寝ておこう。さすがに連続早上がりはさせてもらえなかったのと客入りが良かったので昨日は遅い時間まで母さんを手伝ってたから眠いんだ。前の日が快眠だったからなおさら。

 しかし机に伏せた途端に背中を指でチョンチョンとされた。誰だと思ったら席替えで僕の真後ろの席になった夏目さんだ。クラス委員をやるくらい真面目な夏目さんの前では授業中の居眠りなんてもってのほか。今もその血が疼いて僕を起こそうとしたのかもしれないけどさすがに休憩時間くらいは勘弁してもらいたい。

 とはいえ夏目さんには『教師の中には授業中に寝ると起こさない代わりに問答無用で出席点を引く人がいるから気を付けてね。要くん、もう結構休んでるから』と目を掛けてもらってるので強く出られないのだけども。


「要くん聞いた? 隣の中学校に通う女子に声をかけた不審者のこと」

「いや全然知らない。もしかしてみんなが色めきだってるのってその話?」

「もしかしなくてもそれに決まってるよ。学校中その話題で持ちきりだもん」

 暇なんだな、みんな。たかだか不審者ごときで。そんな人ごまんといるだろうに。

「要くんってそういうの興味持たないよね。我関せずって感じ」

「まぁ、興味を持ったところでどうしようもないし、自分には関係ないから」

「そういうドライなところ、要くんらしいね」

 僕らしいってどういうことだよ。


「ねぇねぇ。要くんって普段なにしてるの? 学校休んでばっかだし、来たら来たで誰ともツルまないし、そもそも席に着いた瞬間寝ちゃうから気になるんだよね」

「……別にコレといったことなんてしてないよ。眠いのは……体質」

 苦し紛れに答えると夏目さんは控えめに吹き出した。でも僕はそれで苛立ったりなんてしなかった。むしろちょっとだけホッとしたくらいだ。僕は自分と話す女子が笑うところを見た記憶がほとんどなかったから世界に許されたような気がして。

「要くんって嘘吐くのヘタだね」

「そう、かな」

「うん。それにさ、いつも一人でいることが多いのに飛鳥井センセとは仲が良いよね。飛鳥井センセとだけ親密って言ったほうが近いかもしんないけど」

「まさか。仕事上、担任だから休みまくる生徒のことを気にしなきゃいけないだけでしょ」

「一理あるね。でも私たちの去年の担任は全然だったじゃん。むしろ面倒事は御免だって感じの人だったし」 

「飛鳥井先生はお節介が過ぎるくらいだよ。僕としては去年のがやりやすかったんだけどね」

 名前はおろか顔も忘れちゃったんだけどね。なんだったら夏目さんが去年も同じクラスだったことでさえ『あ、進級初日からサボった要くんだ。今年も同じクラスだね』と言われるまで気づかなかったくらいだ。


「要くんはそうやって誰でも彼でも拒むの?」

「拒んでるわけじゃないよ。実際、飛鳥井先生にはズケズケ踏み込まれてるし」

「ってことはやっぱり飛鳥井センセとは仲が良いんだね」

 なんでそうなる。

「でも要くんがそんな風に他人と触れ合うなんて不思議。なんで? 飛鳥井センセのこと好きなの?」

「そういうのじゃないよ。ただ、親しみやすさは感じるけど」

「親しみやすさ、かぁ。どんなどんな?」

「どうって、なんて言うのかなぁ。上手く言えないけど初めて会った時から初対面って感じがしなくてさ。あんまりにも馴れ馴れしいから実は昔から知り合いだったっけって勘違いしそうになったんだよ。僕が幼すぎて忘れてただけとか。そんなわけないんだけどさ」

「ふぅん。意外とスピリチュアルな感じなんだ」

「そうかな……そうかも」

「お、噂をすれば」

 夏目さんが廊下のほうへ目配せしたのでそっちを追うと、今日も今日とて暑苦しいスーツ姿の先生が見えた。でもなんだろう。心なしか横顔が不機嫌そうだ。


「先生、なんか嫌なことでもあったのかな」

「私にはいつもと変わらないように見えるけど?」

「……じゃあ多分僕の気のせいかな」

 先生は足音も静かでドアだって必要以上にそっと開ける。その癖は今日も健在で、苛立っている時ならなかなかそうはいかないだろうからやっぱり考えすぎだったかもしれない。 

「はーい静かに。ホームルーム始めるよ」

 声色も普通だ。その後のホームルームもおかしな点は見受けられなかった。ただ、クラスのお調子者の男子・田中が「センセー、不審者情報のことなんで俺たちのクラスには言わないんですかー?」と聞いたら少しだけ風向きが変わった。


「え、あぁごめんごめん忘れてた」

 眉を上げて目を普段より少しだけ大きく開く。いかにもとトボけた感じで。すると田中は「やっぱりなー。先生おっちょこいだもんな」と笑った。もちろんバカにするような嘲笑ではなく、その方が親しみがあってイイという前向きな笑い方だ。お調子者に釣られてほかのクラスメイトたちからも笑みがこぼれたけど少なくとも僕は全く表情を変えなかったんだ。だって今の、笑うところか?

「そーそー。私ってばホント昔っからドンくさくてねぇ。体なんておばあちゃんかってくらい満足に動かせなくてさぁ。参ったよ」

「マジ? でも今は元気そうじゃん?」

「ま、頑張ったからね」


 僕らは高校生だ。間違いなく大人ではないけど子どもというには年を取りすぎた中途半端な年齢の。だから先生の過去に何かあったんだろうなという事はさしものお調子者でも察したらしく、教室の空気がシンとなった。

そのわりに先生はこのタイミングを好機と捉えたのか、さっさとホームルームを済ませてしまった。結局、不審者情報については軽く触れただけで「アンタたちも気を付けなさいよ。ちなみに男子は変質者よりも襲わないほうに注意しなさいね」と冗談だかボケなのか判別しづらいことを言っていた。


☆ 飛鳥井 こころ


「はぁ~、つっかれたぁ。今日はもうご飯食べてお風呂入ったら寝よ」

 夜七時。ぼちぼち夏至なのでこの時間でも明るいけどそれがまだ働けと言われているようで却って疲労感を加速させている気がする。本当は何もせずに寝たいけど。なんだったらお風呂上がりのスキンケアですらサボりたいくらい。ご飯作るのも面倒だし、レトルトカレーとかでいいかなぁ、などと考えながら校門を通り抜けようとしたら脇のほうに親の顔よりよく見た後頭部がちょこんと。


「……なにしてんの、キミ」

「なにって、先生を待ってただけですけど」

 そこには三時間も前に下校したはずの要くんがいたんだ。

「キミ、今の今までずっとここに居たワケ?」

「そうですけど」

 顔色ひとつ変えずに言うので私は思わず「え、バカなの?」と言ってしまった。

「仮にも教師なんだからもうちょっとオブラートに包んでください」

「あ、ごめん……じゃなくてだね、なーんで忠犬ハチ公みたいにずっと待ちぼうけ食らってんの。連絡くらいくれれば良かったのに」

「でもそれだと先生の仕事の邪魔しちゃうと思ったんで」

「そんな気を使わなくても生徒の頼みならすっ飛んでいくよ。教師だもの」

「や、ほんとに大した用事じゃないので終わってからで良かったんです」

 お互いに道の譲り合いをしているようで埒が明かない。ここは彼の意思を尊重しておこうか。


「そこまで言うなら……。ちなみになんの用?」

「えっと、先生、お腹空いてません?」

「どしたの急に」

「いいから、空いてるか空いてないかどっちなんですか」

「な、なんなんだよぅ。そりゃ空いてるけど」

 妙に押しが強いので私は一歩あとずさった。妙だな。引っ込み思案な要くんはこんな風に自分から話題を作ることなんてしなかったのに。いったいどんな心境の変化があったのやら。


「あの……今日は母さんのスナック、定休日なんです」

「そうなんだ」

「はい。だからその……」

「うん?」

「今からウチに来ませんか?」

「……へ?」

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