第11話 

 * 


「母さん、ただいま」

 学生服を着たままの要くんとスーツの私が陽の高いうちからスナックに入っていく様は限りなくシュールだ。特に隠れもせずに堂々と入っていったせいで何人かの視線を背中に感じたけど今はそんなことどうだって良かった。


 開店時間までまだ二時間はあるから天井には照明が灯っておらず、店内は薄気味悪さを感じるほど暗い。それでも要くんは慣れた様子でカウンターの中まで進み、電気のスイッチを入れた。そして何かを探すようにキョロキョロと。

「先生、ちょっと母さん探してくるんでカウンターにでも座って待っててください」

 そう言い残して要くんはバックヤードに消えていった。途端に手持ち無沙汰になった私は取り敢えず近くのカウンターに腰掛けた。背もたれがなくてやたら高い位置に座面があるから足が床に届かない年季が入ったカウンターチェア。革の裂け目から中のスポンジが今にも飛び出そう。

 私はこういったお店とはトンと縁のない人生を送ってきたんだけど不思議と落ち着く。実家のような安心感がこのこぢんまりとした空間にはある。言い換えればここで生まれ育ったような、そんな感じだ。


「変なの」

「何がですか?」

「うわビックリしたぁ。戻ってたんなら言ってよ」

 要くんが普段のお返しと言わんばかりに気配を消して現れたから驚いた。でも一人だ。てっきり母親を連れてきたのかと思ってちょっと身構えちゃったじゃない。

「すみません先生。母さんまだ寝てるのかと思ったんですけどどこか行ってるみたいです」

「そっかぁ。買い出しかな」

「多分……。エアコンつけっぱなしで出て行ってるからそんなには待たずに済みそうですけどどうします?」

「んー……早急に解決しないといけない問題だから迷惑じゃなければ待たせてもらおうかな」

「だったら冷たいもの入れてきますよ」

「あー、いやいい。大丈夫。エアコン効いてるし、さっきも飲んだから体が冷えちゃいそう」

「前から思ってましたけど先生って寒がり……というより冷え性ですよね。もう夏だってのに平気な顔でスーツ着てるし、手も冷たかったし」

「え? 私、キミに手ぇ触られたことあったっけ?」

 まるで身に覚えがない。すると要くんは呆れたように「つい先日どころか昨日のことですよ。帰ろうとした僕の手を掴んだじゃないですか」と言った。


「どうしよ。全然覚えてないよ。完っ全に無意識だったっぽい」

「……無意識でもああいうのあんまりやらないほうがいいですよ」

 何故だかたしなめられた。

「どうしてさ」

「や、その……勘違いする人が出てくるかもしれないし?」

 気まずそうに目を逸らして頬をポリポリと掻きながら言う要くん。心なしか頬が赤いような……? あ、なるほど。その意味を理解した私は「ないない」と笑って手を振った。


「若い先生ならまだしも私なんて今年で三十だもん」

「……先生ってなんか危なっかしいですね」

「なーにそれ。どういう意味よぅ」

「そういうトコですよ」

 小僧め。またワケ知り顔でほざきおって。

「そういうキミはさぁ、彼女とかいないの?」

「いるように見えます?」

「ぜんっぜん見えない。キミの彼女はすっごい苦労しそうだもん」

「その言葉そっくりそのままお返ししますよ」

「あははー、こりゃ一本取られたわ」

 こうしてサシで話せば冗談を言う余裕くらいはあるんだなぁ、この子。母親が絡んだ話をすると陰が差したように目から光が失われるのにね。


「先生は結婚とかするつもりないんですか」

「ないね」

「まったく?」

「うん」

 どちらも即答すると要くんは珍しく食い気味に「なんでですか?」と聞いてきた。一応色恋沙汰に興味はあるのね。それはそれとして私に結婚願望がないのは神代先生みたいに事情を知る人からすれば当然っちゃ当然なんだけど要くんにはなんて説明したものか。

「しいて言えば……未来がないからよ」

「未来? あの、それってどういう――」

 その時、要くんの言葉を遮るように私のスマートフォンがけたたましく鳴り響いた。まるで追及することは許さないと言わんばかりに。

「ごめん電話だ。丸井先生から」

「あ、はい。どうぞ出てください」

「悪いね。はいもしもし」

〈ちょっと飛鳥井先生。今どこにいるの?〉

「今ですか? 今は……」

 あーどうしよ。家庭訪問すること誰にも言ってなかった。

「ちょっと生徒の相談に乗ってまして」

〈相談? それって学校の敷地の外での話?〉

「まぁ……そうですね」

〈もしかして例の要くん?〉

「そうですよ」

〈はぁ……とにかく大至急学校まで戻ってらっしゃい。緊急職員会議よ。その要くんのことでね〉


 私は驚きを禁じ得なかった。なぜ要くんのことで緊急の職員会議が開かれなければならないのだ。とにかく本人に聞かれないように私は席を離れて口元を覆いながら「要くんが何かしたんですか?」と聞いた。

〈私も詳しくは知らないけど今朝、近隣の中学校の女子生徒が通学路の途中の踏切で不審者に話しかけられたって情報が寄せられてね。話しかけられた場所と時間、それと制服や容姿から要くんの可能性が高いんじゃないかって話が出て……あぁもう詳しいことは会議で話すから〉

 言うだけ言って電話は切られた。私の頭は依然として困惑していて要くんに名前を呼ばれるまで呆けてしまった。なぜ要くんがそんなことを? 何かの誤解か間違いじゃないの?


「先生、顔色悪いですよ。元からそんなに良くないですけどどうしたんです?」

「あ、うん……いや、なんというか、ねぇ」

「?」

「ちょっと緊急の職員会議が入っちゃったから学校に戻らないといけないの」

「そりゃまた本当に急ですね。何かあったんですか」

 その”何か”はどうやらキミみたいなんだよね。もちろん本人に言えるはずもないので私は「説明してる時間もないっぽいからとりあえずダッシュで帰るわ。お母さんによろしく伝えといて」と誤魔化した。

 お店を出るとさっきまで晴れていたはずの空がドンヨリとしていて今にもゲリラ豪雨に見舞われそうだった。私にはそれが自分たちの行く末の暗示のように見えて気味が悪かったから俯きがちに、そしてゆっくりと学校へ向かったんだ。


「私も要くんのこと言えないなぁ」


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