第10話

「僕を呼び出した理由ってやっぱり昨日のこと、ですよね」

「話が早くて助かるわ」

「まぁ、逆の立場だったら確かに気になりますし……」

「なら単刀直入に聞くけど、キミは昨日あそこで何をしてたの? 学生がうろつくにはあまり相応しくない場所だって分かってるでしょ」

「学生なんて僕のほかにもいたじゃないですか。デカいぬいぐるみを抱えた女子高生とか」

「いたわね。でも明らかにゲームセンター帰りだって分かる格好だった。おおかたボウリングやカラオケのついででしょ」

「さぁ、そこまでは知りませんけど。僕そういうトコ行かないんで」

「奇遇ね。私も学生の頃はトンと縁がなかったわ」

「そうなんですか? 友だち多そうなのに」

「ぜーんぜん。私、引きこもりがちだったから」

 そう言うと要くんは珍しいものを見るような顔つきとなった。


「どしたの」

「いや、普通そういうのって明け透けに話さないからちょっと意外に思って」

「あぁいいのいいの。学生時代のことなんて大人になったらマジでどうでもいいから。考えてもみなよ。人生は大人になってからのほうが遥かに長いんだよ? たった十年かそこらの事をいつまでも引きずるわけにはいかないでしょ」

「それはそうですけど……」

「なに? まだ何か不満でも?」

「不満というか、先生に正論を言われるとちょっと悔しいというか……」

「キミは本当にちょいちょい失礼だね」

 おしおきに脇腹をグーで軽く小突いていた。そのせいで彼の細さが浮き彫りになったけども。シャツ越しに指の背が一瞬触れただけなのに。ちゃんと食べてるのかな、この子は。


「本題に戻るけどキミは昨日なにしてたワケ?」

「そのまま忘れてくれれば良かったのに」

「そうはいくもんですか。コーヒーだって奢ってあげたんだから」

「……ご自分でもおっしゃってましたけど先生は執念深いですね」

「あいにくそれしか取り柄がないもんで」

「言ってて悲しくならないのかな。とにかく僕はやましい事なんてしてませんから」

「ホントに? 夜のお店で客呼びのバイトとかしてない?」

「しませんよそんなこと。僕にキャッチなんか出来ると思います?」

「んーん。全然まったくこれっぽっちも思わない」

「じゃあ言わないでくださいよ……」

 ただまぁ、中性的で可愛らしい顔をしているからソッチ方面に需要がありそうで怖いんだよ私は。


「まだ何かありますか? なければもう帰りますけど」

 私は悩んだ。多分これから私がする行動は教師として、異性として好ましくないことだと思う。思う、じゃない。確実によろしくない行為だ。けれど思春期の男子を慌てさせるにはこういうのが一番手っ取り早いんだ。許してね。私は彼の胸元に鼻を寄せて息を吸い込んだ。

「ッ……! ちょ、先生ッ。な、なにしてるんですか!」

 明確な動揺。私の体を押し返すかどうか悩んで行き場を失う左手とコーヒーをこぼすまいとする右手の葛藤が彼の心情を如実に表しているように見える。


「シャツ……ちゃんと変えてるね。良かった」

「は、はい?」

「昨日のキミ、ちょっとタバコ臭かったんだよ。ほんのちょっとね。私はこれで結構鼻が利くんだ」

 演技めいた仕草で自分の鼻の頭を人差し指でトントンと叩く。我ながらクサイ芝居だ。こんなところ誰かに見られたらヤバいヤバい。明日から出勤できなくなるなぁ。

「健全な学生が立ち寄る施設でタバコ臭くなる場所はこの令和の時代には無いに等しい。そんな匂いが今日も残ってたらシャツを変えてない証にもなる。それは洗濯機を毎日回せない環境に置かれているってコト。疑われるのはネグレクトや極端な貧困。それこそ、自分も働かなきゃいけないほどの、ね」

 要くんのこめかみを汗がひとすじ伝った。


「これでも教師だからさ。一般的な生活から外れかけてる生徒は見過ごせないんだよ。そのうえでもう一度聞く。キミは昨晩、どこで何をしていた?」

「……」

「確かお母さんはスナックをやっているだってね。あの辺りにそういう店があったような気がするなぁ」

 要くんが顔を背けて舌打ちした。怒るっていう感情はちゃんと持ち合わせてるのね。

「労働基準法第六一条って知ってる? 十八歳に満たない者はたとえ本人の希望があったとしても午後十時から午前五時の間は働いちゃいけないんだよ。一応例外はあるけどこれを破ると使用者、つまりキミのお母さんが罰せられる。家族が経営するお店で一切の賃金を貰ってないのなら限りなくアウトに近いグレーだと見なされてギリッギリセーフかもしれないけどね」

「……先生は僕と母さんを強請ゆすりたいの?」

「いーや別に。ただ、以前も言ったと思うけどキミが本当はもっと学校へ通いたいのにお母さんの手伝いをしてるせいでそれが叶わないのなら、私は教師としてあなたの母親と真っ向から向き合わなければならない。それだけだよ」

 学校に通いたくても通えなかった人の苦しみを私はよく知っているから。


「今だから言うけどキミと初めて会った時から違和感はあったんだよ。キミは夕飯のお使いでスーパーに来たと言っていたのに肉や魚みたいな生鮮食品の類がカゴに全く入ってなかった。コロッケとか揚げ物なんかの惣菜も。他に買ってたのはバナナとスティックのパン。どっちも六本組。食の細い子が朝食で一本ずつ食べるにはいい塩梅の量だなと思ったよ」

「……でしょうね」

「それと確かあの日は春休み最終日の月曜だった。火水木金土。六本あれば次の買い出しは日曜で済む。学校が休みだからちょうどいい日だね。で、極め付けはカツ丼。どこからどう見ても一人前の、ね。キミの買い方は単身者のそれと同じだったんだよ。年ごろの男子がそんな買い物をしてたら違和感を持つなと言うほうが難しい」

 少し罪悪感を抱きながら言うと要くんは観念したように「これからはおちおち買い物もできませんね」と肩をすくめた。

「あと、ひとつだけ気になったのは毎日の夕飯。その様子じゃお母さんは作ってくれてないみたいだし、どうしてたの?」

「手伝ってるスナックで自分で作ってます。まかないみたいな」

「ははぁ、そういうことね。いつか私にもご馳走してよ。お金は払うからさ」

「味の保証はしませんよ」

「オーケーオーケー。じゃあ早速頂きに行こうかな」

「え、今から?」

「キミの置かれた状況を鑑みてあまり悠長なことは言ってられないと判断したんだ。連絡がつかないからアポが取れないなんて日和ってる場合じゃない。お母さんはお店に寝泊まりしてるんだよね? じゃあそこに行けばほぼ確で会えるでしょ。善は急げだよ」

「い、いやちょっと待ってくださいって。展開が早すぎますよ……」

「留年したいの? 卒業したくないの?」

 そう聞かれて心からうんと頷く子なんていてたまるか。要くんだって本心ではそう思ってるはず。だけど私の予想とは裏腹に彼は目を伏せて「……分かんないです」と言ったんだ。


「分からない?」

「僕、自分がどうなりたいのか分からないんです。将来なにをしたいかとかじゃなくて生きていたいのか、死んでも構わないのか、そういう意思みたいなものが全くないんです。極端な話、明日事故で死んでも特に未練はありませんし」

 私は飲み終えたカフェオレの缶をゴミ箱に捨てた。

「要くん、それ飲んだ?」

「え、はい」

「じゃあ行くよ」

 自分でも声がトゲトゲしくなっていることが分かる。ダメだなぁ。こんなので感情が揺さぶられるなんて青い証拠だ。でも、どうしても我慢できなかったんだ。まだ人生の酸いも甘いも知らない若造が自分の命をどうでも良く思っていることに。昔の私が聞いたら貧相な腕でぶん殴っていたに違いない。

「先生、行くって……本気で?」

「当たり前でしょ。キミをそんな風にした親とやらのご尊顔を拝みにね」



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