第7話
☆ 飛鳥井 こころ
梅雨入りして空気中の水分が肌にまとわりつくような不快な暑さを伴うようになってきた六月のある日の放課後、私は要くんを職員室に呼び出した。
「家庭訪問、ですか……」
「そ。理由は言わなくても分かってるでしょ」
バツが悪そうに頷かれるとこっちが悪いことをしてるみたいで気が引ける。とはいえ半分は自分で蒔いた種なんだから観念しなさい。
「以前キミの家にお邪魔させてもらった時に親御さんと話をする場を設けるって言ったけど未だに連絡がつかないの。初めは留守電を入れてたんだけど最近は繋がらないまま切れちゃうし」
「あー……母さん、面倒になって留守電オフにしちゃってるのかもしれません」
「やっぱりねぇ。折り返しの電話もないし、明らかに避けられてるよね私」
なにか嫌われるようなことでもしたかな。まぁ、鬼のように何度も電話を掛けてたら鬱陶しがられても仕方ないか。着信拒否されてないだけマシだと捉えよう。
「それと要くん、今のペースでサボり続けてたらマズイの、自分でも分かってるでしょ」
「……はい」
「ちなみに今の欠席日数、自分で把握できてる?」
「えっと、昨日休んだので十七日です」
「そう。今日は何日?」
「六月十二日、です」
「うん。留年目安になる欠席日数はだいたい六十日だから月に五、六回休んだらアウト。そのうえキミは遅刻も多い。ウチの高校は登校した時間に関わらず三度の遅刻で欠席扱いになる。それを踏まえるとキミは完全に留年ペースなのよ」
「……気を付けます」
「何回も聞いたよそのセリフ。でも一向に改善されないじゃない」
「……」
「留年はイヤでしょ? とにかくやりづらいもんね。一個下の子たちと同じクラスになっちゃって腫れ物みたいな扱いを受けるし、同級生だった子たちからは変に気を遣われちゃうしさ。実際のところ、留年しちゃった子って一学期持たずに退学しちゃう可能性が高いの。せっかく元気に学校へ通えてるのに自分からその権利を手放すなんてもったいないじゃない」
「それはまぁ、はい」
運動部の生徒みたいに手を後ろで組んではいるけど猫背で撫で肩の要くんからはおよそ覇気というものが感じられなかった。
「ねぇ要くん。同じ質問ばかりして悪いけど本当にご家庭に問題はないの? 何か理由があって通いづらいんなら正直に言って」
「……ないですよ。ただ単に朝起きられなかったりしたら行く気が失せるだけです」
「そんな答えで私が満足するとでも思ってる?」
「思いませんけど今日のところはそれで満足してくださいよ」
はぁ……ナメてるのかなこのガキンチョは。
「要くん。怒らないと分からない?」
「……いえ」
「だったらコレからの学校生活を改められる?」
「努力はします」
まるで気持ちがこもってない。ここは一発ガツンと言ったほうが本人の為なんだろうけど他の先生たちの手前、本気で怒るのもなぁ……。近ごろはパワハラだセクハラだなんだとうるさいし、このまま押し問答してもキリがないか。
「とにかく、親御さんに家庭訪問の都合がいい日を聞いて折り返し連絡してもらえるよう伝えること。分かった?」
要くんは少し間を置いてから返事をして職員室を出て行った。これはまた一筋縄ではいかないだろうなと考えると憂鬱だ。この子の親御さんは自分の息子が不登校気味なことをどう思ってるんだろう。まさか知らない、なんてことはないと信じたいけどね。
* 要 渚
「ってことがあったんだ」
もうすぐ開店時間を迎えるスナックで母さんは自分宛ての手紙を熱心に読んでる。最近届いたある人からの手紙だ。あんまりにも真剣な眼差しで読んでいるからカウンターテーブルを磨く僕の話が耳に届いているのか怪しい。
「母さん、聞いてる?」
「聞いてるわよ。出席日数がヤバくて今年こそ本当に留年しそうだから保護者とちゃんと話す場が欲しい。そういうことでしょ」
「……うん」
聞いてたんなら相槌の一度や二度くらい打ってもバチは当たらないのに。
「だから母さんの都合のつく日がないかなぁと思って」
「無理」
にべもなく断られた。検討の余地すらないってか。
「でも先生が折り返し連絡くれって」
「アンタが明日学校で伝えれば良いでしょ。『母は忙しくて無理です』って」
「それを言わなきゃならない僕の身にもなってよ」
その瞬間、母さんは目だけで僕を射すくめた。ヘビみたいなこの目が僕は苦手だ。睨まれてるわけじゃないのに体が動かなくなる。おまけに鳥肌まで。
「か、考えてもみてよ。万が一言えたところでまた
「そう。じゃあコッチからも一回ガツンと言うしかないわね。去年みたいに」
「そういう荒々しいのはやめてよ。僕まで変な目で見られるんだから」
「なによ。アンタだって嫌なんじゃないの?」
「……まぁ、ほっといてほしいなって思うことはあるけど」
「ほらみなさい。嫌なら嫌ってちゃんと態度で示さないと相手はすぐに図に乗るんだから。アンタだってここにいたら面倒な客の一人くらい見たことあるでしょ」
「……そう、だね」
母さんは時々しつこい客に絡まれることがある。絡まれるというより熱烈なアプローチを受けると言ったほうが正しいかもしれない。ほとんどが酒に酔ったサラリーマンなんだけどたまにガチ恋してる中年のおっさんがいて、奥のキッチンで皿洗いや焼きそば程度の軽食を作る僕はそれをハラハラしながら見守ることもしばしば。母さん、アラフィフなんだけど結構モテるんだよなぁ。こんなおばさんのどこが良いんだか。まぁ、年齢より若く見えることは事実だけど中年の考えることは分かんないや。
「とにかくさ、明日は欠席どころか遅刻ですらヤバいから今日は早めに上がるよ。週末じゃないしそんなにお客さん来ないだろうから大丈夫だよね」
母さんは拗ねちゃったのか、頬杖を突いてそっぽを向いてしまった。ちょいちょい子どもっぽくて困る。仕方ない。話題かえよ。
「その手紙、例の人から?」
「そうよ」
「あれから何年も経つのに律儀な人だよね。こっちから返せないことも知ってるのにさ」
「……そうね」
「……」
年に二、三度届くその手紙には差出人の名前がない。僕らはその相手がどんな人なのかおおまかには知っているけど、裏を返せばそれくらいしか知らない。ただ、一つだけ確信していることがある。この手紙が届かなくなった時、差出人はもうこの世を去っているということだ。
「じ、じゃあ僕一旦帰るから」
学校帰りにそのまま店に寄ったから僕は当然ながら制服のままだ。客の前に出ることは稀にしかないけどいかにも学生ですという出で立ちはマズい。お客さんの中には少数だけど女の人もいるし、ちょっと刺激的な目に遭うこともあるので。そのおかげで女の人への耐性がついてしまったのは皮肉だけども。ちなみに母さんは僕がサイズの小さな古着ばかり着るのが嫌なんだそうだ。だから制服のほうがマシなんだとか。
さて、開店時間まであと一時間。実際に客入りが良くなるのはもっと後だから少し余裕はあるな。母さんはまだ手紙に夢中みたいだから今のうちに帰ろう。そう思ってドアノブに手を掛けたと同時に「渚」と呼ばれた。
「……なに」
「お店、いつも手伝ってくれてありがとね」
「……うん」
外に出て後ろ手にドアを閉めた僕はひとつ息を吐いた。
「そういうところ、ズルいよなぁ……」
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