第6話
*
ゴールデンウィークが過ぎ、中間テストも終わった。で、今日の授業は主にテスト返しと解説。それくらいなら代役を頼みやすいので私は有給を取って朝から総合病院へ足を運んだ。半年に一度の検査があるからだ。
「うん。今回も異常は見受けられません。良かったわね、飛鳥井さん」
「どうもです。でも日に日に衰えを感じてますよ」
「そりゃ生き物だもの。普通の人間でも三十歳になればそれなりにガタが来るわよ」
目の前でしみじみと語っているのは私の主治医、
「どう? 新しい学校にはもう慣れた?」
「あ、はい。それはもう全然問題ないです。約一名問題児がいることを除けば、ですが……」
「問題児ねぇ。どんな感じの? 古風な不良だったり?」
「いやぁ、なんというかすんごいサボリ魔なんですよ」
「しょっちゅう休んでるってこと?」
「そうです。あと遅刻も多いですね。勉強はそこそこ出来るのに生活態度と出席点だけで成績的にはかなりマイナスになるから勿体ないですよ。あとね、めっちゃくちゃ生意気なんです」
思わず拳に力が入る。
「普通の子より大人びてはいるんです。でもそのせいか『僕、人生のあれやこれやのことよく知ってますよ』感を出してて、たかが十年そこらしか生きてないくせになーに訳知り顔しとんじゃい、みたいな……どうしたんですか先生?」
肩がちょっと震えてる。
「もしかしなくても笑ってません?」
指摘すると先生は誤魔化すことをやめたように「フフッ」と。お上品に手を口元に当てても無駄ですよ。
「先生……。人が真面目に話してるのに」
「いやーごめんごめん。だっておかしくって」
「今の話におかしなポイントありましたっけ?」
腕を組んで首を傾げる私。どちらかと言うと苦労話なんだけどなぁ。
「その生意気な子。昔のあなたにそっくりじゃない」
「え……え? いやいや、まっさかぁ」
「ホントよホント。あー、昔のこころちゃんの姿、動画か何かで撮っておけば良かったわ」
「ち、ちょっと。こころちゃんって呼ぶの恥ずかしいからやめてくださいよ。もう子どもじゃないんだから」
飛鳥井こころ。それが私のフルネーム。けど私は下の名前で呼ばれることが苦手だ。『こころ』ってどうしても子どもっぽい響きがあるから。
「私からすればまだ子どもよ子ども。だってこころちゃん、私が三十歳の時まだ六歳だったのよ。もはや娘よ」
「あーあー分かりましたって。子どもで良いですからその呼び方やめてください」
「ふふ。カーワイー」
「……」
ダメだ。この人には一生敵う気がしない。用は済んだからもう帰ろ。じゃないとそろそろダメ押しの攻撃を喰らいそうだし。
「そうそう飛鳥井さん。さっき言ってた生意気な子って男の子? 女の子?」
「男の子ですけど、どうかしましたか?」
「男の子かぁ」
先生はどこか神妙な面持ちで頷いた。
「何か気になるところでもありました?」
「いえね、男の子と言えば飛鳥井さん、今でも例の夢は見るのかなって」
「夢? あー見ますよ。頻度こそ減りましたけどひと月に二、三回は」
神代先生は私が他人の人生を追体験するような不思議な夢を見ていることを知る唯一の人物だ。
「先生なら何か分かりませんかね、この不思議な夢のこと。長い付き合いなのでもう慣れましたけどやっぱり気になるんですよ。私ってずっとマンションかアパート暮らしなのにその男の子と住んでるのはお高そうな住宅街の一戸建てなので」
イイ暮らしを送ってそうで羨ましいなと何度思ったことやら。
「……残念だけど私は循環器内科だからご期待には応えられそうにないわね。どうしても気になるんなら脳神経外科医や神経内科の先生を紹介するけど」
「んー、それはいいや。なんか色々な検査で凄く時間掛かりそうだし」
「あら、そう? ざーんねん」
「それに今は教師なので自分のことにあんまり時間を割くわけにもいかないんですよ」
「手の掛かる子がいるから?」
「その通りです」
それから私は身支度を済ませ、カバンから取り出した封筒を先生に渡した。
「またこれ、お願いできますか」
「ん、りょーかい。こころちゃんもマメねぇ」
これで今日すべきことは終わり。一日の用事が午前中に終わると肩が軽くていいや。
「それじゃ先生。また今度ご飯でも行きましょう」
「こころちゃんの奢り?」
「先生のほうが稼いでるでしょ」
「ふふん。冗談よ」
ホントかなぁ。まぁ、先生も私も食が細いほうなのでよほどな高級レストランでない限り大した金額にはならないんだけど。
「そういえばこころちゃん。さっき言ってた手の掛かる男の子ってなんて名前?」
「名前ですか。要——」
★ 二〇〇九年(平成二十一年) 冬 結弦 十六歳
「なーぎーさくん」
迎えに行った保育園で扉からヒョコッとを顔を出して名前を呼ぶ。こちらを向いたあの子はパァッと季節外れの花を咲かせたように頬を紅潮させて笑った。それが見たくて私はいつも保育士さんと協力して廊下を抜き足差し足で進むのだ。でないと足音でバレちゃうからね。時代が時代なら天下を取れたかもしれないその才能の活かしどころが思い浮かばないのがちょっぴり残念だけども。
「おねえちゃんっ」
膝立ちになった私に飛び込む渚くんからはミルククッキーみたいな優しい香りがする。私はそれを胸いっぱいに吸い込んだ。うーん、控えめに言っても天使。おぉ、神よ。地球上にこんなに可愛い生き物がいて良いのでしょうか。
「渚くん、今日もいい子してた?」
「うんっ」
「よし。えらいえらい」
クシャクシャと頭を撫でたら渚くんはくすぐったかったのか、身を捩って笑った。私と初めて会った時と比べると信じられないほどの変化だ。当時は借りてきた猫みたいに大人しくてジッとしてることが多かったのにね。当時って言ってもまだ一ヶ月ちょっとしか経ってないんだけども。
「じゃあ帰ろっか」
「うん!」
保育士の方々に挨拶を済ませて園をあとにすると不意に頭へ冷たい物が触れた気がした。雨かと思って空を見上げると白い綿のようなものがフワフワと舞い降りてくる。それは紛れもなく雪で、どうりで寒いわけだと独りごちる私をよそに渚くんは雪の結晶にも負けないくらい綺麗な瞳をキラキラとさせているじゃありませんか。
高校生の私は大人と言うには若すぎるし、そもそも未成年だけど子どもと言うほど幼くない。人間はどこから大人になるのか分からないけど、一つの判断基準として雪ではしゃがなくなることだと思う。
子どもは諸手を上げて喜ぶけど通勤する大人は電車が定刻通りに動くかどうか、そもそも運行しているのか気にしないといけないし、車を運転する人は事故や渋滞、路面の凍結に気を付けないといけない。電車通学する学生だって多いけど定期テストの日以外なら遅刻したってノーダメージだもの。
私はどっちだろう。正直言って雪はあまり好きじゃない。実の父が亡くなった日もシンシンと降る雪が世界のありとあらゆる音を吸収したのかというほど静かな日だったから。
「おねえちゃん、ゆき!」
「うん、雪だねぇ」
「つもる?」
「さぁ、それは明日の朝になってからのお楽しみかな。積もってたら雪合戦でもする? 学校も保育園もサボっちゃってさ」
どうせもうすぐ冬休みなんだし、大した授業なんてないからね。たまには童心に帰ってみるのも悪くないかもしれないし。我ながら名案……だと思ったんだけど意外や意外、渚くんの表情は空模様を反映しているかのようだった。お気に召さなかったかな。
「ぼく……おねえちゃんとゆきだるまつくるほうがいい、かな」
「あ、そっちかぁ。うんうん、いいね雪だるま。渚くんよりおっきなの作ろっか」
そう提案すると渚くんは「うん!」と気持ち良く返事をした。
「ぼく、サンタさんにおねがいする。あしたのあさ、ゆきがつもりますようにって」
「え、いやぁ、それは……。もっと良いもの頼みなよ」
プレゼントを贈るサンタ役は私だから安上がりで助かるといえば助かるけど雪を積もらせるのは難易度がちと高いのでは。バトル漫画よろしく天候を操る系の能力者にならないと。
「だったらぼく、もっとせをのばしてもらう」
「背? でも渚くん全然小さくないよ? 背の順で並んでも真ん中くらいでしょ」
「だってもっとおっきくならないとあんなふうにギュッてできないもん」
あんな風にギュッ? はて、なんのことやらと考えながら渚くんの視線を追うとなんと電柱の陰に隠れて密着しながら路上キスをしているラブラブバカップルがいるではないか。しかも唇と唇を軽くタッチするようなキスじゃなくてしっかりしっぽりするヤツ……。いや、もっと隠れてよ。せめて家の中とかなんか良い感じの茂みに隠れてするとかさぁ! いくら人通りが少ないからって……。
これは子どもの教育によろしくないので私は渚くんの頭をガシッと掴んで反対方向へ向かせた。この子はアレがどういう意味なのかまだ分かってないのかなぁ。
「あ、あははは。あんな風にギュッとはまだ早いかなぁ」
「じゃあいつならだいじょうぶ?」
「え? えーっと――」
適切な解答が思い浮かばない……。
「——渚くんが私の背を追い越したら、かなぁ」
「どうすればおっきくなれる?」
「いっぱいご飯を食べて思いっきり運動してたくさん寝れば背なんてあっという間に伸びちゃうよ」
「ホント? じゃあぼくがんばっておっきくなる!」
「お、がんばれー。だったら今日からさっそく早く寝よっか。夜は冷えそうだし、あったかいものでも食べてね。渚くんは何が食べたい? シチューとかどう? 牛乳もたくさん入ってるよ」
「うーんとね……おすしたべたい!」
おっとぉ? 冷やし中華なみに温かさとは真逆の存在きたわねコレ。とはいえお寿司か。私も大好きなんだよねぇお寿司。マグロ、鯛、甘エビ、縁側……うーむ。
「いいね、お寿司。今から回転寿司にでも行く?」
「いいの?」
「うん。お姉ちゃんも食べたくなってきたからね。でもお腹いっぱいになると夕飯が食べられなくなってお母さんたちに内緒でお寿司を食べたのがバレるからちょっとだけよ」
財布の中身もちと頼りないので。とはいえそれはもうすぐ貰えるお年玉をアテにすれば乗り越えられそうだ。渚くんは親に内緒で悪だくみをすることが初めてなのか少しだけ困惑した表情を浮かべた。けれどすぐに誘惑に屈したみたいでまた元気良く返事をしたのだった。
「なら善は急げだ。行くよ」
「ぜんはいそげー」
意味分かって言ってるのかなぁと微笑ましくなりつつ、駆け出そうとする渚くんの手をしっかりと繋ぎ止める。渚くんの手はポカポカでカイロみたいだった。こんなに小さいのにいつか私の手を包み込めるほど大きくなるんだなぁ。楽しみだけどちょっとだけ寂しいかも。
「おねえちゃん、はやくはやくっ」
「はいはい」
でも今はこの日々を楽しむことだけに集中しよう。この子がこれから先の人生でずっと笑顔でいられるように。
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