第69話殴る、度胸

扉を開けて中に入ると、二人の笑い声が聞こえてくる。

リビングでは酒を飲んで顔を赤くした二人がゲラゲラと笑っていた。

俺が入ってきたことに気づいてこちらを向く。


「あんだよ優斗、帰ってきたらただいまの一言くらいあるべきだろが。相変わらず礼儀ってもんを知らねーガキだぜ」

「んもう、本当にダメな子ねぇ恥ずかしいわ。お母さん、アンタをそんな風に育てたつもりはないわよ」


戯言には耳を貸さず、問う。


「父さんを殺したのは、お前らなのか?」


二人の顔色が変わる。それだけで確信を得るには十分だった。


「……ど、どこでそんな話を聞いたのか知らないが、んな出鱈目を信じるとは相変わらずバカだねーお前は。つかお前とはなんだお前とは! 親に向かってどういう口に聞き方だコラァ!」

「そ、そうよぉ。あの人は仕事を苦に飛び降りたって、警察も言ってたでしょう? もう終わった話を今更掘り起こして、どういうつもり? 私たちに謝りなさい!」


いつも俺が言い返すとこのように逆ギレしてきたものだが、あまりの薄っぺらさに煤けて見える。

言葉を返す価値すら見出せずただ憐れむような視線を向けていると、茂典は苛立つように立ち上がり拳を握った。


「テメェ……まさか親の言うことを疑ってるんじゃないだろうなァ……?」

「本当に失礼な子ねアンタは! 親に向かってなんて不遜な態度かしら! 可愛くないったらありゃしない」


理屈もへったくれもないただの脅しだ。かつての俺ならともかく、今の俺にそんな言葉が届くはずもない。

自分たちの立場がわかっていない二人に、ダメ押しで言う。


「もはや疑いは通り越し、確信に至っているんだよ。お前たちが父さんを殺したって証言はここにある」


竜崎さんから貰ったスマホの録画を再生すると、画面内で二人がベラベラと殺しの手口を語り始めた。

それを見た二人の顔がみるみるうちに青ざめていく。


「ば、バカな……まさか盗撮かよっ!? 犯罪だぞテメェ!」

「プ、プライパシーの侵害よ! 訴えてやるわ!」


それより何倍もの罪を犯しておいて、よく言う。

とはいえ流石の二人もすぐに分の悪さに気づいたのか、俺を責めるのを止めて開き直る。


「ハッ! その通りだよ! お前の父親は俺たちが殺した! だがなぁ時効って知ってるか? 殺人なんてのは何年もしたら罪がなくなっちまうんだよ!」

「そうよ。私たちは無罪なの。変な言いがかりはやめてよね」

「今、殺人に時効はなくなったのを知らないのか?」


以前、父さんは殺された可能性を考えた俺は時効について調べ、安心したことがあるのだ。

しかし改正前でさえ時効にかかる年月は二十五年、今はまだ十年も経っていない。

時効があったとしても終わっているはずがないのに、全く調べてないんだなと呆れる。


「そ、そうなの……? アンタ、それくらい調べなさいよ……」

「知るかよクソ女! それにその携帯を奪っちまえば関係ないだろ! おいコラ優斗、そいつをよこしやがれェェェ!」


スマホを掴もうと手を伸ばしてくる茂典。

これを奪っても元のデータは部屋のカメラに録画済みなのだが、彼らには関係ないようだ。

そんなどうでもいいことを考える余裕がある程、鈍い動きを俺は軽く身体を傾けて躱す。

オルオンのモンスターどころかそこらの不良たちを遥かに下回るような鈍過ぎる動きだ。

所詮は何もやってないただの中年である。こんなもの当たらない。当たるわけがない。


「チィッ! チョコマカと……動きやがってクソ……がぁっ! 」


茂典は数回攻撃を躱しただけで既に息が上がっている。

運動不足なのがバレバレだ。動くたびに中年太りした腹が揺れている。


「優斗アンタ! 親に逆らうっていうの!? 大人しく捕まって反省なさい!」


母も母で怯えたように身体を縮こませ、キンキン声を上げている。

……それにしてもこの人たちってこんなに小さかったっけ。

精神も肉体も矮小なこの二人を相手に、俺が拳を振るう価値があるのだろうか。


――否、ある。

ギュスターヴは言っていた。男には実際に拳を振るわねばならん時があると。それができずに脅威を遠ざけられねぇのはただの根性なしだ。そんな奴は永遠に奪われ続けるだけだと。

レイモンドは言っていた。神官たちは戦う力を持たなかったから暴力に屈したのだと。如何に高潔な志を持とうと、力無くば無意味なのだと。

そして父さんもまた、男には戦わなければならない時がある――と言っていた。


「うわぁああああああッ!」


茂典の拳にカウンターする形で、俺は握り締めていた拳を解き放つ。

メギィ! と肉の軋む音と共に茂典の顔が醜く歪む。


「ごブッふぁぁぁっ!?」


不細工な声を上げて吹っ飛ぶ茂典。

後ろ頭がぶつかり壁に穴が空いたが、まぁどうでもいい。


「きゃあああああっ! 殴ったわ! 警察呼んでっ!」

「て、テメェ……っ! まさか……お、親に手を挙げるとは……っ!」


再度立ち上がり殴りかかってくるのを避けながら、どてっぱらに一撃。

口から胃液を吐いて膝を突き、悶絶して転がり回る。


「ぐぉああああッ! ぐ……っ、くそォ……っ!」

「アンタ! 大丈夫!?」


まさか俺が反撃してくるとは思いもしなかったのだろう。

俺にここまでいいようにされるとは思わなかったのだろう。

二人は既に怒りを失い、その顔色は怯えの色が見え始めていた。


それにしても、なんという情けない姿なのだろうか。

こんな連中にいいようにやられていたかつての自分が恥ずかしい。

彼らへの呆れが、失意が、何よりも大好きな父さんを殺しされた怒りが俺の拳を震わせている。


「うおおおおおおっ! 死にさらせやァァァッ!」


手に椅子を持ってのヤケクソな攻撃を躱し、トドメとばかりに渾身の一撃喰らわせる。

顔面を捉えた拳は茂典の意識を刈り取ったようで、そのまま壁に激突して蹲る。あーあ、壁がボコボコだ。


「ゆ、許さない……! 息子といえど、許さないわよ……!」


声を震わせながら俺と向き合う母、その手に持っているのは包丁であった。

今の間に台所から取ってきたのだろうか。

俺の腹を狙い、突いてくる。

しかし我が母ながらなんて人だ。

実の息子に刃物まで向け、あまつさえ殺そうとするなんて、よくもまぁそんなことができるものだな。

そんなことをぼんやり考えながらも俺の身体は動いていた。

即ち、攻撃を躱すと共に拳を繰り出し、母親の顔面を殴りつけた。


「いやあああああっ! こ、こいつッ! 女の顔を殴ったわよぉぉぉっ!」

「あー……本当だ」


女性を、しかもその顔を殴るなんて最低な行為だ。

にも関わらず俺はやった。その上心はちっとも傷んでいなかった。


「これが暴力で身を守る、ということか……」


あまりいい気分はしない。

これ自体は必要な力かもしれないが、やはり法治国家なのだし、自身の身を守ることに注力すべきだな。


「誰か警察! 警察を呼んで! 訴えてやるわ!」

「バッ! そんなことしたら俺らが……」


パニックを起こす二人に俺は、笑顔を向けて言う。


「うん、すぐに呼ぶから安心してよ」


俺は携帯を操作し、警察に通報するのだった。

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