第50話沈む月はまた昇る
その日のレッスンは流石の唯架さんも精彩を欠いており、よく怒鳴られていた。
俺はというと本来なら今日は試験休みだったのだが、彼女が心配だったので付き添っていたのである。
「ハイハイもういいわ。今日のところは終わりにしましょう」
「……い、いえ! まだやれます!」
「ダメよ。唯架、もう帰って休みなさい。体調管理も仕事のうちでしょ?」
「……っ! わかり、ました……」
肩で息をしながら更衣室へと入っていく唯架さんを見送った後、俺は権田さんに声をかける。
「あの……唯架さん今日は……」
「わかってるわよ。本調子じゃないことくらいは。ったくあの子、こんな日くらいズル休みすればいいのにねぇ」
困ったような呆れたような、なんとも言えない表情でため息を吐く権田さん。
「真面目なのはいいけど頑固なのが玉に瑕なのよねぇ。何があったか聞いても頑なに言おうとしないしサ。……ねぇ神谷くん、悪いけど彼女のフォロー頼んでいいかしら?」
「ええっ!? お、俺がですか?」
「うん♪ 唯架も神谷くんには多少心を許してるみたいだし、同僚と仲良くしといて損はないわよ?」
いやぁ、どうかなぁ……むしろ目の敵にされている気がするんですけど。
「大丈夫よ。そんな不安そうな顔しなくても。キミならやれるわ」
「そうでしょうか……」
「うんうん、というかこれ業務命令だから。明日にはシャンとさせておくコト!」
えぇ……コミュ障の俺にそんなことを頼むなんて、あまりに荷が重いと思うんだけど。
しかし君なら出来る、とばかりに力強いウインクをされると、苦笑いを返すしかなかったのである。
◇
「お疲れ様でした!」
スタジオを出る頃には外は真っ暗になっていた。
……さて何を話したものだろうか。
行きがけもずっと無言だったんだよなぁ。もちろん今も。
学校の皆は向こうから話しかけてくれるのでコミュ障の俺でもどうにかなるのだが、唯架さんは無口だからなぁ。
こういう時はどうするべきなのだろう。……困った。
「……ありがとね。何も聞かないでくれて」
と、悩んでいた俺に向こうから声をかけてくる。
いや、何も言えなかっただけなんですけど……意外と会話のコツというのは喋り過ぎないことなのかもしれない。
「権田さんに言われたんでしょ? 私のフォローしてくれって」
「わかるんですか?」
「そりゃあね。あの人ってば本当によく気を遣ってくれるんだもの。……私なんかにさ。ふふっ」
自嘲気味に笑う彼女の目は俄かに憂いを帯びて見える。
「私だって休むことの大切さはわかってる。こんな状態で行っても心配させるだけだって……でも私なんかがサボれるわけがないじゃない。売れないアイドルなんて事務所にとってはただの負債。特にスタチャ《ウチ》は業界でもかなり手厚い。候補生にも給料出るし、レッスン代もタダ。ランクが上がればマンションにだって住まわせて貰える。育成費用は一人当たり三千万から六千万と言われているわ。なのにいつまでもデビュー出来ないだなんて申し訳なさすぎるわよ。そんな私が事務所からどう思われているかなんて、考えるだけで死にたくなってくるわ」
唯架さんの声は次第に憤りを帯びていく。
誰もいない夜の並木道を歩きながら、俺はそれをただじっと聞いていた。
「デビューもできない! 華もない! そんな私にできることなんて、せめて休まないことしかないのよっ!」
そう叫ぶ唯架さんの目には大粒の涙が浮かんでいた。
俺はそれに気づかないようにしながら、静かに呟く。
「実は俺も竜崎さんからスカウトされた時に似たようなことを聞いたんです。俺なんかが売れるとは思えない。こんなにして貰っても後が怖いって。でも君がそんな心配をする必要はないって笑われましたよ。『君たち候補生は俺たちが自信を持って売れると判断した最高の人材だ。いつかどこかで必ず売れてくれると確信しているからこそ、そこまでやるのさ。だからもし万が一売れなかったとしたら、それは俺たちの売り方が悪かったせいだ。安心してくれ。君たちは必ず売れる。っていうか売る。だから今は安心して下積みをするといい』……ってね。だから俺は竜崎さんを信じることにしたんです」
「だからって……安心なんて……」
「子供を育てるには大体二千万かかるという話を聞いたことがあります。でも俺たち子供はそんなこと気にしないですよね。はっきり言って知ったこっちゃないじゃないですか」
俺の言葉に思い当たる節があるのか、唯架さんは口ごもる。
そりゃあ綺麗事を言うならば、立派な大人になれるよう親の言うことをよく聞き、勉強に運動に励むべきだ! ……とでも答えた方がいいのだろう。
だが子供とはいえ一人の人間だ。好きなことをして遊ぶし、親の言うことは聞かないし、反発だってするものだ。
もちろん程度というものはあるが……特に俺は親がアレだったから尚更である。
とどのつまり親は親、子供は子供なのだ。
そりゃあ育てられた感謝くらいはすべきだろうが、それに何千万掛かろうがどれだけ手間が掛かろうが、それをプレッシャーに感じることはないだろう。
「あまり気にし過ぎないのもどうかと思いますが、そこまで気に病むこともないのでは? 唯架さんの両親も、好きなことをやってのびのび育ってくれればいいと言ってませんでしたか?」
「……うん。そう言ってたかも」
「いいご両親じゃないですか」
ちなみにさっきのは父さんが俺に言ってくれた言葉だ。
子を思う親なら皆そう言うだろうと、教えてくれた言葉だ。
その言葉があったからこそ俺は母や養父のイジメにも耐え、こうして生きていられるのである。
「……ありがと。少し心が軽くなった。ごめんね。変なこと言っちゃって」
「いえいえ、大したことではないですから」
唯架さんは憑き物が落ちたかのようにさっぱりしていた。
よかった。どうにか気持ちが落ち着いたようである。
「そうよね。パパも芸能界という場所はそう簡単に成功するような世界じゃないって言ってたもの。心機一転、頑張ってみるわ」
「はい! 俺も負けてられないですね」
「えぇ、あなたには負けない」
以前と違い、明るい表情と言葉に俺は少し嬉しくなる。
その横顔がふと、ある人に重なった。
彼女の言った父の言葉、そして紫月という名前、もしかして、もしかすると……
「あの、唯架さんのお父さんてもしや演歌歌手だったりします?」
「そうよ。紫月小太郎。そんなに有名じゃないのに、よく知ってたわね」
「ええええっ!? 俺大ファンなんですけどっ!」
知る人ぞ知る昭和の演歌歌手、紫月小太郎。
あまり目立つ顔ではないが技術はピカイチで、いぶし銀な歌手として一部界隈で高い人気を誇る実力派だ。
彼女がその娘さんだったなんて本当に驚きである。……サインとかお願いしてもいいだろうか。
ソワソワする俺を見て唯架さんはプッと吹き出す。
「ねぇ神谷くん。今度パパに会わせてあげよっか?」
「ホントですか!? うわぁめちゃくちゃ嬉しい。どんな服を着て行くべきですかね? 俺、服のセンスないからなぁ……」
「確かに……あなた顔は良いけどセンスないわね。よかったら今度一緒に見に行ってあげよっか?」
「でも……そこまでして貰ったら流石に悪いですよ」
「いいの。今日のお礼よ。……ふふっ♪」
微笑を浮かべ、ふいと背を向け歩き出す唯架さん。
その背中はとても、とても上機嫌に見えた。
◇
「あら、あらあらまぁまぁ! どうしたのよ唯架ちゃん! なんか顔付き、変わってない?」
「ハァ、ハァ……そうですか?」
「うん! とってもイイ! 華を感じるわ! ……恋をしたとか?」
「ち、違いますっ!」
慌てて手を振る唯架さん。
どうやら元気が戻ったようでよかったなぁ。
……でも恋って何の話だろう。あの後、特に何かがあったとは思えないけど……ま、いっか。
首を傾げながら、俺は唯架さんの弾けるような笑顔に魅入るのだった。
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