第44話レッスンスタジオにて。中編

「ブラボー! よかったわよ神谷ちゃん」

「本当ですか? ……わぷっ!」


突如、抱きついてくる権田さん。

分厚い大胸筋に圧迫され、息ができない。く、苦しい……


「ううーん! 若い子の肌ってスベスベでいいわねぇ。ずっとこうしてたいくらいだわぁ♪」

「あの、離してくれません……?」

「アラヤダごめんなさいね。若くて有望な子を見るとつい♪」


パチンとウインクをする権田さん。……悪い人ではない、と思いたい。


「いいだろ? 彼」

「とってもイイわぁ。素直で元気だし、顔もいい。文句のつけようがない逸材ね。――うん、任せて竜ちゃん。私が彼にあらゆる技術を叩き込んであげる♪ これからよろしくね。神谷くん」

「……はい。これからよろしくお願いします。……猫田さん」

「アラ! あらあらまぁまぁ。なんて良い子なのかしら! もう、食べちゃいたいくらい!」


目を輝かせる権田さん。……こういう時、多少不条理に感じても相手に無駄に気を遣ってしまうのはイジメられてた頃の悲しいサガだな。

己の保身具合に呆れていると、


「神谷くん……だったかしら」


唯架さんがすぐ横で俺をじっと見つめていた。

そして呟く。


「あなたには負けないから」


――と。その目には強い意志の炎が灯って見えた。

唯架さんはしばし俺を見つめた後、踵を返して練習を再開する。

その背中にはなんとも言えぬ迫力が宿って見えた。


「……ふーん、どうやら唯架ちゃん、キミのことをライバル認定したみたいね。あの子にもいい刺激になったみたいでよかったわ。ンフフ」

「えぇ? 冗談でしょう? 俺みたいな新参を……」

「キミだから、よ。……まぁそのうちわかるわ。自分の凄さがね」


したり顔で笑う権田さん。これはアレだな。皆で俺を揶揄っているんだろう。

最初から厳しくしてやる気を無くさせても困るから、まずはフレンドリーに接して距離感を縮めよう的な。そうに違いない。あまり調子に乗らないでおこう。


「何ぼさっとしてんのよあんたら! ったく不甲斐ない! あんたらにダンスの練習なんてまだ早かったみたいね! 神谷くんと一緒に基礎練からよ!」

「ええーっ!?」

「そりゃねぇよ猫田さーん」

「だまらっしゃい! そんな時だけその名で呼んでも不快なだけよっ! まずは10kmランニング行くわよ! 駆け足!」

「ひいいいーーーっ」


情けない悲鳴が上がる。俺は苦笑いしながら皆について行くのだった。



「ハァ、ハァ……」

「ひぃ、ひぃ……」

「ゼェー、ゼェー」


街の中をひた走る。

後ろでは権田さんが竹刀を持って追いかけて来ていた。


「オラオラァ! 追いつかれたノロマは悪! 即! 斬! よぉぉぉ!」


恐ろしいことを言いながら追ってくる権田さんから、皆は何度も背中を打ち据えられながら走る……というよりは逃げ惑っている。

俺は何とか先頭を維持していた為、無事だ。

イジメられてた時にダイエットと称して後ろから自転車で追い回されたから、走るのは案外得意なのである。


「く、そぉ……! やってられっかよ……!」


突如、俺の後ろでそんな呟きが聞こえた。同時に路地裏へと逃げ出していく。


「ちょ……何してんのよアンタたち!」

「ウルセェオカマヤロー! 俺たちゃ楽して美味しい思いが出来るって聞いたからここへ来たんだ!」

「そうだそうだ! こんな体育会系なことをやるって聞いてたら最初からやらなかったっつの!」


彼らの逃げ込んだ路地裏は狭い上に障害物も多く、とてもではないが自転車で追いかけられるような場所ではない。


「こら! 逃げるなおバカ! 帰って来なさい!」

「知ったこっちゃねぇんだよバーカ!」

「お前の無茶振りにはウンザリなんだ!」

「上の奴らに告げ口してやるからな!」


逃げていく男たちを権田さんは見送るのみだ。

歯軋りをしながら、拳を叩きつける。


「くっ……あいつらふざけやがってぇ……!」


怒りに満ちた顔をしていた権田さんだったが、諦めたようにため息を吐いた。


「ハァ、これだから最近の若者は……どいつもこいつも根性がないわ。昔のアイドルってのはそれこそ上からブチ喰らわされながら一日中トレーニングに励んだものだけど……悲しいけど私たちみたいなやり方は時代じゃないってことなのかしらね……」


落ち込む権田さんに俺は言う。


「俺の父さんが言ってました。昔は良かったって」


やっぱり? と言いかけた権田さんに俺は続ける。


「昔は受け取れる情報が少なかったから夢が見れた。井の中の蛙になれた。直向きに努力ができたって。今はネットで自分より遥かにすごい人たちがいくらでもいるから、どうしても自分なんか大したことないと思ってしまう。だから今の子はタイムパフォーマンスを重視し、すぐに結果を求め、そして諦めてしまうって。それでも何かを為すには地道な努力が必要という世の中のルールは変わらない。だから可哀想だって」

「……いいお父さんじゃない」

「えぇ、自慢の父です」


もういないけど。父に貰った言葉は俺の胸に生きているのだ。


「彼らが逃げたのもきっと、まだ努力という習慣が身についてないせいです。根気よく教え続ければきっとついて来てくれるようになりますよ! だから俺が捕まえてきます!」

「あっ、神谷くん!」


彼らは息が上がっていた。今から追いかければ追いつくはずだ。

権田さんにそう言って俺は、路地裏に突っ込んでいくのだった。



「いた……!」


まさか追いかけて来るとは思わなかったのだろう。彼らはすぐに見つけることができた。

自販機の前でペットボトルを飲み干しながら、だらしなく地面に腰を下ろしていた。

声をかけようとして、しかし――


「マジウゼェよな。あいつら。てかアイドルがこんなめんどくせぇと知ってたらやらなかったわー」

「そーそー、大体俺ら顔がいいんだからさ。こんな下らねぇことしなくても女どもが勝手に貢いでくれるし」

「努力だの根性だの、そういうのは負け組がやることだよ。俺らみてーな勝ち組はそんなことする必要、一切ねぇし」


聞こえてきた言葉に、俺は思わず立ち尽くす。

努力という習慣が身についてないだけ。そう思っていたがどうやら雲行きが怪しくなってきた。


「あー思い出しただけでムカッ腹が立ってきた。どうする? 腹いせにあいつら潰しちまうか」

「いいね! ついでに神谷とかいうのもやっちまおう。なーに、暗闇でボコればわかんねーよ」

「紫月唯架もな。あいつ、地味顔のくせに俺らのこと見下しやがって。ずっとムカついてたんだよな。まぁでもカラダだけは悪くねぇ……んあ?」


どうやら俺に気づいたようで、彼らは立ち上がり歩み寄ってきた。

逃げ場をなくすように取り囲み、圧をかけてくる。


「チッ……追ってきてたのかよ。まさかと思うけど今の話、聞いてたんじゃねぇだろな?」

「そんな青い顔しちゃってさー、冗談よ冗談。んなことするわけないだろ?」

「もしかしてお前もサボりか? なんなら仲間に入れてやってもいいぜ。へへへ……」


差し出してきた手を――俺は握り返す。強く。


「が……っ!? い、いてぇ! 離せ! このっ!」


慌てて暴れる彼の手を握りしめたまま、笑顔で言う。


「いやー。冗談でよかったよ。さぁ戻ろう。一緒に謝ってあげるからさ」

「て、テメェ……! ぶち殺すぞコラァ!」


憎々しげに俺を睨みつける彼らの目からは強い殺意が感じられた。

……どうやらさっきの言葉、冗談というわけじゃなさそうだな。

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