第43話レッスンスタジオにて。前編


ピリリリリ、と電子音が鳴り響く。

電話だ。急いでメットを脱いでスマホを探す。……あったあった。


「はい、神谷です」

「竜崎だ。おはよう神谷くん。どうだい新しい生活は?」


電話をかけてきたのはアイドル事務所スターチャイルドのスカウト担当、竜崎さんだ。

彼は俺に目をかけてくれ、事務所の経営するこのマンションに住まわせてくれたのである。

信じられないことだが今の俺はアイドル候補生、というやつなのだ。


「はい、とても楽しんでいます。……でも広すぎて落ち着かないですけど」

「それはよかった。で、そろそろレッスンを始めたいんだが構わないかな?」

「もちろんです!」

「元気でよろしい。では今から迎えに行く。待っていてくれ」


……なんて元気よく返事はしたが、正直ビビってるんだよなぁ。

ダンスなんて踊ったことないし、歌も正直自信はない。気が重いよ。はぁ。

それでもこの生活の為には頑張らねばならない。両手を頬で叩いて気合を入れるのだった。



連れて来られたのは都内にあるレッスンスタジオ。

中に入ると全面鏡張りで、音楽に合わせ数人の男女が踊っている。

うわ……すごい熱気だな。クーラーがついているにも関わらず、みんな滝のような汗をかいている。

中でも目を引くのが中央の小柄な女性。

童顔で人形を思わせる大人しそうな顔、スレンダーな体型で手足はすらりと長く、動くたびにポニーテールが宙を踊る。

黒一色の髪、整ってはいるが表情の薄い顔付きはどこか地味な印象はあるが、ダンスのキレ、激しさ、胸に訴えるような動きに思わず感嘆の息が漏れてしまう。


「ふむ、彼女に目をつけるとはやるじゃないか神谷くん。――彼女は紫月唯架。ハイレベルな歌やダンス技術を持つ技巧派ってやつさ。……ただなぁ、見ての通りちょっと地味な子でね。がんばり屋ではあるんだがイマイチファンが増えないんだ。ウチとしても真面目な子が伸びてくれればありがたいんだが、技術だけじゃ上手くいかないのがこの業界の怖いところでね。ま、本人はレッスンができるからと問題ないと言っていたが内心は穏やかじゃないだろうね」


どうしたものか、という顔をする竜崎さん。

確かに地味ではあるが、懸命に前を見据える輝く目にはただならぬ迫力を感じるんだよなぁ。

真面目なだけじゃ成功しない、まさに運と才能の厳しい世界ってことか。……って昨日今日入った俺が言えるような台詞ではないけれども。


そんな話をしていると音楽が終わった。

誰もが汗だく、疲労の表情を見せる中、彼女だけが涼しい顔をしている。


「ブラボー、今日も素晴らしかったわよ唯架!」


コーチと思しき逞しい胸板をした男性が拍手を送りながら近づいてくる。

タオルと飲み物を唯架さんに渡した後、他の候補生たちにも各々に配り歩いていく。


「それに比べてあんたたちはだらしないわねぇ。その程度でへこたれちゃって。男でしょ!」


だがかける言葉は厳しいものだった。

唯架さん以外は後半ロクについていけてなかったからだ。


「だって……しゃあないっすよ!」

「そうそう、んなハードなの踊れないですってー」

「俺たちも一生懸命やってんすよ? 少しは褒めてくれてもいいじゃないっすか」


情けなく弱音を吐く男たちだが、


「だまらっしゃい!」


一喝、顔面を近づけ不満を一蹴。

その迫力に男たちは口を閉じ、後ずさる。


「あんたたちが動けないのは普段レッスンをサボってるからでしょ。それにタバコ! 酒! 夜更かし! バレてないとでも思ってる? 何度も言ってるけどアイドルは自己管理も仕事のうち。顔がいいだけで務まるような甘い世界じゃないの!」

「だって顔だけで売れてる奴ら、うじゃうじゃいるじゃねーですか。それにどれだけ練習しても売れないやつだってさぁ」


ピクン、と唯架さんが眉を顰める。

それを見てニヤニヤする男たち。どうやら確信犯のようだ。


「あ、あんたら……アホね! そう見えるのはアンタらの見る目がないだけよ! 努力してないように見える人も、そう見せてないだけでちゃんとしてるもんなの!」

「えー、本当かなー」

「そうなのよっ! ……ったく最近の若いもんは手抜きばっかり覚えちゃって……アラ?」


コーチさんはようやく俺たちに気づいたようだ。

先刻までの怒り顔は何処へやら、今度は怪しさを覚える程の笑顔で近づいて来る。


「竜ちゃぁーん♪ どうしたのよ突然、久しぶりじゃないのー♪」

「あぁ、久しぶりだな権田」

「やだもう、権田は可愛くないからやめて? ここでは猫田で通してるんだから♪」


……すごい猫撫で声である。体格がいいぶん余計に怖い。さっきもなんかブチ切れてたし。


「でだ。ちょっとお前に鍛えて貰いたい子がいるんだよ。彼は神谷優斗、百年に一度の逸材だ」

「よ、よろしくお願いします……」


ビクビクしながら頭を下げると、権田さんは俺をじっと見つめてくる。

更に周りをクルクル周りながら、時折俺の身体を優しく強くタッチしながら。


「ふむふむ、ほうほう……なるほどねぇ……うん、竜ちゃん言うだけのことはあるわ。この子、かなりの逸材ね」

「だろ? いやー権田の目にも叶ったか! よかったよかった」

「だから猫田、よ。ンもう。竜ちゃんたらイケズなんだからぁ」


思いっきりにしか見えないような張り手を喰らいながらも竜崎さんは体勢を崩さない。

あんなムキムキな人にどつかれてるのに……すごい体幹だ。

この業界、思った以上に体育会系である。芸能界怖っ。


「ねぇ神谷くん、キミの身体能力が見たいわ。よかったら少し踊っていかない?」

「もちろん構いませんが……でも俺、ダンスとか初めてで……」

「問題ないわ。ダンスといっても簡単なステップとターンを組み合わせたものよ。手拍子一つでターン、二つでステップ。このくらいなら出来るでしょ?」

「……あ、はい。それくらいなら」

「いい返事。じゃあ早速やって貰おうかしら。皆は少しだけ休憩してていいわよ」


男たちはぐったりしながらへたり込む。唯架さんはふいと背を向け、鏡を前にバレエの姿勢を始めた。

まだ練習するんだ。本当にストイックな人である。……おっと、俺も頑張らないと。


「おーい新入り、権田さんは厳しいぞ! へこたれるんじゃねぇぞー!」

「そうそう、ゲロは吐くなよ! 掃除するの俺たちなんだからよ!」

「あんたら! ヤジ飛ばす元気があるなら外でも走って来なさい」


権田さんに睨まれ、男たちは視線を逸らす。

だったら言わなきゃいいのに。唯架さんは俺に興味がないのか背を向けたまま、一人練習を続けていた。

本当にストイックな人なんだなぁ。

――そしてレッスンが始まった。


「ステップ! ターン! ステップ! ターン! 遅い! もう一度!」

「はいっ!」

「今度は早いわよ! ステップターン! ステップターン!」

「はいっ!」


うーむ、中々思い通りに身体が動かないものだな。

権田さんの指示について行くだけで精一杯。これがアイドル、見た目よりもハードだな。



神谷に指示を出す権田、その表情は驚きと喜びに満ちていた。


「……なんて子。初めて踊るにも関わらず私の指示について来るなんて……しかもありえないくらいタフだわ! 下手をしたら唯架よりも! この子はまさに才能の原石! いや既に輝く宝石そのものよ! こんな子を鍛えられるなんて……竜ちゃんには感謝しないとね。ウフフフフ」


床で休んでいた男たちは休憩用の水を飲む手が止まっていた。


「馬鹿な……基礎の動きだがあれだけやれば相当ハードなはずなのに、一歩も遅れず、ついていっているとはどういうことだ?」

「ありえねぇ……俺らがあのレベルになったのは入って一ヶ月はかかってたのによ」

「だが間違いなく素人! 動きがそうだ。てことは単純に才能と素の能力だけでやってるってことか……」

「しかも顔が抜群にいいときてやがる! 身体もやたら絞られているし、こりゃすぐに追い抜かれちまうぞ……」


鏡に映る動きに、唯架もまた目を丸くしている。


「恐ろしい動きのキレ。あれだけ動けば私でもフラつくのに、まだ涼しい顔をしているなんて……まだまだ荒削りだけど、何よりも動作の一つ一つに華がある。地味な私には持ちえない、華が……!」


そんな彼らの反応を見て、竜崎は満足げに微笑むのだった。


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