第33話ゆめみごこちな
◇
外は土砂降りの雨が降り注いでいた。
でも都合が良かった。涙が流れていくから。全身に帯びた身体の熱が冷めていくから。
俺は雨の中を目的もなくひた走る。
パァーン、とクラクションの音がしたその直後、多量の水飛沫が俺を濡らす。
車は俺を気にする様子もなく走り去っていった。
俺もまた既にずぶ濡れなので気にはしないが。
「はぁ、はぁ、は……ぁ……」
30分ほど走っていただろうか。
流石に息苦しくなって歩き始める。
熱っていた身体と共に頭も冷えてきて、多少は思考する余裕が出てきた。
時刻は深夜一時を過ぎている。24時間空いているような店はこの辺りにはないし、これからどうしようか。
橋の下で夜を明かすか。そういえば子供の頃、家から逃げ出して橋の下で蹲ってたところを父さんが探しにきてくれたっけ。
でももう父さんはいない。そんなことはもう二度と起こらないだろうが。
自重気味に笑っていると、誰かが声を上げるのが聞こえた気がした。
「――、――」
立ち止まって振り返るが闇の中には何もいない。
……当然だ。こんな夜更けの郊外に人が歩いているはずがないではないか。きっと空耳、気のせいだろう。
前を向き直り、歩き出そうとしたその時である。
「神谷くんっ!」
はっきりと声が聞こえた。
振り向くとそこにいたのは――詩川さんだった。
どうして彼女がこんな場所に? こんな時間に?
「詩川さん……どうして……?」
困惑する俺と真逆に、彼女は柔らかい笑みを浮かべている。
「……もう、びっくりしました。寝ようと思ってカーテンを閉めようとしたら、雨の中を神谷くんが歩いているんですもの。思わず追いかけちゃいましたよ」
そう言って俺の手を取り、自分の傘へと引き込む。
「もう、ずぶ濡れじゃないですか。こっち、来てください」
「あ、うん……」
言われるがままその後をついていく。
父親のものだろうか、黒い大きな傘だ。寝る直前だったのだろう、パジャマに裸足である。
纏められた髪からはほんのりと石鹸の匂いが髪から香り、その無防備な格好に思わずドキドキしてしまう。
「驚いたのは俺の方だよ。ていうかこんな夜中に女の子が一人で出てきちゃ危ないんじゃないの?」
「神谷くんこそ、どこへ行くつもりだったんですか?」
真剣な眼差しに息を呑む。
橋の下で夜を明かすつもりだった……とはとても言えない雰囲気だった。
答えに詰まっていると、詩川さんはクスッと笑う。
「ウチで濡れた身体を温めていって下さい。今、家に誰もいませんので」
「……へ?」
その笑顔は俺にはどこか現実感がなく感じられた。
◇
さぁぁぁぁ、と降り注ぐ暖かい雨。
冷えた身体に熱いシャワーが染み入るようだ。
「お風呂の使い方わかります? 石鹸とかは適当に使ってくださいね。タオルはそこに置いておきますから。ゆっくりしてて下さい」
ぼんやりしていたところに、詩川さんの声が扉越しに聞こえてくる。
その声は何故か上機嫌そうだ。
彼女の好意に俺は、感謝の前に申し訳なく思ってしまう。
「ありがとう。……でもこんな夜遅くに俺なんかを家に入れて大丈夫……?」
「気になさらないでください。神谷くんは私の恩人なんですから」
「そう、かな……? 俺なんて大したことは……」
「そうなんですっ! あ、服は汚れてたから洗濯しちゃいました。お父さんの服を用意してるので、上がる時はそれを着て下さいね」
「……ありがとう」
心からの感謝を述べ、俺は蛇口を閉じるのだった。
「ふー……生き返るなぁー……」
ふかふかのタオルで全身を拭き整え、用意されていたパジャマに着替える。
扉を開けると詩川さんが飲み物を二つ用意していた。
「ココアでいいですか?」
「う、うん……」
「用意するので、座って待っていて下さいね」
有無を言わせぬその笑顔に、俺は言われるがまま席に着く。
ココアの注がれたカップをテーブルに置いて俺の目の前に座ると、詩川さんは何やら訝しむように俺をじっと見つめる。
「うーん、手足が長いから少しつんつるてんですね。お父さんも結構背が高い方なんだけど……」
「いやぁ大丈夫! 問題ないよ!」
「神谷くんがそういうならいいですけど……」
ふぅ、と息を吐いてカップに口を付けると、形の良い唇がぷるんと弾む。
そんな姿に見入っていた気恥ずかしさを隠すように俺もココアを頂く。
「――あ、美味しい」
「ふふっ、でしょう? 私のココアは母も太鼓判を押すほど評判がいいんですよ!」
誇らしげに微笑む仕草が可愛らしい。
が、それ以上に『母と仲が良いんだな』なんてことを考え、暗い気持ちになってしまう。
「そ、そういえば詩川さん。今日はご家族はどこかに?」
「実は先日曽祖父が亡くなりまして。通夜に行っているんです。私は学校があるから残れと」
「そう、なんだ……なんて言っていいか……」
「気にしないでください! もう百歳超えてましたし、殆ど話したこともないのであまり実感ないんですよ」
あっけらかんと笑う彼女だが、その瞳の奥にはどこか悲しさを感じられる。
俺に気を遣わせない為にだろう。優しい人だな。
二人でココアを飲む間、互いに無言であった。何を話していいかわからないのは、詩川さんも同じようだ。
「そうだ。以前オルティヴ・オンラインをやってるって話しましたよね。良かったら一緒にやりません?」
「あぁ、いいね! もちろん構わないよ」
そういえば以前、そんな話をした気がする。
丁度メットを持ってきているし、こんな状況では会話が保たないし、ゲームをすれば気も紛れるだろう。
「やった! じゃあすぐに用意しますね。神谷くんはここへ座ってて下さい」
そう言って道具を取りに部屋を出る。
ソファに座らされた俺がメットの用意をしていると――
「よいしょ」
と、詩川さんが俺の横に座ってくる。
パジャマ姿でメットを被り、俺に寄りかかってくる彼女の姿はなんというか……背徳的だ。
「実は私、誰かと一緒にプレイするのが夢だったんです。ウチは誰もゲームとかしないし、友達もRPGとかはやらない子ばかりなので。……ふふっ、初めてが神谷くんとで嬉しいです!」
「……俺の方こそ、とても嬉しいよ」
「じゃあ始めましょうか! ……あれ、通信障害かな? 繋がらない……」
「本当だ。メンテかな?」
ログインしようとするが、画面が真っ黒のまま動かない。
色々試してみるも……ダメだ。どうやっても繋がらない。
「こういう時は公式HPを――」
メットを取って立ち上がる詩川さんがテーブルのスマホを取ろうとして、バランスを崩す。
「きゃっ!」
「詩川さん!」
彼女を守るべく身を乗り出す。
なんとか抱き止めるのに成功するも、俺自身までは守り切れず背中を強く打ってしまう。
「ったたた……」
「大丈夫ですか神谷くん……ッ!?」
目を開けると、すぐ目の前に詩川さんの顔があった。
まんまるに開いた目、形の良い眉、赤く染まった頬、薄紅色の唇。
抱きかかえたまま思わず固まる。俺も、詩川さんも。
気づけば彼女は目を閉じていた。まるで身を任せるように身体を弛緩させ、体重を掛けているように感じる。
俺もまたそれに応じるように――
ピリリリリ! と電子音が鳴り響く。
驚いた俺たちは慌てて跳ね起きると、密着していた身体を離した。
あ、危なかった……一体何をしようとしてたんだ俺は。心臓がバクバク言っている。
「で、ででで……電話、ですね……?」
「う、うん。電話だね……」
お互いあまりにキョドりまくった会話。
髪の毛をくるくると指先で回しながら顔を真っ赤にしていた。
どうやら冷静でなかったのは彼女も同じようで、少しだけ安心する。
俺はどうにか心を落ち着けながら、電話を取る。
「はい、もしも――」
「神谷くんかいっ!? 今どこだ!?」
声を荒らげる電話の主は竜崎さんであった。
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