第32話げんじつのいりょく

「……ふぅ、今日は少し早く終わったな」


いつもは深夜の一時とか二時までやっているけど、今日はまだ0時にもなってない。

最近寝不足だったし、たまには早く寝るかなぁ。

そんなことを考えながら寝床に就こうとしたその時である。

どんどんどん! と扉を叩く音が聞こえてきた。


「開けなさい優斗! 聞こえているんでしょう?」

「母……さん……?」


外から聞こえてくるのは母――美恵の声だ。

あの人がここに来るなんて……いや、俺に声をかけることすらここ十年なかったというのに。

一体どうしたのだろうか。もしかして俺と話をするつもりなのだろうか……?


「今更、話なんて……!」


口では拒絶しながらも、心の底では割り切れない気持ちがまだ残っている。

他の人たちも俺の見た目が変わったことで、いい感じに話し合うことができた。

先日、母さんも俺を見て驚いていた気がするし、もしかしたらいい話かもしれない。

ここではなく母屋の方で生活しなさい、とか言ってくれたりして。

そんな甘いことを考えて俺は扉に手をかける。と同時に――

ドゴォ! と激しく音を立てて扉が吹っ飛んできた。


「うわっ!?」


慌てて避ける。飛んできた扉は部屋の反対側に叩きつけられ、べっこりとへこんでいた。

破壊された入り口から土足で踏み入ってくる屈強な男――養父、茂典。

鍛え上げられた腕にはタトゥーが彫られており、髪の毛はオレンジに染めた髪をドレッドで纏めている。

両耳と鼻にピアスが幾つも並び、チョビ髭を生やし、常に漂わせているタバコの匂いは俺が苦手とするものだ。

その後ろには付き従うように母が俺を睨みつけていた。

一体どういう状況だろうか。困惑する俺を見て、茂典はヒュウと口笛を吹いた。


「へぇ、驚いた……本当に別人になってやがるじゃねぇの。整形か? 金なんか持ってねぇと思っていたが、どこぞに隠し持ってたのかねぇ」

「きっとそうよ。おかげで正明に来ていたはずのスカウトが帰っちゃったんだから! 全く忌々しいったらないわ。罰として私たちが貰っておこうかしら。子供の金は親のものだしね。隠しても無駄よ。さっさと出しなさい!」


何の話か全然ついていけてないが、二人の剣呑な空気だけは伝わってくる。

……いや、まともに話すのは久しぶりだし、身構えていたら会話にもならない。

俺は頑張って笑顔を作ると、二人に話しかける。


「い、一体どうしたの二人とも。久しぶりじゃ――」

「――うるせェよ」


俺の言葉を遮って、茂典が拳を繰り出してくる。

え? いきなり何するんだ? しかしオルオンをやりこんでいた俺はその拳にも無意識に反応する。

『パリィ』……ではないがそれを左腕で払い退け、バランスを崩した所に足払いを掛けた。


「うおおおっ!?」


どがぁ! と激しい音を立て倒れる茂典。

背中を強かに打ったようで、呻き声を上げている。


「あ、ゴメン……」


思わず謝る俺に構わず、母は茂典に駆け寄り抱き起こす。


「あんた! 大丈夫!?」

「ぐ……うぅ……!」


苦悶の声を漏らしながら立ち上がるが、足がガクガクしている。

母が支えているから何とか立っているものの、離したらすぐにでも崩れ落ちそうだ。


「テメェ! 舐めたことしてるとぶっ飛ばすぞ! 家長に手を上げるとか、どんな教育受けてるんだこのボケがぁ!」

「そうよ! 親に手を上げるなんて、そんな子に育てた覚えはないよ!」


少なくともあんたには教育受けたことないですけど。

ていうか母からも碌な教育は受けてなかったのを思い出す。

そもそもこの家を買ったのは父さんだし……ツッコミどころがありすぎて思わず言葉が止まってしまう。


「大体俺はテメェみたいな中学デビューみたいな野郎は大ッ嫌ぇなんだよ! ゴミはゴミらしく、大人しくコソコソ暮らしてりゃあ、住まわせるくらいはしてやったのによぉ! もう勘弁ならねぇ!」

「そうよそうよ! 正明の邪魔ばかりして! あんたなんかここから出ていきなさいっ!」


二人から飛び出した言葉に、俺はようやく彼らの要件に気づく。


「……もしかして、ここに来た用事はそれ?」

「あぁそうだ! テメェを家から追い出す為だよ! ただ飯ぐらいを置いておく理由なんてどこにもねぇからなぁ!」

「整形すればチヤホヤされると思ったら大間違いだよ! 憎ったらしい顔をして、あぁ忌々しい!」


――心が冷えていく。

竜崎さんは当初、母が弟の為に呼び出したと言っていた。

だが結局あいつは相手にされなかったらしい。それを悟った母は怒り狂い、茂典に悲しみをぶつけたのだろう。

そしてここへ乗り込んできた。俺への恨みをぶつける為に。俺を追い出す為に。


顔貌が変わろうが変わるまいが、結局養父も母も俺を愛することはなかったのだ。

結局のところ絶対に分かり合えない人というのは存在するのである。


「……わかったよ。出ていく」


そんな人たちと一緒に住んでいても、肉体的にも精神的にもいいことはない。

ここまで決定的に関係が破綻した以上、お互い視界に入るだけでも不快だし、最悪毒を盛られる可能性だってある。

事実、小さい頃に母から変なものを飲まされて何日も寝込んだことがあるくらいだからな。

だったらそうされる前に家を出た方がいいだろう。


「おお! 出てけ出てけ! テメェの辛気臭い面を見ずに済むなんて清々するぜ!」


――ここ十年、殆ど顔を合わせたことなんかないくせに。友好的な言葉を交わしたことなんてないくせに。


「あんたがいなくなれば面倒も無くなって助かるよ。お金もかからなくなるしねぇ」


――学費すら出したことがないくせに。父さんからの保険金を全部自分のものにしているくせに。


「じゃあ荷物をまとめて明日にでも……」

「今すぐにでも出て行きやがれや!」

「……っ! わかったよ。すぐに出ていく――」


手荷物をまとめようとした俺の肩を、茂典が掴む。


「――待て」


カバンに入れようとしたファイル、その中にある一枚の紙を奪い取った。

それは竜崎さんに貰ったスターチャイルドの契約書。

俺の名が書き込まれたそれを、ビリビリと破り捨てた。


「はっはっはー! ザマァみろや! 俺に逆らうからこうなるんだよ! ボケがぁ!」

「キャーキャー! 素敵よあんた! カッコいいわ!」

「……っ!」


二人して子供の成果を破り捨て、はしゃぐその様相は醜悪そのものだった。

初めて湧き上がる嫌悪感。殴ってやろうかと拳を握り締めるも、一応は育てて貰った恩もある。

それに彼らを殴ったら面倒なことになることは請け合いだ。もはや彼らに使う時間すら惜しい。


「お世話に、なりました……」


震える声でそう言って、俺は神谷家を後にするのだった。


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