第28話契約を結ぶことにした

連れて行かれたのは広間の最奥、一際豪華な扉を開いた先にある部屋である。

広い室内の中央にはポツンとテーブルとワイングラスが置かれており、巨大水槽にはアロワナが優雅に泳いでいた。

反対側は夜景が見渡せるような一面のガラス張りで、目が眩みそうな高さである。


「ご注文は如何いたしましょうか」


テーブルに着いた俺たちに、ウェイターさんが恭しく頭を下げる。


「この店にメニューはない。なんでも作れるからな。神谷くんの好きなものを注文してくれ」


メニューがないとか怖っ。それ即ち、値段すらもわからないということになる。

あまり高いものを頼むと後が怖いよなぁ。出来るだけ安いものを頼もうっと。我ながら小市民。


「じゃあ……ラーメン、あとカツ丼。ピザ」


とはいえ割と腹も減っているので、そこそこ頼む。

まぁこれなら幾ら高級店でも一万円はいかないだろう。

最悪俺の財布で払えなくもない。


「かしこまりました。ラーメンでしたら塩、味噌、豚骨など、ピザもトッピング等自由にお選び頂けますが」

「お、お任せで!」

「竜崎様はいかが致しましょう」

「彼と同じものを」

「畏まりました。ワインはいつものでよろしいでしょうか?」

「ん、今日は学生と一緒だからな。ミネラルウォーターにしてくれ」

「承知いたしました」


再度深々と礼をして、ウェイターさんは下がっていく。


「……竜崎さんて、よくこの店来るんですか? 知り合いみたいでしたけど」

「いいや? せいぜい半年に一度くらいさ。あの人の記憶力がいいだけだよ」


一流のウェイターは一度訪れた客を決して忘れないという。

やはりこれだけの店ともなると、従業員一人一人のレベルも違うのだろう。


「さて、待っている間に少し我々の話をさせて貰おう。――既に知っているかと思うがウチは老舗の芸能プロダクションだ。1960年代、白黒テレビの頃からテレビ業界に参入していた程でね。昭和のヒット曲も幾つも大ヒットさせている。『吉川さおり』とか『深空ひばり』とかは今でも有名だが……とはいえ君は生まれてない頃だし、ピンと来ないか」

「いえ、父の影響で昔の歌謡曲とかよく聞いてたもので……お二人とも大ファンです」

「へぇ。嬉しいね。実はかくいう俺も大ファンで……ほら」


携帯を開くと、そこには昭和の大スターと一緒に写真を撮る竜崎さんの姿が映っている。

手には名前入りサイン色紙まで持っていた。


「うおおおおおっ! す、すごい……!」

「二人とも今は別の事務所に移ってしまったけれど、たまに謝恩会で挨拶くらいは交わしてくれる仲なのだよ。はっはっは。いいだろー」


自慢げに笑う竜崎さん。

昔の歌手の話とか誰かとしたことなかったからなぁ。なんだか親近感が湧いてくる。


「まぁそんな老舗なわけだが、今はもっぱらアイドル業に注力していてね。若い才能を絶賛発掘&育成中というわけさ。最近売り出し中のだと、『ICEMEN』とか『プリンス&プリズム』、『FifthZero』とかが有名かな」

「いくつかは聞いたことあります。名前だけですけど。スミマセン」

「あっはっは。まぁ男は男性アイドルなんか興味ないよな。気にしないでくれ……おっと、食事が来たようだな」


いつの間にか時間が経っていたようで、ウェイターさんが台車に乗せて料理を運んでくる。

うわ、銀のお盆とかリアルで初めて見た……フォークとナイフだけでなく、箸も付けてくれるのはありがたい。

テーブルに乗せられた料理の蓋を取ると、白い湯気と共に芳醇な匂いが漂ってくる。

とても美味しそうだ。眼前に並ぶ料理を見て、思わず生唾を飲み込んでしまう。


「カツ丼に乗っているカツは高原ブランド豚から僅かにしか取れない希少部位を半熟成させ、高温で一気に揚げたものです。卵も厳選した烏骨鶏が朝一番で産んだものを潤沢に使いました。こちらをご飯と絡めてお上がりくださいませ。ピザは本場イタリアから取り寄せたマルゲリータチーズを使用し、トマトも地元の農家さんから買い上げた一級品を――」


ぐぎゅるるるる、とウェイターさんの声を遮って俺の腹が鳴る。


「す、すみません……」

「……いえこちらこそ長々と失礼致しました。どうかゆっくり召し上がって下さいませ」

「はっはっは、蘊蓄なんかじゃ腹は満ちねぇしな。気にせず食べてくれ」

「あはは……ではいただきます」


両手を合わせ、一口。

――おおっ! 美味い! 学食で時々カツ丼やラーメンは食べたが、それとは一線を画する美味さだ。

ボキャブラリーが貧困なので言葉では言い表すのは難しいが、普通のカツ丼ではあり得ない上品な味。

にも関わらず濃厚なコクや旨味は存在しており、むしろ互いが互いを引き上げているとすら感じる。

天にも昇る至福の味だ。美味い。あまりにも美味すぎる。

気づけば俺はラーメン、カツ丼、ピザを丸々平らげていた。


「すごく美味しかったです!」

「ありがとうございます。シェフに伝えておきます」


ぺこりと満足げにお辞儀して去っていくウェイターさん。


「……ふっ、若いな。あれだけの量をペロリとは。……ところで神谷くん、よかったら俺のも少し食べてくれないか」

「いいんですか!?」

「あぁ、歳を取ると中々重いものが入らなくてね。いや、食べられないわけではないぜ? ただ君があまりに美味しそうに食べるから、どうかと思ってさ」

「ありがたくいただきます!」


竜崎さんから貰った料理もまた、あっという間に食べ終える。

俺が食べたのよりも少しあっさりしていたかな。流石に二人分となると薄味の方が染みる。

あのウェイターさん、こうなることを見越していたのだろうか。うーむ、仕事人だ……


「――で、と。話の続きをしようか。単刀直入に言おう。君には我が事務所に所属してほしい。我々は君のことも非常に高く買っており、大々的に売り出すつもりでいる。レッスンや何やらでそれなりに拘束はあるが、もちろん学業優先で構わないし、所属した瞬間から給料も出る。売れれば月収数億も夢ではない。悪い話ではないと思うが……どうだろうか?」


どうだろうかもクソもないだろう。

真剣な眼差しの竜崎さんに、俺は苦笑を返しながら言う。


「俺でよければ受けさせていただきます……ていうかこれだけして貰って、断れる程図太くないですよ。俺は」


最初は驚いて逃げてしまったが、大人の人にここまで頼られるのは正直言って悪い気はしない。

ゲームをやる時間は多少減るかもしれないが、ダンスとか歌の練習はオルオンの二次職である吟遊詩人や踊り子の練習にもなりそうだしな。

バイトも辞めたばかりで新たに探すことを考えたら、むしろ願ったり叶ったりだ。


「おおっ! そうかそうか! そうだよなぁ! うんうん、よかったよかった! それではこれから、よろしく頼むよ神谷くん!」

「こちらこそ、頑張るのでよろしくお願いします」


こうして俺は芸能事務所、スターチャイルドに所属することになったのである。

――余談だが、お会計の時に竜崎さんが支払った食事代金は三十万を超えていた。

ドン引きする俺にどうせ会社の金だから気にするなと言っていたが、それだけ期待されてるってことだよなぁ。

小市民なので勝手にプレッシャーを感じる俺なのであった。

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