第25話急に弓道がやりたくなったので
◇
かぁーん、と甲高い音が早朝の道場に響く。
俺の放った矢が風を切り、的の右端に突き刺さったのだ。
ここは我が清風高校の弓道場、公立の学校にしては珍しく、ちゃんとした的がある道場だ。
珍しく早起きした俺はこうして弓道部の朝練に来ていたというわけである。
「ふむ、見事だ神谷」
長い黒髪を後ろで結んだ女生徒――小鳥遊先輩が正座のまま言う。
成績は常にトップで生徒会の書記も務め、弓道部のエースでもあるこの人は。まさに文武両道才色兼備をそのまま形にしたような人なのである。
地味に巨乳らしく、自分に合う胸当てが中々見つからず特注したらしい。
小鳥遊先輩は一片の隙も見当たらない流麗な動作にて立ち上がると、俺の方へゆっくりと歩みよる。
「しかしどうした? こんな朝早くに。いつもは滅多に来ないじゃないか。一体どういう風の吹き回しかな?」
「あはは、なんとなく弓を触りたくなりまして……」
「ふっ、いいことだ。君は弓の才がある。腐らせておくには惜しいと思っていたのだよ」
目を細ませて微笑を浮かべる小鳥遊先輩。
――俺が弓道部にいる経緯は少々複雑だ。
海堂にイジメられていた俺は毎日放課後に連れ回され、部活にも入れずにいた。
それを見かねた小鳥遊先輩が、ある日弓道部に誘ってくれたのだ。
オルティヴ・サーガでは弓手をやっていた俺は実は弓道部に興味があり、海堂から逃げたいという気持ちもあって時々遊びに行かせて貰っていたのである。
正式に入部したい……そういう気持ちももちろんあったが、弓道部をやるにはお金がかかるので学費すら自分で払っている俺にはとても無理だったのだ。
それから時々遊びに行かせて貰っていたが、デブで不細工だったこともあり周りの部員の目も相当にキツく、小鳥遊先輩がいる時くらいしか顔を出せなかった。
しかしこの人も生徒会で忙しいからなぁ。俺も最近は足が遠のいていたのである。
今日は早朝だからか他の部員はおらず、小鳥遊先輩の射撃をゆっくりと眺めていられる。
久しぶりに見る彼女の射的はとても、とても美しく、動作の一つ一つが見惚れる程に美しい。
指が弾かれた一瞬後に、かぁん! と澄み切った音が響いて、的に中る。
残心、そして姿勢を直す小鳥遊先輩に俺は拍手を送る。
なんだかマナー違反っぽいけど、別にそうでもないらしい。一度試合を見学に行った時はあるが、よっしゃあ! とかうおおおお! とか体育会系バリバリの歓声も上がっていた。射る時に静かにしていれば当たった後はそう堅苦しいものではないのだとか。
「相変わらずの腕前で」
「ありがとう。しかし君も随分変わったな。まず姿勢が良くなった。顔付きも逞しくなったし、まるで別人のようだよ。最初に見た時も驚いたが、弓を射ればその違いは歴然。以前から才能の片鱗は感じていたが、本当に上手くなった」
「あはは……ありがとうございます」
殆どの人が以前の俺とは別人だと思ってたくらいだからなぁ。
気づいていたのは詩川さんくらいだっけ。母さんとか言っても信じてないくらいだったし。
「しかし不思議だ。君の構えは正式な型とはかけ離れているのに、妙に胴に入っている……まるで山で獣を狩っていたハンターのようだ。どこかで訓練でもしたのかい?」
「まぁ、多少……あはははは……」
訝しむような問いを笑って誤魔化す。
ゲームの中で弓を撃ちまくっていただけ、だなんてとても言えないな。
仕方ないだろう。先日一日中サボテンを撃ちまくっていたら、リアルでも撃ってみたくなったのだから。
ゲームでは動き回りながら撃たなければならないので、どうしても型が崩れてしまうのである。
……まぁ俺は正式な部員でもないし、小鳥遊先輩も他の部員がいない前ではそこまでうるさくは言うことはない。
「でも珍しいですね。今日は小鳥遊先輩しか朝練に来てないんですか?」
いつもなら他の部員も参加していた気がするのだが……首を傾げていると小鳥遊先輩は悲しげに目を伏せる。
「あぁ……ま、色々あってな」
そう呟いたっきり、小鳥遊先輩は口を閉ざした。
憂いを帯びたその横顔に俺は、それ以上何も言えなかったのである。
◇
「おお神谷じゃないか。どうしたこんなところに」
昼休み、皆の誘いを断って俺が向かった先は山田先生の元だ。
この人はいつも屋上で一人、弁当を食べているのである。
以前、海堂たちから逃げる為にここで昼食を食べていた時に偶然会ったのだ。
「珍しいな。お前がここに来るなんて。あれから中々姿を見せなくなったから、嫌われたのかと思ったよ。はっはっは」
「と、とんでもないです!」
いつも生徒たちに囲まれ、同僚の先生方からもよく誘われているこの人は昼休みくらいは一人になりたいとか言っていたから、それ以来俺は先生に遠慮してあまりここへ来てなかっただけである。
慌てる俺を見て楽しげに笑うと、身を乗り出して尋ねてくる。
「どうしたそんな顔して? 私に何か用があるんだろう? 言ってみなさい」
「山田先生には敵いませんね……実は最近弓道部に何があったか聞きたくて」
俺の言葉にピクンと耳を動かし、真剣な眼差しになる。
「……ふむ、そういえば君は弓道部で世話をして貰っているらしいな。ではまるっきり他人というわけでもないわけだ。知る権利はある、か……まぁいい。ここには誰もいないし私と君の仲だ。特別に教えてやろう。……実はな。弓道部は崩壊の危機にあるのだよ」
「!? どういうことですか!?」
「小鳥遊が面倒見が良いことは知っているだろう? 実はあいつ、あまり素行の良くない生徒を弓道部に引き込んでしまってなぁ。海堂の取り巻き、といえば伝わるか?」
「……っ!」
言うまでもなく知っている。
俺もまた彼女に面倒を見て貰った一人なのだから。
そして俺意外にも多少問題のある生徒を弓道部に入れていたことはよく知っていた。
しかし海堂の取り巻きにまで……恐らく海堂がいなくなって後ろ盾を失い、困っていた彼らに手を貸したのだろうが……あまりにも優しすぎるよ小鳥遊先輩。
「そういえば部室の更衣室で何故か煙草の残り香がしていたっけ」
弓道部の面々は真面目な者が多く、誰彼構わず面倒を見ようとする小鳥遊先輩をよく思ってない者も少なからずいた。
なのに海堂の取り巻きなんかを入れたら、そりゃ辞めるだろうなぁ。
「私としてもどうにかしてやりたいのだがな。はっきり言って小鳥遊の蒔いた種でもある。本人も我々教師の介入を拒んでおり、こちらとしても手が出し難いのだよ。しかし同じ生徒であるお前なら出来ることもあるかもしれん。小鳥遊の面倒見のよさは悪い部分もあるが、基本的にはいいことだ。こんな失敗で挫けさせたくない。神谷、あいつの力になってやってくれ」
「もちろんです!」
小鳥遊先輩には、弓道部には辛い時、苦しい時に世話になってきた。
今がその恩を返す時である。
……あと弓の練習もしたいしな。その為なら尽力を惜しむつもりはない。
「お前なら大丈夫だとは思うが、問題が起きそうなら教えてくれよな。頼んだぞ」
「はいっ!」
元気よく言葉を返し、俺は屋上から戻るのだった。
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