第七章 自由 5
「レイン!」
フィロリスが叫ぶ。
体は満身創痍、防刃素材の黒いコートはところどころが裂け、細かい繊維が毛羽立ってしまっている。
宙を浮くレインがいた。だらりと両手を下げ、捕われの姫君のように首をうなだれている。
それを捕らえているのは青い龍、イズドラゴン。
青を司り、水を守護すると言われている精霊。
風を司るアンスールドラゴンと同等の元素の化身だ。
龍に向かうようにしてルーイが立っていた。
その場までフィロリスが駆け寄る。
「……ルーイ」
魔術に明るくないフィロリスでもルーイを見ればわかる。ルーイの体からは魔法の源である氣が流れ出していた。ルーイの氣、黄金色の氣が流れ、レインへと続いている。
それも半端な量ではない、体の大きさと氣の量は比例しないといってもその量は限界がある、人間が手に出来る限界値に近い。
ルーイの前の地面に赤い色が見える。血が過剰に流れ、肺の毛細血管が破れてしまったのだろう。どうみても氣の使いすぎだ。
直接の氣は威力がない代わりにフィードバックが少ない。反動をほとんど受けないのだ。だが、ルーイはその限界を消費してしまっている。
結界を破るのに相当の氣を使ってしまっていたことをフィロリスは知らない。
「ルーイ!」
「フィロリス……」
弱々しく顔を歪ませる。
「どうした?」
「……すみません、私のミスです」
ルーイが気張っているのが見て取れる。本当はそのまま倒れていてもおかしくない。氣とは生命の元でもある。ルーイが使う外氣は直接には体力に影響がないものの、内氣をじわじわと削り取る。
「どうすればいい?」
フィロリスが単刀直入に聞いた。
時間がないことも、ルーイが限界をとうに超えていることもフィロリスは直感で理解できた。
「レインさんが、あれを封印するのに、少し手助けをして下さい」
ルーイの氣が枯渇しようとしている。
「そんなことできるのか?」
「分かりません、ですが、それしか方法が思い浮かびません」
レインは、その能力故に龍に氣を飲み込まれてしまいそうになっている。レインに意識がない以上、レインの氣がなくなるまで龍は氣を吸収し続けるだろう。
際限なく氣を奪う、ということは単純に死ぬ、ということだ。
龍に意思があろうとも、全ての生命に対して慈悲があるわけではない。
特に人間に対してあまり良い感情を持っているとは決して言えることのない事情がある。
精霊は概して人間を嫌っている。この世界を壊しているのは人間だからだ。
「何とか吸収量を超えれば」
そこでルーイの声が詰まる。
他に気を配る余裕がないからだ。
ルーイが一呼吸置いて続ける。
「レインさんを起こせるかもしれません」
今はルーイがレインに氣を送り、それを分散させて龍に吸わせている。レインに接していないので、内氣を送ることはできない。内氣を送れないと、直接他人の回復力を高めることはできあに。龍が吸おうとしているレインの氣をルーイの外氣が包み、代わりに吸わせることで龍を騙しているようなものだ。
ルーイだけの氣だと、龍の吸い続ける量の方が多く、じわりじわりとレインの氣が奪われる。多重魔法のおかげで氣の残量も、操る感覚も失いつつある。
それを聞いてフィロリスが返す。
「起こしたって」
レインが龍を封印できるか、それはまた別問題だ。
「ですが、方法が」
「わかった」
フィロリスが了承する。
ルーイにわからないことにフィロリスが魔術のことでわかるわけもない。ルーイに従った方がいいだろう。
フィロリスが両手をレインに向け、外氣を込める。
青い龍はどこも見ず、どこにも存在しない強力な存在感を漂わせていた。
体の外を纏っている氣を頭の中で実感させ、氣を練る。
外氣とは外へ発する魔法の源、外界の魔法元素と呼応できる身体の唯一の部分。
フィロリスが舌打ちをする。
フィロリスは魔法を構成するのが苦手だ、それは修行不足のせいもあるが、生まれつき、というどうしようもない理由がある。フィロリスの中心は内氣、比率で換算すると80パーセント以上を占めている。ここまで差が出ると、魔法を使うことをほとんど諦めてしまうのがこの世界の通常だ。
それ以前にフィロリスにはライゼンとの戦いで消費してしまったため内氣は少ししかない、体力の回復すらままならない状況だ。
「大丈夫です、フィロリス」
ルーイが声をかける。
フィロリスにいくら魔法を教えても実を結ばなかったのはルーイが良く知っている。それでもルーイは教え続けた。
外氣を上手く操るということはそれだけ内氣を上手く操れるということに通じる。
「思い出して」
頭の中でフィロリスが反復する。
体に巡る血液のような流れ。
内氣。
薄い膜のようなものが全身を覆っている。
頭で理解し、肌で実感する。
それが外氣。
本来ならここで外に漂う魔法元素を感じ、それに呼応させる必要がある。しかし今はその必要がない。
その代わり、この氣を実際に指定した向きへ放たなければいけない。
意外と簡単そうで、実用性があまり少ないため誰も修行をせず難しい行為だ。氣そのものはどちらも有害なものではない。それらを呼応させて実体化させたものに威力がある。
レインに向かって、氣が流れると仮定する。
想像する。
空想する。
想うことはそれ自体力となる。
何とかしたい、向こうへ届かせたいと想う。
フィロリスの蒼い氣がレインの周囲へと届く。
だがそれは微妙な量だ。
これだけでは全く意味を為さない。
少しずつ外氣を増やしていく。
糸を紡ぐように、線を太くする。
最初にしては上出来だろう。
龍が咆哮を上げる。
耳を裂くような音。
「まだか?」
フィロリスがルーイに聞く。フィロリスとルーイの分を合わせ、金と蒼の氣が重なり合い、レインへと注ぐ。見た目では分量がどうなっているのかわからない。
ルーイが感覚により理解するより他はない。
ルーイが小さく首を振る。
諦めにも近い弱々しさだ。
ルーイはそろそろ限界が訪れる。
フィロリスにもそれくらいはわかる、それでもルーイは一向に弱める気になっていない。
どうすればいい。
フィロリスだって怠けているわけではない、元々少なく扱いに長けていない外氣を放出している。
答えは一つ。
胸に告げる。
少しだけ、力を。
グレン。
フィロリスである以上、グレンに助けを求めることはできない。
そんなことは百も承知だ。
シーグルの能力自体を持たない自分ではこれ以上の氣を捻出することは不可能だろう。
だから、力を。
グレン。
心の中で声がする。
ふざけるな、今更。
それはグレンではなく、フィロリスの心の声。
甘えるな。
自分の中に住むもう一人の人間が言うだろう言葉を勝手に作りだしているだけ。
拒絶、しただろう。
単なる独り言。
借りたいときだけ、呼ぶな。
グレンではなく、自分に頼む。
今だけ、力を。
そういえば、当たり前の話だがグレンと会話をしたことはなかった。
僕は、お前の代わりじゃない。
単なる厄介者、そうとしか思ったことはなかった。
僕を、受け入れろ。
実験のために創り出された生命。
それは、お前も同じだ。
これは、一体誰の声。
僕は、ヒトリだ。
グレンの声?
僕は、いつもヒトリだ。
違う。
ヒトリだよ。
違う。
いつでも、いつまでも。
違う、俺は違う。
違わない。
俺は、ヒトリじゃない。
じゃあ、ダレがいるの?
何?
アナタニハダレガイルノ?
誰もいないのか。
ソウ
そんなわけがない。
ダレモイナインダヨ
違う!
ボクモヒトリ
分かった。
ナニ?
これは、自分の声だ。
……ソウダヨ
これは、俺だ。
ボクハ、フィロリス
俺は、フィロリス、だけど。
ナニ?
俺には、ルーイがいる。
ソレダケ?
レインも、エルフィンも、シークネンも、エミリアも、ライゼンもだ。
ボクハ?
お前もだ、グレン。
……アリガトウ
氣が増える。
急速に増えた氣は自分の管理もままならなず、レインに注ぐ。
過剰ともいえる氣の量だ。
誰の氣だろう。
自分は今フィロリスだ。
だから、これもフィロリスだろうか。
そんなことはどうでもいい。
振り返ったルーイにフィロリスが目で合図をする。
ルーイが首を傾げた。
その直後、空間が強い光に包まれた。
眩しさのあまり目を閉じるフィロリスとルーイ。
次の瞬間、二人の前に現れたのは輝くレインの姿だった。
瞳の色が金色になる、シーグル化している証拠だ。
龍が咆哮をする。
その声は、切なさを含んでいるかのようだ。
「行けるのか」
フィロリスが言う。
フィロリスは話に聞いているだけで、実際にどのようにレインが封印するかを知らない。
「わかりません」
ルーイが返す。
召喚よりも封印の方が遥かに難易度の高い術だ。精霊の意思に反して行うから、その精霊と同等の能力を要求される。
「後は、レインさんが」
宙に浮いたままのレインが少しだけ前に出る。
二人はもう氣を送ることを止めていた。龍から切り離されたレインは、氣を吸われていない。
無意識の行為だろうか、光に包まれたレインが両手を組み、祈るような姿勢になる。
世界が、止まる。
光が広がり、世界を包む。
暖かい光が二人に降り注ぐ。
封印とはそういうことなのだろうか。
光に包まれ、龍が精霊界へと還る。
終わった、そうフィロリスとルーイが思ったときだった。
光が収縮し、いくつかの板になる。
ルーイの使う光の魔法にも似ていた、が、温度のある光。
それがレインの周りを取り囲み、ヒュンヒュンと音を立てながらレインに壁を作るように回転を始めた。
何故そんなことをしているのか、それはフィロリス達はおろかレインにもわかっていないだろう。
回転が速くなり、目で追えなくなる。
そして、ズタズタに龍を引き裂いてしまった。
驚愕の表情をする二人。
引き裂かれた龍は霧散し、姿を消した。
攻撃ではないだろうから、ただ水に戻っただけだろう。本体は精霊界にあるはずだ。
封印というよりは、強制的に存在を消したかのように思える。
あんなものを喰らえば精霊でなくても簡単に殺せるのではないか。
龍の光が消え、レインの光も消えた。
レインがふわり揺れ、支えのなくなった体が今にも落ちそうになる。
「フィロリス!」
ルーイが合図をする。
言うか言わないかのうちにフィロリスが駆け、祭壇を蹴り宙に舞う。レインが加速度を増し水面に落下しようとする。それを残り二メートルで受け、向こう岸まで飛び移る。
足元に注意しながら壁際の地面を歩き、ルーイの元へと移動する。
「大丈夫ですか?」
半分はレインに、もう半分はフィロリスに対して。
どちらも大丈夫でないことは、ルーイは十分承知している。ルーイも大丈夫かと言われれば全く大丈夫ではない。視覚が怪しくなっている、気を付けなければ足元を滑らせてしまうかもしれないほどだ。
「ああ」
フィロリスが返す。その腕と腹部からは血が滲み出ている。傷はそう浅くはないだろう。
意識の薄いレインの肩を取り、横に立たせる。
とん、と軽くフィロリスがレインの頭を叩いた。
「……あ、あれ?」
頭を揺らしながらレインが周りを見渡す。
寝ぼけたような、惚けたような顔だ。
文句なく一番現状を分かっていない人物だろう。
「大丈夫ですか?」
ルーイはもう一度、レインに向けて言う。
「あ、はい、大丈夫です、でも」
自分が何故ここにいるのかわかっていない様子だ。
フィロリスとルーイは顔を合わせ、レインの無事を確認し、少しだけ安堵の表情を浮かべた。
「フィロリス」
ルーイが落ち着いた顔でフィロリスを見る。
「何だ?」
「ライゼンは?」
ただ、首を振るフィロリス。
その応えはどうにでも取れるものだった。
「帰ろう」
ルーイは何も言い返さなかった。
レインを起こし、龍を封印するためにルーイとフィロリスが彼女に氣を送っていたとき、どうしても絶対量が足りなかった。
その時、フィロリスは背後に気配を感じていた。
最後に後ろから紅い氣が流れたことは、フィロリス以外誰も気がついていなかった。
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