第七章 自由 4
「結界を解いたな」
ライゼンが独り言を言う。
向こうの空間から轟音が響き、淡い光が闇の中から光った。
フィロリスにライゼンの声は届いていたが、まだ彼は向こうで何が起こっているかどうか知らない。
こちら側の生き物ではない、強大な生命が息吹を上げていることを。
同時にガラガラと地面が崩れていく。
両者を分かつように間に空間ができていた。穴の直径は5メートルほど、フィロリスの目の前で深淵が顔を覗かせている。
水脈の影響で地下に今いる場所と同様の空洞が出来ていたのだろう。どこまで地下が広がっているかは分からない。もう少しでも空間が大きかったらフィロリスは呑まれてしまっていたはずだ。
それほどまでにライゼンの実力は並外れていた。
冗談じゃない。
円を右側から走り込みライゼンへと向かう。
頭の中で詠唱を反復させ、エーテルウィングを発動させる。一度詠唱を完了させていれば、修行の足りないフィロリスでも内氣術を復元できる。
手に力が入る。
ライゼンの術とは違い、氣を物質化しているわけではないから特殊な攻撃はできない、が、筋力や反射神経といったもろもろの運動能力を上げることができる。
それでもライゼンには遠く及ばないことはわかっているが、少しでも上乗せできるのならしておかないといけない。
宙を跳ねる。
「ちっ」
振り上げたカタナをライゼンが受け止め、力で押し返す。電撃も慣れればそう衝撃も大きくないことが分かった。それに再充填をできるのは左腕からの内氣術だけらしい。
速さで攻めればあれは出ないか。
両手に構え、右から薙ぎ払う。
ライゼンはそれを右手一本で受け止め、後ろに戻す。
掻き回すようにカタナを振るう。
最初から決定打を当てることを目的としない、少しでも隙を作れば何とかなるかもしれない。元より剣技でフィロリスは劣っている、ライゼンのような一撃必殺の技があるわけでもない。
それを冷静にライゼンが片手で止め、流す。
ズシャ
刹那足元が行き場をなくす。
ライゼンが開けた穴がフィロリスの足を吸い込もうとしていた。
「後ろ向きで崖を、か」
フィロリスは数日前にシークネンが言っていた言葉を漏らしていた。確かに、今思えば彼の言った意味が分かる気がする。
危険を望んでいるわけではない。
自分は自らを危険に追い込み、生への感覚を得たかったのだ。
グレンではなく、自分の血流の高まりを感じる。
何故か笑いが浮かんでくる。
ライゼンが左腕に雷電を貯める。
刀身に流す前にフィロリスが駆ける。
ライゼンがふっと笑う。
真正面から全力で向けられたフィロリスのカタナを片手で楽々と防ぎ、左足を一歩前に踏み出す。
刀身に込める前の左腕、それを掌ていのようにフィロリスの胸に叩き込んだ。
「ぐっ」
衝撃は一瞬、気がついたときには体が浮いていた。
痛みはそれほどない。
フィロリスの体はライゼンとの間に何か透明な板でも挟んであるかのように隙間ができていた。
まずい。
何が次に起こるのかも分からずにフィロリスはそう思った。
下に向いていた自分のカタナを咄嗟に掴み、ライゼンに向けようとするが体が痺れて意思通りに動いてくれない。
このままでは。
刹那の時間が永遠にも感じられる。
思考がいくつもの手を考えるが、それに付随する体がない。
ライゼンがカタナを逆に返すのを見る。
逆刃にすれば斬り付けられることはない、峰打ちができるのもカタナの特徴である。
だが、今何故。
カタナを縦に構える。
実際にはただ右手を少しだけ上げることができただけ。
このゆっくりとした時間でさえ見えないほどの速さでライゼンがカタナを振る。
ライゼンのカタナとぶつかり、フィロリスのカタナが弾かれる。
回転しながらカタナは下へ、自分はそのままの体勢で壁へと打ち付けられる。
ゆっくりと、高速に。
冷たい壁にぶつかり、岩盤が崩れる音が聞こえる。
呼吸が止まる、背中を強く打ちすぎたか。
フィロリスはやけに冷静な自分を感じていた。
目の前に飛び込んでくる人影。
まだ、かよ。
愚痴を心に出す暇はあった。
手にカタナはない。
避けられる余裕も力も残っていない。
ライゼンが両手でカタナを握っているのが見えた。
全力かどうかはわからないが、今までよりも強い電撃が待っているだろう。
確実に、死ぬ。
死ぬ?
いいのか?
これで、死んで。
嫌だ。
もっと、想え。
誰だ?
生きたいなら、想え。
誰だ?
生きたいなら、想え!
生き、たい。
足りない。
生きたい。
足りない!
生きたい!
目の前が明るくなる。
体が自由になる。
ライゼンはもうすぐそこにいた。今度は逆刃ではない、直撃すれば、良くて感電死、悪くて真っ二つ。
足元が空中を彷徨い、体が地面へと落下を始める、このままいけば、ライゼンと正面からぶつかる。
左右に移動することはできない。
避けられない。
逃げられない。
……受けるか?
可能な限りの力を両手に込める。
自分でも馬鹿げたことだということはフィロリス自身がよくわかっていた。今まで散々避けられなくて、今更受けれるはずがない。
それでも。
生きるために。
ライゼンのカタナが水平に振られる。
世界はまだ緩慢だ。
流れるような無駄のない動き、だからこそ速さも一定だ。
胸の前に来たところで右手を上、左手を下にしライゼンのカタナを挟む。自分でしておいてよくできたと思うほどの行為だ。
電撃が襲う。
まだ手は離せない。
ライゼンと目が合う。
フィロリスも、ライゼンも、少しだけ微笑んでいた。
フィロリスに限界が訪れ、電撃に従って跳ね上げられる。
ライゼンのカタナがフィロリスのいない、壁を思い切り斬り裂いた。
ライゼンの背中を通るようにフィロリスが地面に吸い込まれ、何の受身もなく打ち付けられた。
フィロリスが落ちた先、そこに奇妙な明かりがあった。
差し込まれているのは紅と蒼の光。
うめきながら天を見上げる。
巨大な穴が開いていた。
ライゼンの一撃で山の土砂が全て吹き飛ばされ、その部分に穴ができていたのだ。
それについて考える余力はフィロリスにはなかった。
ただ、自分があれから何とか凌いだ満足感だけがあった。
ライゼンが目の前に立つ。
終わりを感じていた。
向こうは無傷、こっちは動くだけで精一杯、今続ければどちらが勝つかは明白だ。
「一つ、超えたな」
唐突なライゼンの声。
それは、さきほどの声の主だ。
頭に響いた、声の主。
「お前は自由だ」
ライゼンがカタナを向ける。
それは諭すような口ぶりだった。
「私や、グレンよりも」
返す言葉が見つからない。
「お前は、何を望む」
グレンにした時と同じ質問を繰り返す。
当然フィロリスは知らない。
「自由を手に入れ、お前は何を望む」
ほとんど独白のように、ライゼンがフィロリスに向かって話す。
「全ての束縛を捨て、自由に生きる気分はどうだ」
威圧感を感じさせながら、けれど誰よりも優しく。
「そのために他を捨てる意味はなんだ」
緊迫したまどろみが流れる。
頭の中が整理できない。
自分が自由だと思ったことはなかった。
自由でありたいと思ったこともなかった。
どれだけ自分が恵まれているか。
どれだけ他を犠牲にして成り立っているか。
考えたこともなかった。
自分はいつも一人だと思っていた。
永遠に一人だと思っていた。
なぜ、どうしてそんなことをライゼンは聞く?
「わからない」
沈黙の後、フィロリスが口を開く。
「では、最後の機会だ」
ライゼンがカタナを取り、水平に向ける。
もう一度、という意味だ。
フィロリスが立ち上がる。
完全に戦える力も残っていない。だがこのままでいればライゼンの一撃を喰らってお終いになってしまう。
横に落ちていた自分のカタナを拾う。
足がカタナの重さでふらついた。
ライゼンが向かってくる。
フィロリスにそれに応える力はない。
カタナを下げて刃先を地面に付けたまま、前へと進む。
横に一閃。
後ろに下がり避ける、服がカタナに擦れ皮膚が裂ける。
右へ一閃。
腕が裂けた。
見える。
不思議な感覚。
ライゼンのカタナが遅くなっているのか?
そんな感覚。
線が見える。
氣の流れ。
感覚を掴めばそんなに難しいことではない。
その度に体から血が滲み出る。
だからといってライゼンとの差が縮まったわけではない、こちらからは一向に攻撃を加える隙がない。
チャンスは恐らく、一度きり。
次に横の一閃が来たとき。
その一瞬に全てを賭ける。
ライゼンの動きが止まる。
刹那という時間。
来る。
ライゼンが右横に払うと同時に前に突っ込む。
フィロリスの右腕がライゼンのカタナで裂ける。右腕から勢い良く血が出る。そこまでは予定通り。
払ったカタナがもう一度振り下ろされるより速く、フィロリスががら空きになったライゼンの胸に入る。
残り少ない力を注ぎ、ライゼンの鳩尾に左拳で一発。
ぐらついたライゼンに覆い被さるように、そしてカタナを下ろす。
永遠の一瞬。
「ライゼン!」
ライゼンに深々と突き刺さるのはフィロリスのカタナ。
カタナはライゼンの腹部を貫通し、地面まで届いている。
自分で刺して、フィロリスが驚きの声を上げる。
刺さるはずがないと思っていたからだ。
それは、まるで
「何でよけなかった!」
ライゼンが自分からカタナに飛び込んだように見えた。
フィロリスが後ろに跳ねる。
口から血を吐き、ライゼンが立ち上がる。
「これで二つ、越えた」
ゆっくりとした声でライゼンが言う。
フィロリスには意味がわからない。
ただ、それに対して何も言おうとは思わなかった。
フィロリスがライゼンを見下ろすように立っている。
これで勝ち負けは決定していた、フィロリスにはライゼンにとどめを刺す必要も理由もない。
フィロリスの目を見ず、天井を見上げたままライゼンが言葉を発する。
「ラストレシピエントの言葉を伝える」
ラストレシピエント、それはフィロリスとライゼンの遺伝子提供者であり、遺伝上の地位親。二人を結びつける唯一の点。
紅い瞳に、銀髪の男。
フィロリスが、遺伝しなかった銀髪。
彼曰く、この髪は母親側の遺伝子提供者の遺伝だという。
完全なクローンが創られることも考えられていたらしいが、彼の希望により、クローンは創られなかったらしい。
「会ったのか?」
フィロリスが声を上げる。
「ああ、お前がいなくなってすぐだ」
フィロリスが研究所にいたとき既に死んだと伝えられていた。
「今は?」
「知らん」
あの時研究所が隠す理由はわからないが、恐らく彼と研究所の間に何かあったのだろう。
「伝える」
いつか二人がもし会うことがあったなら、その時を見越してライゼンに伝えていたのだろうか。
「お前は、いつでも私の子供だ」
ライゼンが伝える。
「それだけだ、行け、まだ終わっていない」
カタナが突き刺さったままライゼンが言う。
その言葉の意味も分からず、フィロリスの頬を涙が伝った。
ただ頷き、向こうにいるはずのルーイの方に足を向ける。
「おい」
ライゼンが立ち上がる。消えそうなほど氣を消費している。自分を回復させる氣も残り少ないはずだ。
前に駆け出しかけた足を止め、フィロリスが振り返る。
「何してんだ!」
ライゼンがフィロリスのカタナを自分の腹部から抜き取る。
肉を裂く鈍い音が洞窟に響いた。
栓をしていたカタナが抜け、水のように粘性のある血が流れ出す。
致命傷になりかねない危険な行為。
一度片膝を付き、再度立ち上がる。瞳は強く、赤く輝きを保っている。
その意志の強さがフィロリスを近づけさせなかった。
「持っていけ、お前のものだ」
右手に握るカタナをフィロリスに投げつける。
フィロリスが胸の前で自分のカタナを受け止める。
「行け」
目でフィロリスに指示する。
フィロリスはライゼンの血も拭わず、カタナを鞘に戻した。鞘と右手が血で染まる。
「もう、会わないのか」
「ああ」
フィロリスの言葉にライゼンが返す。
それは、短すぎる、兄弟としての会話だった。
フィロリスが向き直し、洞窟へ向かう。
「生きろ、お前の好きなように」
その声が、フィロリスの背中に突き刺さった。
最後まで、ライゼンはシーグル化しなかった。
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