第三章 シーグル、グレン 6
「レイン!」
エルフィンの声がはっとしたように叫ぶ。
玄関からレインが出ていた、先ほどの破裂音が気になったのかもしれない、それとも言い知れぬ予感でも感じたのか。
その手には胸にかけられたままのペンダントが強く握られていた。
「レインさん」
「エルフィンさん」
レインがエルフィンに駆け寄る。
「レイン、中で待っているようにと」
「胸騒ぎがして」
おそらくレインはしばらく外に出ることを我慢していたのだろう。窓から覗けば外の状況はある程度理解できる、レインの目にもグレンが纏っているモノが見えたのだろう、魔術に対して多少の知識があればそれがどれだけ強力なものかは一目瞭然である。
「フィロリスさん……」
グレンに目を向けるレイン。
「レインさんですね」
レインの顔を見てエトヴァスが言う、事務的な声。
「私たちと一緒に来てもらいます」
エトヴァスに気付きレインが顔を向ける。
「どうして私が?」
「私たちにはあなたが必要だからですよ」
振り返りエルフィンを見るレイン、エルフィンもレインを見た。
「そんなことをしている暇があるのですか? あの人はグレンに殺されてしまいますよ」
エトヴァスに退去するよう告げるルーイだが、エトヴァスはライゼンに振り向かない。
「私たちは命令をこなすだけです」
「エトヴァス……」
「あなたが教えたことです、所長」
エルフィンがうつむく。
「レイン、力を貸してくれますか」
「!?」
ルーイが驚きの表情を見せる。
「えっ?」
レインが聞く。
「このままではこの場所にいる全てに被害が及びます」
龍はグレンに尾を巻きつけながら空を漂っている、今やこの空間は彼の持ちものだった。いつ攻撃を仕掛けないとも限らない。ライゼンはカタナを構えているが、足は重く動きそうにない。
グレンがカタナを握る、その姿はとてもゆっくりとしていた。
「我は世界を統べる者」
そう息を吐いた。
その瞳の色はもはや例えることは出来ない。
音が一瞬止み、見えない刃が地面を襲う、真空刃だ。
皮膚が裂ける感触、さきほどの振動で傷ついた体に追い討ちをかけられた。
大気を操れるというだけで、これほどの能力差がでる。
もし彼が本気で攻撃を仕掛けたとしたら。
「レイン、手伝ってくれますね」
エルフィンがグレンを見続けながらレインに再度告げる。
「私に何が出来ますか?」
ペンダントを強く握り締める、その手からは緊張と恐怖の震えが確認できた。
「まさか、所長」
エトヴァスが声をあげる。
「私のやることに異存はありませんね」
見つめるエルフィンに、エトヴァスは頷いた。
「レイン、そこに立ちなさい」
「何をするつもりですか?」
「あれを封印します」
あれと呼ばれたアンスールドラゴンが、何か物思いにふけるように天を見上げていた。
「そんなことが出来るのですか」
圧倒的な威圧感に囲まれている空間、彼のもとでは人間という存在はとても小さなものに過ぎない、否、あらゆる生物も彼の前ではひれ伏すに違いない。
「おそらく」
と言ったエルフィンの顔に緊張が浮かぶ。
「レイン、行きます」
エルフィンが、アンスールドラゴンを見ているレインの背中に手を合わせる。
「我が力、打ち据えよ」
エルフィンが残りの力をレインに注ぐ、自らの氣を使い、相手の氣を増幅させるのだ。いかに熟練の能力者といえども、その際のロスは避けられない。エルフィンは実際に必要だと思われる氣の倍以上を放出しているのだ。
レインの体が青白く輝く。
「レイン、全てを預けてください」
頷くレイン。
「レインなら出来ます、大丈夫」
エルフィンの氣が減少しているのがわかる、内在氣すら消耗している。
ルーイがライゼンを見ると、ふらふらとしながら自分の傷を治していた。シーグルとしての限界が近づいているのだろう。
「レインの力を解放します」
エルフィンが一息つく。
「空を舞う風よ、命を創り出す土よ、全てを浄化する水よ、力を誇示する火よ、意志のもつものよ、世界にただようものよ、我が礎のもとに封印されし力、我が命によりてときほどけ」
エルフィンの手から離れ、レインが浮く。
氣を使いすぎたのかエルフィンが膝をつく。
輝いた彼女は、まるで精霊のようだった、生命としての存在を超えたように思える。
龍が咆哮をした、再び真空刃が襲うが、レインを覆う光によって遮られた、被害を受けたのはライゼンとグレンだけだった。
レインが手を広げた、光が波打つ。
アンスールドラゴンが叫ぶ、その声は今までの威厳のある声ではなかった、絶対者の自由を奪う嘆きの声。
彼女の意識は別のところにあるのだろうか、ルーイにはレインの心がないのかと感じられるほど不思議な氣を感じていた。生物的ではない不思議な氣。
広げた手をアンスールドラゴンの漂う空にかざした。
「フィロリス!」
アンスールドラゴンが空に向け咆えた、そしてレインの持っていたペンダントに光となって吸い込まれていった。
自らの力を使い切ったのかレインは両手を広げたままふわりと地面に降りた、それと同時にグレンがうつ伏せに倒れこむ。
急激に大量の氣を消耗したので気を失ったのだろう、アンスールドラゴンを召喚してから後半は、精霊の力に体を奪われかけていたのかもしれない。
意思を持つ強力な精霊を長時間召喚して力を借りるときなどに見られる現象だ。能力の高いグレンも精霊界の頂点に属するほどの精霊を召喚していたので意識を奪われかけたのだろうか。
グレンの猛攻をかろうじて防いだライゼンがゆっくりと起き上がり、エトヴァスに目配せをする。
エトヴァスがすっとレインの前に立った。
きょとんとするレインの目に左腕からはずした金属の輪を二つ向ける。
「メビウス、打ち消せ」
ずらした輪を甲高く鳴らす。
力が抜け倒れこむレイン、その肩を押さえエトヴァスは倒れないように支える。
エトヴァスの操作術は、金属の鳴らす高音を利用して脳の活動を一瞬低下させるのだ、その隙をついて意識を奪う。本来は人間のように複雑な生命体ではなく、本能が大部分を占める生き物を操るためのものだが、それでも意識程度なら奪うことができる。それも能力の使用により一時的に意識レベルが低下していたので大掛かりにやらなくても比較的簡単に行うことが出来た。
ライゼンはエルフィンの方に歩み寄っていた、そして氣を消耗しすぎていて動くことの出来ないエルフィンを蹴飛ばし仰向けになった体から無造作に〝原書〟を奪い取った。
「準備できましたライゼン様」
倒れている男に目をやり動かないことを確認したのか、エトヴァスはライゼンに歩み寄ろうとする。
「渡しませんよ」
フィロリスの前に立っていたルーイがエトヴァスに向かおうとする。
チッ、怪我をした左腕に構わずライゼンがカタナを振るう、ルーイがその氣の直撃を避けるために宙に浮いたが剣圧でエトヴァスから離れて飛ばされてしまった。エルフィンも何とか向かおうと思ったが、レインの封印を解除するのに相当の力を使ってしまったらしくその両足は重い鎖に捕らわれてしまったかのごとく動くことが出来なかった。魔術を使おうにも残り少ない精神力で呼び出せるものなどたかが知れている。それに詠唱をしている暇もなさそうだった、シーグルではないエルフィンは詠唱なしで魔術を使うことは出来ない、それはルーイも同じだった。
エトヴァスが近づいてきたライゼンにレインを渡す、カタナを鞘に収め、痛みの少ない右腕でレインを抱えた。
空にヴァーベルクが見えた、短い咆哮を二度繰り返す。
エトヴァスの足元にヴァーベルクが降り立つ。
「エトヴァス、行くぞ」
ライゼンがレインを脇に抱えたまま隣にいるエトヴァスに命令する。
ちらっとうつ伏せに倒れている男を見た、懐かしいものを見る目で。
「レインをどうする気だ」
エルフィンの声がライゼンに聞こえたが、それを返す言葉はなかった。エトヴァスはただエルフィンを無言で見つめていた。
空を舞うライゼン、エトヴァスは自分専用のヴァーベルクに乗る。
そして、いなくなった。
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