第三章 シーグル、グレン 5

 男は左腕でエトヴァスを抱えていた、その手にはエルフィンが召喚したマーキュリーが首を捕まれてぐったりとしている。右手にカタナを構えグレンの斬撃を受け止めていた。

 氣の斬撃を弾くと、左の掌を開きマーキュリーを地面に落とした。自由落下で叩きつけられた精霊は砂になって消えてしまった。

 どうやったかはわからないが、男はマーキュリーを素手で捕まえて倒してしまったらしい。その衝撃でエルフィンの召喚バランスに影響がでた、そしてその隙をついてエトヴァスが魔方陣を強引に破ったのだろう。エトヴァスも魔科学研究所の所員だった男だ、その程度の知識はあるのだろう。

 男はフィロリスと対を為すかのように純白のコートを羽織っていた。髪も白い、いや白いというよりそれは銀髪に近かった、その髪が夕暮れの陽を浴びて様々な色に光る。瞳は今のフィロリス、グレンと同じく金色だった。

 顔つきがどことなくフィロリスに似ているなとルーイは思ったが、その氣は似て非なるものだった。フィロリスを燃えるような紅だとするならば、ライゼンは凍るような蒼というところか。

「ん、ぐっライゼン様」

 ライゼンがゆっくりと地上に降り、エトヴァスを木にもたれかけさせた。

「早くしろ、お前の指令はまだ残っているはずだ」

 ライゼンが重傷のエトヴァスに声をかける、その口調は淡々としていた。

 腹部に手を当てる、グレンがやったのと同じようにエトヴァスの内臓に力を込めた。

 ふん、とライゼンがその場を離れる。

 エトヴァスが胃のあたりを押さえながら立ち上がる。

「すいません、ライゼン様」

「早くしろ、私はどうやらあいつの相手をしなくてはいけないようだからな」

 振り向かずに答えるライゼン、その目はすでにグレンを見つめていた。

 よろよろとふらつきながらエトヴァスがエルフィンに近づく、ライゼンが行ったのはグレンと逆の回復らしい。

 エトヴァスが息を漏らし魔物を呼び出す、最後の一匹だ。

 魔物は触手を伸ばし、グレンに気を取られていたエトヴァスの手元から本を奪う。

 エルフィンが手を出したが本ごと魔物は土の中に消えてしまった。

 エトヴァスの影から魔物が姿をあらわす、エルフィンの本がエトヴァスの手に収まった。

「所長、我々の望んでいるものはあと一つです」

 ライゼンがカタナを構えた、漆黒の刃がライゼンの服装と頭髪に映える。おそらくブラックダイヤモンドのファイバーブレード。一般にはほとんど出回らない特殊な武器であるカタナ、ライゼンのカタナはフィロリスと同じ刀匠によって造られたものだ、フィロリスのカタナと対をなし、刀名を〝黒銀〟〈くろがね〉という。

 グレンがカタナを振るう、そしてライゼンも離れた位置でカタナを振った。二人の氣がぶつかり砕け、風とは違う威圧感が周りに吹きつける。

 跳びだしたのはグレン、垂直に降ろされたカタナがライゼンのカタナを押さえる。

 ライゼンがカタナを弾くがそれでもグレンの攻撃は止まない、次々と繰り出される斬撃に反射で受け止めるのがライゼンには精一杯だった。

 隙を見てライゼンが左手で十字を描く。

 地面から巻き上がる炎、魔術の炎だ。

 グレンが炎ごとライゼンに斬りつけるが、姿はない、先を読んで背後に回ったライゼンがカタナを下ろしていた。

 防御よりも早くグレンが後ろ回し蹴りをする、よけきれなかったライゼンの体が左に飛ぶ。

「あの人は……」

 呟くルーイにエルフィンが答える。

「彼もシーグルです、私の知る限りでは数少ない自己統一者〈セラフィム〉、つまり自らの意思でシーグル化できる人間です」

「そして今はアステリスクの特殊部隊の隊長です」

 エトヴァスが言葉を付け足す。

 ライゼンが体勢を立て直し、カタナを鞘に収めグレンに向かう。

「フィロリス」

 無言のままのグレン。

「そうか、今は違ったな」

 興味のない素振りでカタナを左右持ち替えたりしている。

「お前は、何を望んでいる。久々の外の世界はどうだ」

 問い掛けに答えないグレン。

「……それが答えか、フィロリスは」

 グレンの顔つきが変わる。

「しらねぇよ」

 ふっと笑う、ライゼン。

「行くぞ」

 力を込める、氣を限界まで高めているのだ。

 両手を合わせ、氣を解放する、生半可な魔術や攻撃では、ライゼンはグレンに打ち勝つことが出来ない、全ての氣をカタナに通して攻撃の力に転化する。

 ライゼンが消える、次の瞬間にはグレンとつばぜり合いをしていた。

 最初の打ち合いは互角、二人の間合いが離れる。

 限界まで力を出しきってグレンと同等、ライゼンには分が悪い。

「その体は、お前のものか」

 ライゼンが言う。

「……ああ」

 グレンが吐き捨てる、その表情には暗さが見える。

「違うな、お前はただ借りているだけだ」

「違う!」

 子供のように叫ぶグレン。

「違わない、哀れな男だ」

 ライゼンがカタナを構える。

「この体は僕のものだ!」

 グレンがライゼンに斬りつける、その速度は常人ではわからない、エルフィンやルーイでさえもかすかに捉えられる程度だ。

 ライゼンがカタナで凌ぐ、乾かない土とグレンの力で足元が滑るのを感じる。

 しかしその攻撃は単調であった、これならかろうじて反応できる。

「かりそめの体か、影」

「僕は僕だ、この体は僕のだ! 僕が手に入れたんだ、もうあいつのものじゃない!」

 グレンの持つ刀の力が強まる、ライゼンが対応しきれなくなり避けそこなった両腕の袖に切れ目が入る。

「その力はいつか尽きる、そうすれば体はお前のものではなくなる」

「……そんなことわかってる!」

 左肩に衝撃、ライゼンの肩から血が噴出す。

「戦いの申し子」

 カタナをぶつけ、反作用で後ろに跳ぶライゼン。

「それが望みか」

 再びカタナを重ね合わせる。

 二人の刀の衝撃が互いの衣服や皮膚に細かな傷をつける。

 ライゼンを押し切るグレン、表情は、誰が見ても笑っていた。

「弱い」

 グレンが距離をとる。

「力の差を見せてやる!」

 深く息をするグレン、グレンの体が白く輝きだした。

「深き眠りより覚めよ、我が契約と共に我が主の刃とならん」

 グレンの体から大きく氣が放出され、輝きが失われる。

 踏み込んだライゼンが気圧された。

 そのかわり、別の氣がグレンを覆う、覆うというよりは完全に包み込んでいた。

 グレンが両腕を広げて空に向け叫ぶ、その声はフィロリスでもグレンでもなかった、動物的な叫び。

 右腕をライゼンに向けた。

 手首を振る。

 グレンを包んでいた氣が体から離れライゼンに向かう、その氣はうねりながら姿を創りだしていく。

 カタナを体の正面に置き、刃を腹にして左手を添えるライゼン、氣を張りつめて防ぎきるつもりだ。

 力を込めた腕、切り傷から血が漏れる。

 ぐっ、腕にかかる圧力が毛細血管に亀裂を生じさせ純白のコートが血に染まる、筋肉がゆがみ骨が軋んた。

 放たれた氣の突端が鋭い牙を持ちライゼンのカタナに噛み付く。

 左右に振り切ろうとしたが力が強すぎる、ライゼンはカタナを上に振り上げてカタナごと牙を弾き上げた。ライゼンのカタナをくわえたままそれは天に駆け上がっていく。そしてグレンの体に巻きついていく。

 グレンは黒銀をつかむとライゼンに向け投げつける。ライゼンは右手で受け止めた、

 グレンから放たれたモノ、それは紛れもない龍だった。両腕ほどの太さの小さな龍、見た目こそ脆弱だが氣の凝縮率が違う、もはやそれはあらゆる魔術に匹敵する氣だ。

「あれは、アンスールドラゴン」

 今、グレンの体中に巻きついているモノを見て、声を上げるエルフィン、驚きとしか言いようがない。

「アンスールドラゴン!?」

 ルーイが叫び声を上げる。

 伝説で知られる知恵ある龍のひとつ、白龍王アンスールドラゴン、アステリスクの研究所を崩壊させる原因となった精霊である。

「ええ、四年前の実験のときに召喚したものです、未だに体の中に巣食っていたとは」

「巣食っていたのでないでしょう、あれはどう見ても召喚です」

「だとするなら、あの時の召喚の契約は成功していたのか……」

 エルフィンが頷く、召喚した後すぐ研究所は崩壊してしまったので、あの召喚がその後どうなったのか誰にもわからない、ただ本人のグレンを除いては。

「あれがアンスールドラゴン」

 ルーイがグレンを取り巻いているモノを見た。

 その威圧感は絶対的だ。

「精霊の力を借りて自らの能力を高めているのでしょう」

 召喚は精霊そのものを精霊界から呼び出す術だ、その効果は精霊自体が攻撃をするだけではない。それだけならヴァーベルクのように攻撃能力が高く、人間が操ることのできる動物が、数こそ多くないが世界中にいる。精霊には個々の特殊な能力があり、それを活用することが多い。その能力は多岐に渡るため、それを完全に分類することは熟練の召喚師でも難しいとされる。

 ライゼンがカタナを振り下ろす、だがグレンはカタナを抜くことはおろか避ける気配すら見せなかった。

 カタナがグレンに当たる、が、傷をつけることが出来ない、精霊が薄い壁を創りグレンを保護しているのだ。

 笑みを浮かべたグレンが右手に力を込める、ライゼンの腹部を直撃、体が宙に浮く。両手を組んだグレンが宙に浮いたライゼンの背中を打ち地面に叩きつける。

 起きようとするライゼンを力強く蹴りつける、飛ばされたライゼンが広場の端の大木にぶつかりぐったりとする。

「まだまだ」

 グレンが無邪気な笑顔で自分のカタナを引き抜く。カタナを杖にして立ち上がるライゼン、勝敗は明らかだった。

 斬り込んで来るグレンのカタナを受け止める、しかしその一撃一撃は先ほどと比較にならない。ライゼンの方はかなりの氣を消耗しすぎていた。

「ルーイさん、止めて下さい、これ以上はグレンだけでなくフィロリスの体にも負担が大きすぎます」

 エルフィンがルーイに叫ぶ。

「おそらくグレンは精霊に対する知識がほとんどありません、あれだけのエネルギーを使い続けていれば精霊に精神力を奪われて、意識を失いかねません」

「しかし、あの力を止めることなど……」

 精霊の力を借りるのだから、精神力を精霊に常に提供しなければいけない、大きな能力を得る代償なのだ。

 グレンは龍の能力を制限することなくライゼンに攻撃を繰り出し続けている、今能力に劣っているライゼンは戦いを繰り返してきた経験でグレンの攻撃を最小限のダメージで押さえている、がそれも時間の問題だ。

 ライゼンが弾かれる、再びグレンの腕から龍がライゼンに向かう。

 が、その龍はライゼンへと直進しなかった。

 龍は空へと駆け上がる、尾はまだグレンに巻きついていた。大きく咆哮する龍、周囲の空間が重圧を帯びる。口を開けた、何かが発射される。

「あれは……ホワイトブレス!」

 エルフィンが叫ぶ、龍の口から出された直径1メートルほどの白い光球がライゼン、否、グレンを含む全ての人間を標的にしているかのように地面に迫る。ホワイトブレス、高位魔術であるそれは、風系統に属する外氣術だ。風といえば軽くみられるかもしれないが、ホワイトブレスは圧縮気体だ。圧力を維持することが困難なためその耐久性は低い。しかしその高気圧から低気圧へ流れる強力な風が、掠るだけでも皮膚をずたずたに引き裂き、直撃すればその圧力に体を潰してしまう。人間が使うのはもっと小さく、それを断続的に発射する、致命傷は無理だが効果的にダメージを当て間合いをとるのに適している。だが、今回は能力のケタが違う、防ぎようがない、空気は斬れないのは道理だ。だから魔術中心の人間がフィロリスのような対剣士系に戦いを挑むときに強みがある。

 グレンは微動だにしない、その金色の瞳は何も見ていなかった。

 ライゼンが飛び上がる、その背中には透明の羽が見えた、おそらくはエーテルウィングの応用だ。脚力も加えた力でライゼンが光球に向かう、地面から10メートル上空でカタナを腹にして振るう、こちらからの剣圧で分散しようというのだ。カタナは騎士剣よりも剣の腹が狭いが、それなりの速度で打ち込めば分散できるかもしれない。エーテルウィングで打ち消すという考えもあるが、それでは威力を低下させるかわりに被害が広範囲に広がってしまう、ホワイトブレスが風を飲み込んでしまうからだ。

 光球の寸前でライゼンが右にカタナを払う、そのまま両手に持ちかえて真上から勢いよく振り下ろした。

 ビリビリとした感触がライゼンの皮膚に伝わる、気圧差で生じる真空刃が衣服を切り裂く。

 乾いた破裂音がいくつか聞こえた、分断された塊が地面に衝突したのだ。その場にいる全員に肺が圧迫された感触が起こる、大気が一瞬高圧化になったのだ。

 表れた症状はそれだけだった、結果的にライゼンがエルフィンたちも救ったことになる。

 グレンが不敵な笑みをもらす、ライゼンが地面に降りた。

 龍はまだ空を舞っている。

 ゆらり、と龍が体を動かす、その振動が、その場にいた生物に響く。木々が裂け、木の葉が細かく散った。

 脳に衝撃、瞬間的に全員の意識が遠のく、強く頭を振ったときのように目の前が黒くなった。それはグレンも例外ではないらしい、足をぐらつかせ、カタナを地面に突き刺し体を支えた。

「なんという、ことを」

 ルーイがうめき声とともに息を漏らす。

「これは、もはや人間がどうこうという問題ではありませんよ」

 魔術とは程遠い、原始的な攻撃にもならない行為、だがそれは人間の考える範囲を軽く超えてしまっている、これが人間と彼の差。

 空気が乾いていく、雨上がりの湿った空気から水分が抜けていくのが喉を通して感じられた。

 大気を操る龍、生物ならざるもの。

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