第三章 シーグル、グレン 2

「さて、ここからどうするんだ?」

「ずいぶんと大勢でお越しのようですね」

 三人が空を見上げる、遠方に羽ばたく翼の群れ、フィロリスが舌打ちをした。

「空挺部隊か、Aクラス待遇だな」

 ヴァーベルクと呼ばれる中型の翼竜、魔力を持たず、アステリスクでは人間を運ぶために調教されている。

 堅い鱗で覆われた緑の体躯から、それが爬虫類の一族であることがわかる。

 空中でバランスを取るための奇妙な二対の翼は、多少の気象変動にも対応できるようにと進化したものだ。

その背中には人一人が乗るのにちょうど良い大きさになっていて、小柄な人間であれば二人くらいはいけるかもしれない。

 そのヴァーベルク部隊が十数頭フィロリス達のいる広場へと向かってきているのが見えた。

 龍族に入るヴァーベルクも、例にもれず攻撃能力が高い。特殊攻撃能力は備わっていなくても、その移動速度は人間や獣の比ではない。

 鋭い鉤爪で敵を裂き、飛行する翼竜にまたがり自由に操作するものは翼竜乗りという特殊な訓練を受けた兵士で、戦場では第一線で活躍する部隊だ。

 それがやってくるということはこの戦いに戦力を惜しまないというアステリスク側の態度が読み取れる。

 居場所がばれた以上、この戦闘態勢で来るのは当然といえば当然だ、肉眼で空から探されてしまえば魔法陣の効果も関係ない。

「私に考えがあります、フィロリスとルーイさんは少し離れていてください」

 エルフィンはそういいながら広場の中央に立った、そこには人が一人両手を広げたほどの円があった。

 その円にも広場をおおっている魔方陣と同じ鉱石で陣が敷かれている。

「この魔方陣にいる間、魔術は使えません、ただこの一点を除けば」

 フィロリスは空を見上げた、ヴァーベルクが短い咆哮を繰り返している。

「ここからは外に対して攻撃を仕掛けることが出来ます、つまり詠唱が可能なのです」

 もう一度フィロリス達にその場から離れるように告げると、左手に持っていた厚い本を広げた。

「我は告ぐ、この布石の名のもとに、空を舞うは我がしもべのみ、支配するは我が従者のみ、我が空を侵食するものよ、痛みをもって知るがよい」

 エルフィンが本を片手に文章を読み上げ続ける。

「そして駆けよ我がしもべ、我が従者よ、この風は我がのもとにあり」

 広場を囲む魔方陣に散りばめられている鉱石が光を帯びていく。

 それぞれの色で輝く光は直線で五本、空に向かって伸びていった、夕暮れの色をかき消してしまうほどに。

 ルーイはほう、と一つ息を吐いた。みたこともない詠唱句だったが、恐らくエルフィンは……

「召喚師」

 フィロリスがルーイの代わりに言った。

 もちろんフィロリスはエルフィンを知っているので彼が数少ない召喚師だということも理解している、その詠唱自体を見たことは一度もなかったのだが。

 放たれた光の筋から現れたのは、五羽の鳥だった。

 鳥、といってもヴァーベルクと大きさはさほど変わらない、鳥としては大型の方だ。

 その鳥が鉱石と同様の体色をしている。

 もちろんこの世界の鳥ではない、精霊界に属する鳥だ。

「トルスレーデ!」

 エルフィンが叫ぶ、トルスレーデと呼ばれた五羽の鳥は、中央に結束しそれぞれの翼を羽ばたかせた。

 空が厚い雲で覆われていく、太陽からの日差しが急激に途絶えた。

 トルスレーデの一羽であるアクアマリンから現れた鳥が他の鳥よりも一段と高い位置に上昇した。

 アクアマリンが甲高くヴァーベルクに向かって威嚇の声をあげる。

 怯むことなく近づいてくる空挺部隊、その空から水滴が降り注ぐ。

 雨を降らす精霊らしい、ヴァーベルクに乗っている兵士達の視界が遮られていく。

 幾人かは突然のことで動揺したためか、地面に叩きつけられていくのが見えた。

 しかし主人のいないヴァーベルクでさえ的確に広場に近づいている、兵士抜きでも訓練された翼竜は忠実に命令をこなす、爬虫類の知能が低いというのは認識の間違いだ。

 フィロリス達の上空まで来ると体制を整えるため、一瞬動きを止めた。目の見えなくなっている兵士は互いの連絡がうまく行き通らないようだ。ヴァーベルク同士がかわりに陣を組み、集団で攻めようとしている。

「このままじゃ、ヴァーベルクだけでも突っ込んでくるぜ!!」

 フィロリスがあせりと共に叫んだ、遠距離攻撃を得意としないフィロリスは空を舞うものに対して攻撃をすることが出来ない、かといってあれだけの翼竜を一度に接近戦で相手にするのは分が悪すぎる。

 一方ルーイは逆だった。接近戦であの鉤爪を受けてしまえば直接の致命傷になりかねない。魔法によって遠距離で攻撃できるといってもルーイの魔法は射程距離がそれほどあるわけでもない。距離を伸ばすほどに威力が低下してしまう。それに今攻撃をしてトルスレーデにダメージを負わせてしまえば、魔力を精霊に絶え間なく提供しているエルフィンにフィードバックが起こる可能性もある。

「大丈夫です、こちらの手はまだ尽きていませんから」

 そう言ってエルフィンは右手に本を持ち替えた。

 パラパラとページをめくる。

「力のある鳥よ、光る翼をもつものよ、お前の羽ばたきは全ての目を魅了する、全ての目はお前のために、主はその行いを抑えることはしない、思うが侭に空を駆けよ」

 エルフィンの足元の魔方陣が光りだす。

「マーキュリー」

本がエルフィンの手から離れて、宙に浮いた。バタバタと激しく紙が揺れる。

エルフィンとルーイが見上げた本から、光り輝く鳥が頭だけを出した。

「まさか……ダブルマスター!」

 ルーイが信じられないといった顔で叫んだ。

 通常、召喚師は一度に一体しか召喚することが出来ない。

 一度の召喚で、複数体を呼び出すものもあるが、それと二つの召喚を同時にすることとは全くの別だ。

 召喚そのものにはそう魔力は使わない、そのかわり、召喚している間魔力を精霊に与え続けなくてはいけない。そうしないと精霊はこちら側の世界にとどまることが出来ないからである。

 それはとてもバランスのいることで、ちょっとした拍子に暴走しかけない、暴走とは、召喚師に魔力の反動が及ぶことである。

 ゆえに一体でもバランスのいる召喚を、二体同時に行おうとするものはいない、いや、出来ないのである。それがどれほど能力の要る諸刃の行為であることを知っているからである。

 そして二体同時に召喚を行う、並外れた能力もつ数少ない召喚師を、召喚師同士の間では〝ダブルマスター〟と呼び、尊敬の念を抱くのであった。

 そのダブルマスターに出会える確率というのはほとんどゼロに近い、その一人が目の前にいるのである。

 ゆっくりとその体を起こすように全身が姿をあらわしていく、まるで窮屈な箱から無理矢理出ようとする子供だ。

 褐色のその鳥は、動物の瞳とはまるで違いうつろな目をしていた。

 気だるさを強調している瞳。

「なんだ、あの鳥」

 フィロリスがふわふわと木の葉のように漂っているマーキュリーに近づこうとした。

「フィロリス!」

 エルフィンの低い声が響く、突然の声にびくついたフィロリスが足を止めた。

「彼女に近づいてはいけません、フィロリス、ルーイさん、しばらく動かないでください、そうしないと保障が出来ません」

 彼女と呼ばれた鳥は何をするでもなく、漂い続けている。

「保障? 一体何が……」

 そうルーイが言い終わる前にマーキュリーの姿は消えていた。

 いや、正確に言えば見えないほどの速さで移動していたのだ。

 刹那、悲鳴が聞こえ、一体のヴァーベルクが落ちていく。

「?」

 わけのわからないまま崩れ落ちていく翼竜、その姿にフィロリスとルーイがあっけにとられている。

 地面に落ちるや否やその体は燃え尽きてしまった。

「制御は効きません、彼女にとっては動くもの全てが敵なのですから、敵がいなくなるまで彼女は行動し続けます」

「あれは?」

ルーイがフィロリスの肩にちょこんと乗ったままなるべく動かないように聞いた。

「精霊の一種であることには間違いありません、ただ」

「ただ?」

 近づこうとした、その体勢で不自然にフィロリスが聞き返す。

「詳しいことは分かりません、分かっているのは動くものを一瞬で殺傷する能力を持つということだけです」

「そんなものを召喚して」

 召喚には精霊との契約が必要だ、契約もなしで召喚するということは、先に何がおこるか全く予想がつかないということだ。

「さあ、どうなるのでしょうね」

 エルフィンは何気ない素振りで会話をしているが、その額からは大量の汗が出ていた。

 よほど集中力を使っているのだろう。

 空を舞う六体の鳥は、その圧倒的な戦力でヴァーベルク部隊を落としていく。

 マーキュリーは姿を見せることなく移動している、一瞬姿が確認できるのはヴァーベルクに攻撃する瞬間だけだ。

 トルスレーデ達も部隊の動きを止めると同時にそれぞれが攻撃を繰り返している。

 どうやらトルスレーデはマーキュリーの攻撃対象として認識されていないようだ、同じ精霊の仲間だからであろうか。

 フィロリス達がヴァーベルクを確認してから10分も経たないうちにあらかたのヴァーベルクは燃え尽きてしまった、乗っている兵士もろとも。

 生き残っている兵士もいるようだったが、広場では見えないところに落ちてしまった。彼らに戦闘能力は残されていない。

 敵の姿がなくなったと判断したのか、空がにわかに明るくなっていった、夕焼けがまぶしい。

トルスレーデ達が各自別れて魔方陣の鉱石の上に止まっている。

「トルスレーデ、収束せよ」

 エルフィンの声で五羽の鳥が光の玉になって姿を消した。

 エルフィンの一息が聞こえた。

「マーキュリーは」

「いえ、まだ姿は……!」

 エルフィンが胸を抑えて膝をついたのは、ルーイの言葉に答えようとした瞬間だった。右手に持たれていた本が、地面に落ちる。

 バリバリという何かが張り裂けるような音が広場を包む、雷電にも似た音。

 その音にフィロリスとルーイが注意を一瞬そらされてエルフィンに駆けつけるのが遅れた、この一瞬が致命的だった。

 二人と一匹の正面から複数の氷の刃が一直線に向かってきた。フィロリスは自分に迫ってきた刃を反射でよけることが精一杯だった。ルーイも少しだけ飛び上がり、フィロリスの肩にもどった。

 エルフィンに刃が刺さる、ほとんどが致命傷になるようなほどの大きさではなかったが、数が多すぎた、地面についた膝を起こすことなくエルフィンが倒れた。

「エルフィン!」

 うつ伏せになったエルフィンにフィロリスが駆け寄る、刃は蒸発して消えてしまったが、傷跡からは生々しく血が流れ出ている。

 フィロリスがエルフィンを起こしたとき、その口には鮮血が見えた、どうやら肺の方までダメージがあったらしい。しかし、意識ははっきりしているようだった。

「大丈夫です、それよりも、次が来ます」

 エルフィンの言葉通り、もう一度氷の刃が飛んできた。フィロリスは抜いたカタナでエルフィンに刃が当たらないように最小限だけ叩き落した。

 刃の攻撃が一通り終わると、フィロリスは飛んできた方向にファイバーナイフを投げつけた、ナイフは森の闇に吸い込まれていく。

 闇の中からファイバーナイフを右手に持った男が現れた。

 左腕にバンダナを巻きつけた男がフィロリスにナイフを投げ返した。

「……どうも」

 そう一言だけ言って、近づいてきた。

「アステリスク魔科学研究所所長、エルフィン=シークレットですね」

「エト、ヴァス」

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