第二章 邂逅 4
「研究所はある実験の失敗により完全に消滅してしまいました」
エルフィンがつらい過去を記憶から引き出しながら言った。
自分が行った過ちとともに。
「実験?」
「ええ、それはある人間の精神エネルギー、つまり氣を限界まで摘出して書物に記されていた精霊を呼び出す行為でした」
「それがフィロリス」
「その通りです」
お互い了解したような返事。
「そして失敗した」
「おそらくまだコントロールできるレベルではなかったのかもしれません、私たちにもフィロリスにも」
「その精霊は?」
エルフィンが一つ深い溜息をした。
「白龍王アンスールドラゴン」
「なっ、それは」
その咆哮一つで山をかき消すと言われている知恵のある龍、それがアンスールドラゴン、しかしそれは伝説の中の話なのであって本当に存在するのかどうかも疑わしいものだ。
それを召喚したという例も未だかつてない。
偶然に険しい山中で目撃が何例か書物の中に出てくるぐらいだ。
その前に精霊の説明をしなくてはいけないだろう。
この世界とは裏側の世界に精霊界という世界が存在、することになっている。ということになっているという意味は、この世界の住人が、精霊界に足を踏み入れたことが過去の一度としてないからである。
偶然に何かの方法で入った者が過去にいたとしても、彼、もしくは彼女が帰ってこなければ伝えることも出来ない。
こちらの世界を現実世界として、精霊界の地形は全く現実世界と同一である、というべきなのだろうか、全く同じ場所に存在しているのだ。現実世界の住人にその姿が見えないだけで、現実世界で何らかの理由で地形の変化が起こればそれとともに精霊界の地形も変化する。
現実世界の住人が天変地異などと呼んでいるのは、その大抵は精霊界の住人達による仕業だ。しかし不用意に地形を変化させることはしない、現実世界の住人に対する戒めだとされる。最近では現実世界の住人のほうが地形を開発だなんだといって壊していくことが多いが。
そのことで精霊界の住人、つまりはどうも機嫌を悪くしているらしい。
と、精霊界に対する現実世界の認識はこの程度である。
実際のところ行き来が出来ないのだから文献でしか知ることが出来ない。
では文献はどのように記されているのか。
行き来は出来ないにしても、特殊な術によって彼らと通信をするものがいた。
それが召喚術師である。
元々精霊界を研究するもの、そして天変地異を制御するものを召喚術師と呼んだ。
それが魔術の発展に伴い、いつしか自然の研究から、精霊を自在に操り意のままに現実世界に影響を与えることができるようになった。
召喚術を使うには大まかにいくつかのプロセスを踏まなければいけない。
詠唱、召喚、契約、だ。
特に最後の契約に問題が多い、意思のある精霊の場合、その契約の際に条件をつけられることが多い。その条件をクリアしなければいけず、これが召喚師の不足につながっているものと言われている。
そのかわり、召喚師はその精霊特有の知識などを手に入れることができる。精霊には人間などよりも圧倒的に寿命が長いためである。
「その威力は本当にすさまじいものでした、あれを操れる人間が存在するのかも疑わしいものです。本能的に自分の防護に全力を注いだ私は研究所の消失から一日後に瓦礫の山から目を覚ましました。」
「そのときにはもうすでにフィロリスは」
エルフィンはルーイの言葉にうなずいた。
「俺が、気がついたのは研究所から100kmも離れた山の中だった、それまでのことはさっぱり憶えていない。とにかく自分が遠いところにいることを確認した俺はそのままとんずらしたってわけさ、あんなところには未練なんてなかったからな」
フィロリスは無理をしているようにオーバーアクションで手振りをつけながら言った。
「私もアステリスクに見切りをつけてしばらくは旅を続けていました。私にはもう研究を続ける気にはなれなかったのです、おそらくかなりの部下を失いました、そしてフィロリスのようなものたちにも悲しい思いをさせてしまいました。」
「言い訳か、らしくないな」
エルフィンの昔を知っているフィロリスはこうも人の性格が変わってしまうのかと思った。研究所にいるときはもっと精力的にみえていたのだが。
「そうかもしれませんね」
力なく笑うエルフィン。
「あんたからそんな言葉を聞くとはな」
フィロリスからは憎悪の氣は消えている、もともとそれほど憎んでいなかったのかもしれない。
「俺は、あの研究所が嫌だった、何度も逃げようとした、その度に捕まるのはあんただった。あんたはいつも『いつかは出られる、それまで我慢するんだ』って言ってたな、きっと、俺はその言葉を信用していたんだと思う、いつかは、いつかは、なってな」
フィロリスは懐かしい顔をしている、まだ抜け切らない少年の顔を覗かせた。
「フィロリスは、他のシーグル、我々の求めている魔術を使用できるほどのキャパシティを持つ人間をそう呼んでいたのですが、他のシーグルとは違って、よく笑い、よく泣く、感情のよく表す子供でした」
「俺達はみんな外の世界を知らない、研究のためだけに存在する人間だったんだ」
「とすると?」
「ほとんどのシーグルは、研究所で創られたのさ」
「!?」
「ポットの中でな」
ルーイは何とも言えない顔をした。
「シーグルの素質を持つものはそう簡単に現れるわけではありません。そこで我々アステリスクは悪魔の行為に加担してしまったのです」
悪魔の行為、それは遺伝子を再構築し、適正な遺伝子情報だけを持つものを人間の手で創ることである、この世界にも生物が遺伝子によって定義づけられていることは分かっている。ここ数十年の魔術に対する科学の発展の成果である。
悪魔、という意味は生き物と生き物を特殊な魔術によって一つにし、合成獣、キメラを創りだす技術を悪魔術と呼び、世間の人々から避難されているその行為と遺伝子操作が似ているため、そう呼ばれることがあるからである。
それに加えて、精神的なものも魔術的にではなく、科学的に解明しようという動きもある。
科学の発展に伴い機械なども一般に使われるようになった、そしてより手軽になった機械は魔術を使う手間を省くようになり、魔術が確実に廃れ始めているのも事実である。
また、魔術と科学の融合、魔科学と呼ばれるものが誕生しつつある。
「そこまでして…」
遺伝子のことはわかってはいるが、もちろんアステリスクでやっていることが世界で認められているわけはない。人間はおろかあらゆる動植物に応用は禁止されている、と世界の三大国による倫理会でも決定されている。
その三大国のひとつのアステリスクが二十年近くも前から行っていたなんて、それこそ公表などできるものではない。
もしその事実が明るみになればアステリスクに世界の避難の目が集中することになる。
そうなれば他の国々、特にエスカテーナにとって世界を掌握する格好の材料になりかねない。
「我々の良心もさすがに躊躇しました、しかし、上からの命令は絶対です、研究を遅らせるわけにはいきませんでした」
苦い顔をするエルフィン、自分の中でも後悔しているようだ。
「そんなことはどうでもいいさ」
フィロリスはこう言ってはいるが、だからこそルーイに本当のことを言いづらかったのかも知れない、自分の生まれに負い目を感じていたのかもしれないだろう。
「そうですね、いまさらこんなこと言っても」
犯した罪は消えない、そう言いたそうだった。
「エルフィンさん」
しっかりした目でエルフィンを見つめるルーイ。
「あなたはアステリスクが行っていたことを知っている、今はどうあれこのままアステリスクが放っておくわけがないはずですよ」
「でしょうね」
「だからレインが襲われたのか、いや、だとしたら、どうしてここを直接狙わないのか」
少しの空白があった。
ルーイはエルフィンが口を開く寸前で何かに気がついた。
「古封印術、ですね」
ルーイは広場全体を取り囲むようにして広げられていた書物の世界の魔方陣を思い出した。
五種類の鉱石でつくられた魔方陣。
「よく分かりましたね、この広場に広げてある魔方陣は失われた時代のものです。この陣の名前は〝身封じの陣〟、この陣の中では魔術の効果を完全に無にします。それはもちろん外からの作用に関してもです。つまりこの場所は肉眼でしか見ることが出来ないのです、魔術による探索は出来ません、見えないのですから。そしておそらく適当に歩いてこの森の中でここを見つけるのは至難の業です。実際のところレイン以外にここに来たのはあなた方が初めてですよ」
フィロリスたちがここまで来たのも全くの偶然だった。フィロリスが道に迷わなければ、レインがこのとき襲われなければ、彼らがレインを助けなければエルフィンと会うこともなかっただろう。それどころかこの森にこんな場所があるなど彼らは永遠に知ることもなかったはずだ。
「しかしレインさんが襲われた以上、ここを見つけられるのも時間の問題でしょう、なにしろ相手はあのアステリスクですから」
アステリスクはこの世界の中でも機械の先端国として知られている、魔術を用いなくても見当さえつけられてしまえば、見つける方法はいくらでもあるだろう。
「そうですね、確かに私はアステリスクを甘く見ていたのかもしれません」
「なぁ」
「どうしましたフィロリス?」
ルーイがフィロリスを見上げる。
疑問が残る表情をみせるフィロリス。
「本当に、それだけの理由だけでアステリスクはこんなまわりくどく来るのか」
「どういう意味ですか?」
フィロリスはまた少し考え込んで口を開いた。
「いや、だから、なんていうか、こう、胸に引っかかるもんがあるんだよ、うまくは言えねぇけど」
「どうしたんですかフィロリス」
もどかしさのあまりルーイがせかす。
「あんた、まだ何か隠していることがあるだろ」
エルフィンがふっと笑った。
「そういう勘のいいところは変わっていませんね」
「まだ何か?」
「私の存在などは彼らにとってはどうでもいいことでしょう、私のもとには彼らがどうしても手に入れなければいけないものがあるからです」
エルフィンは立ち上がり窓の外を見ながら言った。
「それは?」
「どうやらそのことについてお話をしている暇はないようですね」
エルフィンが言葉をとめた。
森がざわついている、森全体が揺れているのだ。
「アステリスク、か」
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