第二章 邂逅 3
「おい、どうなってるんだ?」
「わからん、どうやら詠唱実験中にトラブルがあったらしい!」
実験棟はサイレンとともに赤いランプがつきっぱなしだった、全職員の緊急避難を告げるアナウンスは人々のざわめきでほとんどかき消されていた。
殺風景な無機質の白い廊下に人々が互いバラバラの方向へと走っている。
彼らの中には書類の束を持っているもの、ロムカードを持っているもの、小さな子供の手を引いているもの。
ここは四年前、アステリスクの魔科学研究所、あと数十分で消滅する運命にある。
「主任、どうしますか?」
若い所員が駆け寄ってくる、そこにはまだ眼鏡をしていないエルフィンがいた。
所員の尊敬と信頼を集めているエルフィン、このプロジェクトの責任者でもある。
「しょうがあるまい、この場は切り捨てるしかない」
「しかし、ここまできてシーグルを見捨てるわけには…」
「そんなことはわかってる、とにかくデータを失うわけにはいかん」
困惑した様子で立ち尽くしている所員。
「それはこっちでなんとかする、いいからお前達はデータを持って安全な場所まで避難するんだ」
「何とかと言っても……」
「私が行く」
エルフィンの決意した表情に
「主任一人で!?」
所員の驚きの声が喧騒の中に消える。
「いいから行け、もしもということもある、急いで脱出しろ」
「はい、わかりました」
混乱していたのはエルフィンも同じだった、予期していなかったことではない、しかしここまでの規模で暴走が起きてしまうとどうしようもないというのが現状だった。
エルフィンは生き残っている無線で連絡を取り合っている。
「状況はどうだ?」
雑音と焦りが混じって向こうの声は正しく聞き取ることが出来ない。
「D7棟、完全に修復不能です、他のシーグルにも異常が見られています!」
「B4棟ももうだめです、他の研究員、B棟のシーグルは避難完了しました」
「D4棟、精霊の攻撃が酷すぎます、まもなく『壁』が破られ…」
そこまで言うとD4棟の連絡は途切れた、私が行かなくてはいけない、他の人間ではたちうちなどできないはずだ。
「フィロリス、もう少し耐えてくれ」
D4棟ではエネルギーが暴走していた、これが一人の人間から出されたものだとは思えないほどだ。
熱くも冷たくもないエネルギー、ただ圧迫感があり建物が呼応するかのように崩れていく、魔術に変換される前の精神力そのものだ。
暴走しているのがこの場合幸いだったかもしれない、行き場の確定していないエネルギーは一箇所に向かっていない分、広範囲だが威力はそれほどではない。
それほどではないとしてもこの研究所はもうこれ以上持ちそうにはなかった、エルフィンの精神力全てを自分への防護に使って何とか凌げるぎりぎりのレベルだ。
D4棟に既に人影はなかった、全員が逃げていればいいのだが、消滅してしまった可能性もある。その可能性だけを頭から消し去るようにエルフィンは中心部へと進んでいった。
中心へのドアが開いたとき、エルフィンは開けた空間で気の抜けたようにだらりと腕を下げて立っている少年をみた。
十四歳になったばかりの少年、蒼髪と、金色に輝く瞳が特徴的だ。全てのものを凌駕する金色の瞳。
そして彼を取り巻くようにうごめいている白い龍がいた。白いという表現は正しいかどうかわからない、体そのものが透けて見えるからだ。数十メートルはあるだろう、龍はひとしきり咆哮すると獲物を見つけたようにエルフィンに直進してきた。
よけきれない、とっさに右へ跳んだが向こうの移動速度の方が遥かに速い、所詮は人ならざるものに人間が勝てるわけもない、直撃は避けたものの左肩に激痛が走った。
壁にたたきつけられ血を吐く男とそれを見るでもなく空のない天井を見続ける少年。
龍はエルフィンを追うことなく少年の見つめるまま天井に向かい大きな穴をあけた。
中央に立つ少年に走りより右手をその肩に乗せようとした瞬間、少年の口が初めて開いた。
「キエテナクナレ」
龍の咆哮が再び聞こえ、そして研究所は跡形もなく消え失せた。
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