第二章 邂逅 2

 エルフィンの部屋はお世辞にもきれいと言うことは出来なかった。

 部屋には所狭しと本が積んであり、本棚にはとても収まるような量ではなかった。きちんと整理をしておけば、私立図書館を開けるほどで、ルーイの見る限りではどれもかなりの年代もののようだった。

「ルーイ、降りてくれ」

 久しぶりと言われたフィロリスはエルフィンには言葉を返さずにただそう言った。

「降りてくれ」

 ルーイが言葉の通りに近くにあった小さな読書用の机に移ったと同時だった。

 風が巻き起こるように、フィロリスが瞬時に移動しエルフィンにカタナを振り下ろした。

 キンッという金属的な音が部屋中に響き、その刹那バタバタと本のページが風で揺れた。

 ルーイは言葉も出ず、息をのんでしまった。

「ずいぶんといきなりな挨拶ですね、四年ぶりだというのに」

 完全に入るはずだったカタナをとめたのはエルフィンの持っていたただの万年筆だった。ルーイでさえ反応できないほどの素早い攻撃を止めたエルフィン、それも万年筆で、一体彼は何者なのだろうか、少なくとも今まで平凡に牧師をしていたのではないはずだ、それだけはルーイの中でもはっきりとしていた、それに二人は面識があり、フィロリスがエルフィンを憎んでいることも。

「フィロリス、下がりなさい!」

 硬直状態の二人にルーイは叫んだ、フィロリスは一呼吸おいたあと後ろに跳びルーイの横まで下がった。

「一体どういうことですか、説明しなさいフィロリス」

「私が説明しましょう、ルーイさん」

 エルフィンは読んでいた厚い本を閉じ万年筆をペン立てに戻し、フィロリスはカタナを鞘に戻した。

「まず、私のことからお教えしなくてはいけませんね、私は四年前まである研究所に勤めていました」

「研究所?」

「アステリスクのな」

「アステリスク!?」

 フィロリスは腕を組みながらドアのところに背中をもたれかけていた。

 ルーイが驚くのも無理はない、ここはアステリスクと正反対の位置にある場所でエスカテーナの管理下にある大陸だ、アステリスクの研究所にいた人間などをそう簡単に入れるわけがない、もし入れたとしても厳重に監視されているはずだ。

「私はそこである研究をしていました、役職は研究所所長、さらには研究の実験対象の管理をしていました」

「実験対象とは?」

 ルーイは興味津々といった様子で聞いている、こういったことは彼の知的好奇心をくすぐるようだ。

「人間さ」

「人間?」

「その対象者がフィロリスでした」

 フィロリスがうつむいたように下を見て、はいていたブーツのかかとを壁に当ててこつんと鳴らした。

 ルーイはフィロリスの顔をみたがその表情はよくつかめなかった、実際ルーイはフィロリスの過去を全くといっていいほど知らない。三年間の間いろんなことをしてきたが、フィロリスは過去について話したがらなかったし、また別に聞きたいと思ったこともなかった。過去はどうあれ、フィロリスはフィロリスだし、それ以上の何者でもないと思っているからだ。そうやって三年間、二人は過ごしてきた。

「どんな研究を?」

 しかし、いつかは知らなければいけないときも来るだろう、それが今なのではないかとも思った。

「それを説明するためにはもっと昔の話をする必要があります、魔教大戦、てご存知ですか?」

 魔教大戦、ルーイは発せられた言葉を噛み砕き、記憶の糸をたぐり寄せた。

「過去にあったとされるあの大戦ですか?」

「ええ」

「しかしあれは書物に登場するだけで、本当にあったかどうかもわからないような」

「いいえ、魔教大戦は本当に実在しました、いまから四千五百年ほど昔のことです」

 そういってエルフィンは立ち上がり、本棚からいつかの古めかしい本を取り出してきた。それらはどれも時代を感じさせるもので、表紙が読めなくなっている本もあった。

「これを見て下さい」

 エルフィンはその中の一つを広げた。

「これは、古代ラミスト語ですか」

 三千年ほど前まで使われていたとされる古代文字だ、博識のルーイなら可能だが、これを読むことができるのは一部の歴史学者や言語学者だけだ。

「ラミスト語とはまた少し違うみたいですね」

 単語や文章のつづりに多少違いがあった。

「よくおわかりですね、これはラミスト語の原型となった言語で私たちは始代言語と呼んでいます、もっとも公表はされていませんが」

「公表、されていない?」

 もしこの言語が本当に公表されていないとしたら、アステリスクはあらゆる国に対して隠し事をしていることになる、それは世界のバランスに影響を与えかねない。

「これが公表されてしまうと大変なことになってしまいますからね」

「どういうことです?」

「これには魔教大戦の時に使われたとされる数々の魔法や召喚術が記されています、書物によればその魔術はそれぞれ国を一つ消滅させるほどの威力を持っていたといいます」

「そんな魔術が本当に?」

 ルーイは信じられなかった、確かに同じ魔術でも使用者が変わればその威力も大きく変わることもある、だがそんな威力の魔術を使えば使用者の体が持つはずがない、さっきの魔法でもだいぶエネルギーを消耗してしまったというのに。

「魔術大戦の詳しい話は?」

「ええ、書物にあるようなぐらいですが」

 四千五百年前、それ以前から魔術というものは存在していた。それがどのようにして発生したかはわからない、生物が存在するより前に世界には存在していたのかもしれない。とにかくそれは人々の手によって徐々に研究されるようになった、ちょうどどうすればもう少し早く走れるのかを研究するかのように。分類がされ、再構築され、発展していった。人々が多くいれば主義や主張の違う者達もあらわれる、彼らはお互いに集まり独自の魔術をつくりだしていった。

 そして世界には二つの大きな派閥があらわれた、それらの名前もはっきりとは記されていないのだが。そしていつしか二つの派閥は自らの魔術の優越を競い争うようになった。

 その争いはやがて全世界的に広がり、やがて世界中を巻き込む大戦となった。

それが魔教大戦である。

書物によればその争いは熾烈を極めるもので、数百年の長き戦いの後、双方の体力的消耗による自然消滅によって終結されたとされる。

多くの魔道具や強力な魔術がこの当時使われていたらしい。

 その大戦の影響で世界はこんな妙な気候すらまるで違う大陸構図になってしまったということなのだが、そもそも魔教大戦自体をそれほど信用していないルーイにとって、この説明はとてもではないが信じるに値するものではなかった。

「それでは、そこには抽象的に魔術が表現されているはずです、私たちの任務はそれらの魔術をこの世界に復活させることでした」

「そんなことが本当にできるなんてアステリスクは」

「おそらくどこの国も同じようなことをやっているでしょう、エスカテーナであろうと」

 エルフィンが本を閉じて、ずれた眼鏡を元に戻すように指で押し上げた。

「何のために、と今さら説明する必要はありませんね、この世界はかろうじて均衡を保っています、今にも崩れそうになるくらい、どの国にも世界を掌握してしまうことは可能です、力とタイミングさえあれば…」

「アステリスクは世界を?」

「世界の均衡を保つためです」

「それはアステリスクの勝手な言い分だろ」

 いつのまにかフィロリスは部屋の中央で近くにあった本を読んでいた。

「フィロリス、それが読めるのですか?」

 始代言語で書かれたページを眺めるようにペラペラと読んでいる。

「まあな、ちょいと忘れているが」

「そうですか」

「ほとんど強制だけどな」

 別段本に興味を持っているわけでもなさそうだ、少し昔のことを思い出しているのだろうか。

「どうしてその魔術を復活させるためにフィロリスのような人間が必要なんですか?」

 エルフィンはルーイの目をじっと見つめた、生物としての奥底を見るかのように。

「ルーイさん、並みの人間以上の知識がありますあなたならお分かりのはずです、強力な魔術の使用が体に与える影響が」

 魔術は万能ではない、特にルーイの使う外氣術は魔法の数パーセントの威力をフィードバックして体に受けてしまう。熟練すればするほどその防ぎ方はうまくなるが、完全に防ぐことはできない、ルーイもそのことは良く分かっている。

 単に肉体へのフィードバックならまだいい、回復する方法もある、しかし、問題はそれが精神的にも被害を及ぼしかねないということだ。

 その例はいくらでも、強力な魔術や未熟な魔道師が精神を崩壊させることも度々起こる。

「私達の研究の大部分は、その魔術を使うことのできる素質のある人間を育てることにありました」

「それがフィロリス…」

 ルーイは不思議な感覚だった、あのフィロリスがそんな魔術を使うために育てられていたなんて、いくら自分が教えても低度の魔術すら満足に使うことが出来なかったのに。

「正確に言えばもう少し難しい話になってしまうのですが、しかしそれも四年前まででした」

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