第二章 邂逅

第二章 邂逅 1

 その広場には光が届いていた、霧が晴れている、どうやら夜というには少し早過ぎたようだ。夕暮れ時で太陽―太陽はこの世界でも太陽と呼んでいる―が沈みかけていた。

 広場には古い教会と頑丈なつくりのように見えるレンガの小屋があった。小さな池のまわりに花壇が作られ色とりどりの花が咲いている。手入れと光が十分に行き届いている証拠だ、花は光を受けてとても生き生きと輝いている、生命の良い匂いがした。

「ここです、どうぞ」

 フィロリスとルーイが見とれている間にいつのまにかレインが教会の入り口に立っていた。

「おや?」

 ルーイが広場のあたりを見回したとき、奇妙なものがあることに気付いた。

 五種類の鉱石、ルビー、アクアマリン、アメジスト、シトリン、ぺリドットが魔方陣を組んでいる、それも広場を取り囲んで。

「どうした? ルーイ、早くいこうぜ」

「ああ、はい」

 食べ物の前のフィロリスには他のことは目が入らないみたいだ、すでによだれが出かかっている。

「古封印術、ですか、いまどき」

 現在では使われることのないとされる術式、その中の一つだ。まだ魔法が生活の大部分を占めていた時代の産物で、知識が失われ術式が複雑な代わりに、強引に破ることも難しいとされる。ルーイも書物の中でしか知らないレベルである、過去の大戦時のものだろうか。

 やすやすとフィロリスとルーイが入ることが出来たということは、一体この陣は何の進入から防ぐためであろうか。

 気になる点はあったが、魔物の多い地域だ、そんなものが存在してもしょうがないのかもしれない、ここの牧師に聞けば何か知っているだろう、自分で考えても答えは出そうにない、そうルーイは考えてフィロリスの肩に乗ったままドアをくぐった。

 教会の中はとてもこぎれいになっていた、レインが欠かさず掃除しているからだろう。木製のテーブルが中央に置かれて、四つの椅子が向かい合わせになるように二つずつ並べられている。テーブルの上には花壇で育てられている花が花瓶に丁寧に飾られていた。これだけでもレインの性格が想像できそうだ。

「ところで牧師さんは?」

 お茶を入れてくると言って台所の方に行ったレインに尋ねたのはルーイだ。フィロリスはご馳走で頭の容量を使い切っている。

「ええと、たぶん向こうの実験室で何かやっているんだと思いますわ」

「実験?」

 片手にスープとカップを、もう片方の手に多種のパンをのせたバスケットをとても起用にレインが運んでいる。顔はいたって普通で、むしろ笑顔さえ浮かべている、曲芸師並みの技だ。

「何をやっているかよくは知らないのですけど、確か、マドウグがどうとかって」

「魔道具!?」

 ルーイはレインに出された蜂蜜入りのカップに口をつけながら飛び上がる思いをした。

 魔道具とは、ある決まった特定の魔法のみを、その魔法を詠唱する能力がなくても使うことができるようにしたものである。その他にも、あまりにも強大な魔法のために、その使用者が死を免れるように負担を軽減するものであったり、特殊な魔法を詠唱するために必要であったりすることもある。その姿は杖であったり、円盤であったりと様々で、その多くは数千年前に創られたものとされており、伝説と化しているものもある。

 魔道具を創る技術はもはや失われていて、過去の文献にも決してその工程は記されていない。

 そんなものを一介の牧師が研究をしているなんて、あまりにも。

「いいんじゃねぇの?」

 温かいスープとパンを一緒に無作法に胃袋に押し込んでいるフィロリスが言った、どこから声が出せるのかとルーイが心配するほど口に隙間はない。

「ですが、実験といっても」

「どうせ趣味だろ?」

「文献すらないのですよ、それをどうやって」

 ルーイがまくしたてる。

「そんなことは牧師さんがきてから聞けばいいだろ、なんでそういつもいつもルーイは物事を深く考えるかねぇ」

「あなたが考えなさ過ぎるのですよ」

「なんだって? 俺がいつ…」

 ドン!!

 教会全体がゆれた、地震とは違う爆発による特有の振動、フィロリスとルーイは一瞬にして臨戦態勢になった。

 細かい塵や小石が教会の窓にたたきつける、細かい傷はつきそうだが割れたりひびが入ったりしてしまうほどの爆風ではないようだ。

 それでもフィロリスは右手をカタナにかけたし、ルーイは尻尾をぴん、ととがらせた。ただレインは何事もなかったように食器を用意している。

「そろそろクリームシチューができますわ」

「何に言ってんだ、今の爆発聞いただろう」

 ドアを開けて外に出て行こうと席を立とうとするフィロリスにレインが落ち着いたように言う。

「いつものことですから」

「いつもの…?」

 フィロリスの肩に飛び乗ろうとしていたルーイがその後ろ足の力を緩めてレインの方をふりむいた。

「ええ」

 そう言ってレインは窓から見える実験室を指差した。そのレンガ小屋の煙突からは灰色と紫と赤が混じった奇妙な煙が信号弾のように空高く上がっている。

「なんだ、ありゃ」

 フィロリスがドアを開ける手を止めて窓からガラス越しにそのへんてこな煙を眺めていた、というかあまりに妙すぎて動きを硬直させてしまった。あらゆる状況に対峙してきたさすがのフィロリスもこの光景だけは初めてだった。もちろんルーイも。

と、教会のドアが突然開き、一人の人間が入ってきた。

「いやぁ、まさかガーネットの配合を変えるとこんなことになるとは思いませんでしたよ。」

 入ってきたのは顔まですすけて銀縁眼鏡をした人のよさそうな男だった。深めに刻まれた顔のしわが年齢を感じさせる、恐らくは四十代中ほどだろう。背はフィロリスとそう変わらず、左手には分厚い本を抱えていた。服装からしてこの教会の牧師であることは間違いない、今の言動から爆発を起こしたのも彼のようだ。全くそんな危なっかしいことをしているようには見えないのだが、人は見かけによらないとはこのことだろう、とルーイは思った。

「おや、珍しい、お客さんが来ているようですね」

「あ、はい、わたしが魔物に襲われているところを助けていただいて」

「そうですか、それはどうも、最近では魔物も活動的になってきてましてね、あ、自己紹介がまだでしたね、わたしはエルフィン=シークレット、この教会で牧師をしています、といってもほとんどがさっきの爆発に費やしてますけどね」

 丁寧に牧師が頭を下げた、すすけた顔の苦笑いとともに。

「こちらがフィロリスさん、でこちらがルーイさんです」

「お二人とも、まあお掛けになってください」

 エルフィンは彼らに席に座ることを勧めた、ルーイのことについては別になんとも思っていないらしい。二人は勧められるままに席についた。

「それでは私は少し着替えてきますので、ゆっくりとしていってください。レイン、あとはよろしくお願いしますよ」

「はい」

 エルフィンはそのまま階段を上がっていった。

 レインがフィロリス用に大きな深皿を、ルーイのために少し小さめの皿を用意してくれた。二人はレインとともに夕食を再開した。

「確かに、少し変わった人でしたね」

 熱いシチューに口をつけながらルーイが言った、フィロリスは無言でシチューを食べている。

「どうかしましたか、フィロリス?」

「いや、なにも」

 パンとシチューを交互に詰め込んでいるフィロリス、ルーイの方には目を向けていない、何か考え事でもしているようだ。

「レインさん」

「レイン、です」

 さん、づけをしたフィロリスに少しにらみをつけるレイン、しかしその仕草に全く気迫が感じられないないのだが。

「ああ、すまなかったな、レイン」

 フィロリスが戸惑った顔をして、照れを隠して空いた左手で頭をかくと、もう一度言い直した。

 レインは素直に微笑んでいる。

「はい、なんですか?」

 二人のやりとりを見て安らぎを得ているルーイ、つげられたシチューを器用に口に運んでいる。おそらく人間以外では間違いなく最も行儀がいい生物のはずだ。

「レイン」

 さらに繰り返して名前を呼ぶフィロリス、自分の中で定義づけているのだろう。

「さっきのこと、言わなくていいのか?」

「あっそうでしたね、すっかり忘れてました」

 レインは自分のシチューを盛りテーブルに置くと微笑みながらフィロリスに返した。

「あんた、襲われる身に憶えはないんだろ?」

「ええと、そうですね、特にありません」

 再度キッチンに赴きグラスに水を注いで三人の前に置いた。

「今までに襲われたことはないのですか?」

「エルフィンさんが渡してくれたこれをしているので、滅多にそういうことは起こらないはずなんですけど」

 そう言ってレインが胸元に光る宝石を二人に見せた。

「ん? 何だそれ?」

「フィロリス、何度も教えたでしょう、特定の鉱石には力を秘めているものもあると。これはブルークリスタルですね、封印術によく使われるものですが、魔よけの効果もあるんですよ。」

「私はそこまでは知りませんが」

「どうやら牧師さんはずいぶん魔術の知識をお持ちのようだ」

 ルーイがやけに感心したようにうなずいた。

「じゃあ、今回が初めてなわけだ」

「ええ」

 レインが少し困った顔で返事をした。

 フィロリスはその後少し考えたように、下を向き何も言わずにレインに出された水を飲み込むと、席を立った。

「どうしましたフィロリス?」

「少し、話をしてくる、牧師さんとやらにな」

「ちょっと待ちなさいフィロリス、いきなり何を言っているんですか?」

「ルーイも来るだろ、聞きたいことたくさんありそうだからな」

「それは、そうですけど、何も急に言わなくてもいいじゃないですか」

 ルーイが警告をするようにきつく言ったが、フィロリスはまるで聞く耳を持とうとしない。脇に置いておいた白銀を左の手につかむ、階段を上がろうとする。

「フィロリス!」

ルーイが静止を促す。

「どうぞ、ご自由に」

 階段の上から声が聞こえた、エルフィンだ。

「私に話があるみたいですね、レイン、片付けをしておいて下さい」

「そら、牧師さんもああ言ってる、ルーイはどうするんだ?」

「…行きます、レインさん、すいません」

「いいですよ」

 少しレインが困惑した様子で答えた、状況をいまいちよく把握していないようだ、それはルーイも同じことだが。

 肩の上に飛び移り階段を上がるフィロリスについていくルーイ、階段の途中の小さな窓からは煙のまだ残っている実験室が見えた。

「フィロリス?」

 フィロリスの雰囲気がいつもと違う。

 答えはなかった。

 三年も生活をともにしていれば相手の変化には敏感になる、それでも今まで感じたことのない氣だった。

 憎悪、か?

 部屋のドアをフィロリスが開けたとき、エルフィンは一番奥の椅子に腰をかけていた。

「久しぶりですね、フィロリス」

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