第一章 霧蒸ける森 5

 岩の上でティーパーティーが行われていた。

 主催者は魔物に襲われていた少女。

 参加者はカタナを使う黒服の男、それと言葉を話す長寿のイグアナ。

 妙に落ち着いた空間が広がる。

 彼女の朗らかな笑顔のせいなのかもしれない。彼女は自分がさっきまで襲われていたという事実を理解しているのだろうか。

「先ほどはどうもありがとうございました」

 記憶は無事らしい、何となくほっとした気分にフィロリスはなった。

「ああ、別にたいしたことじゃないさ。俺はフィロリス、フィロリス=シルバーハート。フィロリスでいい、一応職業は何でも屋だ」

「私はルーイ、フィロリスと共に旅をしています」

「ごめんなさいさっきは驚いてしまって」

 彼女はティーカップを置いて丁寧にお辞儀をした。

「いえいえ、いいんですよ、よくあることですから」

 実際ルーイが見知らぬ人の前で言葉を発することはあまりない。魔物に肉親や知り合いを殺されたものも決して少なくないからである。そのような人々の気持ちもわからないわけでないし、自分にも不利益である。フィロリスといるときはただの動物として――フィロリスのペットとして過ごすは癪に障るが――振舞っていた。ルーイが言葉を発するのはある程度打ち解けてからである。

「私はレイン=ミルカローネと言います。レインと呼んでください」

「レインさん、ちょっと聞きたいことがあるんだが」

「えっ? 何ですか?」

 フィロリスはカップを口から離してレインに問い掛けた。レインはちょっとびっくりしたようにフィロリスをみる。

「あんたはここで何をやってるんだ? 女の子一人がこんなところにいるっていうのは普通じゃないだろ」

「この先の小さな教会に住んでいるんです。魔導師見習いで牧師さんに魔術を教えてもらっていて」

「魔術を牧師にねぇ、親はいないのか、あんた?」

 教会の牧師が魔術を使うことは珍しいことではないが、それは神職としての儀式に使う簡単なもので、その程度なら、大きな街にある魔法スクールにでも行けば懇切丁寧に教えてくれる。授業料はもちろんとられるが、そちらに行くほうが効率もいい。

「あ、はい、お母さんは三年前に病気で、お父さんは戦争で小さいころに亡くなったって聞いてます、私には身寄りがなかったので今は牧師さんにお世話になっています」

 レインは小さく微笑むと、カップを口につけた。

「悪いことを聞いたな」

 平和な世界ということには一応の認識がなされているこの世界でも、多少の小競り合いが起きていることは間違いがない。

 この世界には、大きく分けて二つの大陸と、三つの大国からなる。一つは山脈がいくつも連なり、緑豊かな盆地が広がる温暖な〝ランドヒル〟の中に存在する〝エスカテーナ〟という王国。一方西には平坦な地形で、全体の四十パーセントが砂漠に覆われている地下資源が豊富な〝サンドリバー〟の中に存在する〝アステリスク〟。そして互いの大陸を中央で結ぶように存在し、貿易国として自由な発展を遂げた〝フロンティア〟。この三つの大国を中心としていくつかの小国が存在する。三つの大国は互いに干渉をしあい、その微妙なバランスで世界が成り立っていた。

 フィロリスたちのいる場所は、エスカテーナからは遠く離れたランドヒルの南側にあり、自治都市であるハンクルに最も近いところにいる。どちらかといえばフロンティア寄りな地域である。

 当然のことながら、国々の中には平和を望む国もあれば世界をこの手にしようとしている国もある。盗賊のようなことを働いている者たちもいる。ようは何でもありってわけだ。だからこそフィロリスの職業が成立するのであるし、レインのような境遇のものが現れるのも珍しいことではない。

 フィロリスたちは何度もそういった場面に出会ってきたし、彼自身もそう遠くない境遇にいた。もっともフィロリスの場合、比較にならないほどの経験なのだが。

 ほんの少しの気まずい空気の後、口を開いたのはレインだった。

「もしよろしければ、教会までいらっしゃいませんか? きちんとしたお礼も差し上げたいですし」

「そういうわけにはいきませんよ、ねぇフィロリス?」

「ぜひ! お願いします!」

 ルーイのささやき声を無視し、フィロリスはレインの手をぎゅっと握り締めた。空腹の本能にフィロリスは勝てるわけもなく、目の前には暖かそうなスープが湯気を立てているのが見えた。

 こうなることがわかっていたルーイはもう何もいうことはせず、フィロリスについていくことにした。

「ところで、その牧師というのはどういう方なんですか? このような場所に教会などさして必要でもないでしょうに」

 ルーイが軽い疑問をレインに投げかけた。レインは少し困ったように首をかしげた後、こう言ったのだった。

「いえ、とにかく不思議な方です、こう、なんていったらいいか、あっていただければわかると思うんですけど」

「そうですか」

 ルーイは丁寧に返事をして、フィロリスに支度を急ぐように体をつついた。

「まぁ、とにかくその教会まで案内してもらいましょうか」

 なんとなくルーイの真似をしてフィロリスが言い出した。

「そうしましょう」

 レインがティーカップを手持ちのかごにしまい、出発の準備は整えられた。フィロリスは降ろしていたカタナを肩に背負った。ルーイはフィロリスの担ぐ袋に入ろうとしていた。

 そのとき、フィロリスは得体の知れない妙な予感に襲われた。その予感はルーイも感じていた、ルーイの場合は音だった。

ブーンブーンというロープを振り回したときに出る音がしていた。それもいくつもの音が重なり合ったように聞こえた。

 20メートル先、音を発生する物体がフィロリス達めがけて飛んできた。

「げっ、あれは!」

 飛んでくるのは〝ツバメバチ〟という蜂の仲間の大群だった。数は正確に数えることが出来ないほどで、おおよそ見積もっても50以上である。蜂といってもこの種類は普通の蜂とは大きさが違いすぎる。大きいものなら10cmを軽く越えてしまうこともある、人間には本来近づかない種のはずなのが、今回はどうも事情が異なるらしい。

「行きましょうフィロリス!」

「言われなくても分かってる、レインさん、道案内はまかせた!!」

「えっ? あっはい」

 ツバメバチは集団で襲う昆虫なので飛行スピードはそれほど速くはない。体の大きさも速度を遅くしているのだろう。全速力の人間よりも少しだけ速いというぐらいだろうか。

 二人は一直線に走り始めた。もちろんルーイはフィロリスの右肩に乗っている。レインも思ったよりも速いな、とフィロリスは駆け足で走りながら思った。フィロリスは身体能力なら人間の限界を超えているほどである。実生活の中に修行の場があふれすぎているのだからしょうがない。魔法で一時的に身体能力を上げることもできるが、魔法を詠唱する暇はないようだ、それにレインまで魔法をかけることはフィロリスにはできない。フィロリスの使う内氣術では使用者本人にしかかからないのが原則である。同じ魔法でも対象物を自分以外にしようとするならば余分に自分の氣を使わなければならない、そんなことをしたら実力のないフィロリスは疲れて倒れこんでしまう。

「ごめんなさい、私のせいでこんなことに…」

 レインが走りながら申し訳ないように言った。どうやら責任を感じているらしい。

「いいから走ってくれ、ルーイ後ろの方何とかならないか?」

 フィロリスのカタナは小さいものを斬るのにはあまり適していない、それに一匹一匹相手をするわけにもいかない。

 フィロリスはレインと出会うほんの一時間前のことを思い出していた。それは空腹に耐えかねたフィロリスがルーイの忠告を無視して巨大な蜂の巣から蜂蜜を盗んでいる様子だった。1リットルばかりの蜂蜜がフィロリスののどを潤した。それでも彼の空腹を完全に満たすことは出来なかったが。フィロリスが盗んだ蜂蜜の巣はおそらくあのツバメバチ達の巣だったのだろう。蜂蜜を盗んだ犯人を匂いから追跡してきたのだ。まずいことをしたな、といっても今更返すわけにもいかない。今はつべこべ言わずに逃げるのが先決だ。

 ルーイがフィロリスの肩の上でくるりと向きを変え、ツバメバチの方を見つめた。さすがのルーイも少し数が多いなと思った。

「やれやれ、骨が折れそうですね」

「そんなこと言わずになんとかしてくれルーイ、いやルーイ様、お願いします!」

「ふーむ、どうしたものですかねぇ、彼らの追っているはどうみてもフィロリスただ一人のように見えますけどね」

「さっきの魔法でもいいから、とりあえずまくだけでいいんだ!」

「そこまでいわれては仕方ありませんねぇ」

 皮肉を言われた分を返すために焦らしてみせたのだ、もちろんフィロリスもそんなことは承知の上だ。

「それでは」

 コホンとルーイは一つせきをした、爬虫類のくせにだ。くせにという表現はルーイに失礼かも知れない、彼よりも魔法の知識に長けている者は人間でもそう少ない、本を読む爬虫類だ。

「輝きに彩られる者よ、我が汝の主なり、その呼ぶ声に答えよ、暗き心をもつものを消さんがために」

 先ほどと同じように光が小さな球状をしながら成長していく、フィロリスに使おうとしていたよりも数が多い。

 その球は〝時間〟を吸収するように加速的に弾になっていく。

「ゆけ、ライトニングアロー」

 フィロリスの魔法と違い、ルーイのそれは物静かだが、より威圧感を感じざるを得ない。年季が込められているからかもしれない。

 光の弾は地面と平行に蜂めがけて糸のように伸びていく。

 その弾に触れた蜂は燃えるのではなく、完全に爆発してしまった。

 次々と蜂が爆発し、それに触れたものもまた連鎖反応を起こして爆発を繰り返す、まるで打ち上げに失敗した花火が水面で猛火のごとく誘発されているかのように。

 蜂そのものが爆発物に変化してしまったらしい、おそらくかなり高度な魔法の部類に入るだろう。

 ルーイの使う魔法は「光」の系統が中心だ。系統の中でも取得が困難な属性に位置する、それをやすやすと使ってしまうルーイ、それにくらべてフィロリスはいつまでたってもろくな魔法を使うことが出来ない。

「がっ、ルーイ、お前そんな魔法俺に使おうと…」

 フィロリスはあっけに取られてしまい皮肉を言うことも出来なくなっていた。まともにくらえばフィロリスの体が微塵になっていたかもしれない、いや、控えめにみてもしばらくは行動不能になってしまうはずだ。

「少しは手加減したつもりですよ、どちらにもね」

 今度はルーイが皮肉を言う番になってしまった。

 実際のところフィロリスはルーイが全力で魔法を使ったことをあまり見たことがない。本気で使うと一体どれくらいの破壊力があるのだろうか、それ以前にルーイが何者かも良くは知らない。詮索することは好きではないし、されることも好まない、だからこそルーイとともにいるのだと思う。

 心の中でフィロリスは昔あったことのある男の顔を思い出していた。決して忘れることのできない男だ、今度会ったときに言わなければいけないことがそれこそ腐るほどある。

 蜂のほとんどが消滅してしまい、残った数匹の蜂も逃げ帰るように巣へと戻っていった。

「ぎりぎりセーフってとこか」

 彼らの目の前に少し開けた広場が見えた。

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