第一章 霧蒸ける森 3

「さて、どうする?」

 すっかり魔法を使うことを止めているルーイはフィロリスの肩に乗りなおした。二人ともさっきの勝負のことはなかったことにしたらしい。

「彼女が目を覚ますまで待つしかありませんね」

「気絶させたのは誰なんだか」

 フィロリスはカタナを背中にある鞘に戻した。

「今日はずいぶんと皮肉を言いますね、いや、どうやら待っている余裕はなさそうですよ」

 ルーイが尻尾をぴくんと立てた。

 それを合図にしたかのように周囲の木々がざわざわと音を立てる。

「やれやれ、だな」

 どうやら囲まれているらしい、思ったよりも手際がいい。

「でてこいよ、相手してやるぜ」

 カタナを抜いたフィロリスは左手で挑発のポーズを取った。

 ぞろぞろと得体の知れないものが地面を引きずりながら進んでくる。それはまるで百年ほど経った樫の木のようであったが、枝が丁度人間の手のようになっていて、顔のように中央には節穴がある。

 気味が悪い、直感的にフィロリスがそう思った。動物ならまだ普段見慣れているから耐えられるというもの、植物、それも完全に魔物化している。なんらかの原因で自我を持つようになった植物、こいつが一番たちが悪い。

 数は五体ほど、その中の一体が口のようなものをあけて言葉を発した。いや、発したというのは正しい表現ではないかもしれない。発したように音声が聞こえたのだ。

「むすめ…おい…て…いけ……そう…いのち…たすけて……やる……」

 できの悪い手作りラジオのようにところどころ途切れていて、雑音も混じっている。

「あんまり親切じゃあないんでね、それに飯の種をとられちゃ困るな、それとも何か? あんたらがご馳走でもしてくれるっていうのかい?」

 挑発しながらもフィロリスは攻撃のチャンスをうかがっている。

 こっちには気絶している少女が一人、どう考えてもこっちの分が悪い。隙を見て攻撃するしかないようだ。

「なら…シネ……」

 両腕の枝がヒュッと伸びてフィロリスのほうにムチとして跳んできた。木の枝であるにもかかわらず、ゴムのようにしなやかである。フィロリスの横をかすめていったそれはフィロリスの顔に傷を残し、カタナに斬られ地面に落ちた。

 意外と気が短かったようだ。

 そしてこの攻撃を機に他の魔物たちも攻撃を仕掛けてきた。

「ルーイ、彼女を頼む!」

 ルーイにはフィロリスほど直接攻撃の威力はないが、その爪と尾である程度の攻撃はできる、ルーイが何とかしのいでいる間に倒してしまおうと考えたのであった。

 確かに敵は強くはなかった、が数が多い。最初の一撃以外ダメージを受けていはいないが、こちらの攻撃も大して意味があるようには思えなかった。斬っても斬っても次々枝が伸びてくる。しかも本体へ攻撃しようとしても他のやつらがうまく邪魔をしてくる。

「けっ植物のくせにいい連係プレーだぜ!」

 妙に感心してしまったが、このままでは体力を消耗するだけだ。早めに切り上げなくてはフィロリスの体が持たない。こう連続的に攻撃をされてしまえば、ルーイも魔法を詠唱するタイミングが得られない。

 痛点がないのか。やっかいだな、とフィロリスは思った。魔物化した植物には核というものが形成される。詳しい原因はわかっていないが、その核が動物の心臓、もしくは脳として機能している。核は大体本体の中心にあり、生命力の強い植物はここを断ち切るのが最も良い攻撃方法だ。

「なぜこの子をさらう」

 対策を練る時間が必要だ、言葉が通じるのであれば時間稼ぎができるかもしれない。

 それに少し疑問もあった。魔物が少女を捕まえる必要などないはずだ。人間を襲うということもめずらしいことではないが、ここまで一人の人間を追い続けるというのは妙な話だ。若い女の子を特に好んでいるという色物植物なら話は別なのだが。

「…おま…えら…に…いう…ひつよ…は…ない……」

 少しの時間差があって声らしきものが答えた。

 なんとなく予想はついていた答えではあったが、それでもちょっと腹が立った。

 わかったのは何らかの秘密があるということと、向こうの認識対象にルーイも含まれているということだ。二つとも物事の根本的解決にはなっていない。

魔物たちは攻撃の手を休めることはしなかった。さほど効果はなかったようだ。

フィロリスは体を左右に揺らしながら枝の攻撃を掠めるようにかわしていく。敵が間合いを詰めてこないのが救いだったかもしれない。合計十本の枝が交互にフィロリスに攻撃を仕掛ける。

 ぐっ、左の攻撃をよけようとして右へ跳んだフィロリスの足元がぐらつく。このあたりは日があたっていないのか湿気が多い。

 体勢を立て直そうとしたフィロリスの左足に枝が絡みつく。かろうじて斬り裂くがそれでもバランスは崩れた。畳み掛けるように枝が絡む。

「フィロリス!」

 ルーイの声が響く。振り返ってみたが、ルーイもそれなりに必死だった。

「わかってる、よっと」

 左手の裾から小型のナイフが飛び出す。フィロリスのコートの中にはこれ以外にも隠し武器がいくつか非常時に備えて用意されている。魔法が得意でないフィロリスは魔物たちに対抗するために準備が必要なのである。最低限これぐらいの武器を所有していないようでは旅などしてはいられない、よっぽどひとつの武器に自信がなければ。フィロリスはカタナの扱いに慣れているとはいえ、それだけで渡り歩こうと思うほどうぬぼれてもいないのである。戦いに関してだけいえば、フィロリスは案外現実的なのだ。

 このナイフも白銀と同じ金剛石繊維(ダイヤモンドファイバー)でできている一級品である。

 ファイバーナイフで左手の枝を切り落とす。

「なぁ、こいつらひょっとして…」

 後ろに跳ねながらフィロリスが叫ぶ。

「みたいですね? それなら」

「ああ、わかってる、俺がやる!」

 攻撃パターンが単調すぎることに気がついたのは左足に枝が絡んできたときだった。攻撃がヒットしているのは一体だけであったのである。巧妙に隠しているかもしれないが、所詮は植物だ。

「羽、我が体内に宿る力の羽よ、空を舞うために現れん」

 フィロリスの言葉に反応するかのように、左手が光を帯びていく。ナイフは袖に戻っている。

「行け! エーテルウィング!」

 突き出した左手から光が消える。そのかわりに小さな台風くらいの風が魔物たちに吹きつける。

 エーテルウィングは内氣術のひとつで、大気を振動させ、風を起こすものである。

 熟練した使い手であれば空を実際に舞うことも可能らしいが、今のフィロリスにそれほどの実力はないし、そこまですることもなかった。

 五体だと思っていた魔物たちが、風に吹かれ周囲に立ち込めていた霧とともに一体になっていく。

「やっぱりな、幻術か」

幻術を見破られた魔物はうろたえている。

霧をうまく使って幻を見せていたのだ。霧を使った幻術は高等ではないにしろ、使い勝手意がいい。ある程度の防御もできる。ただ、消されてしまうともうどうしようもない。リスクを伴う術でもある。

「遅いぜ!」

 体を後ろにした魔物にフィロリスが斬りつける。

「自然保護には興味があるが、あんたには痛めてもらった恩があるからな」

 言葉を言い放つ間もなく魔物は立て二つに割れ、灰になって消えていった。

 核を砕かれた植物は、本来は移動に適していない細胞を統括することができなくなり、自身のエネルギー暴走で燃え尽きてしまうのだ。

「ふぅ、これで一段落か、そっちは大丈夫か、ルーイ?」

 この光景は何度みても心地のよいものではなかった。胸の焼けるいやな匂いがする。

「ええ、彼女にも怪我はありませんし」

 彼女は岩の上でぐっすり眠っている。この騒ぎなど世界の裏側の出来事のように。

 フィロリスはその岩に腰をおろすとカタナを鞘に収めた。

「さて、ちょいと休憩でもするか、腹も減ったし」

「何もありませんよ」

 念のため袋に手を入れてみたフィロリスにルーイが突っ込む。結果のわかっている作業に従事するフィロリスは、一分後に切ない顔をしながら袋を放り投げた。

「にしても、何でこんなところに人間がいるんだ? ちゃんと道だってあるんだろうし」

「そうですねぇ、何か訳でもあるんでしょう」

「そんなことはわかっているさ、ところで、さっきのやつら、ただの魔物じゃなかったな」

 彼女はどうみても旅をしているようには見えない。きっとこのあたりに住んでいる人間だろう。好き好んで森の中にすむやつはいない。何か理由かあるはずだ。

「ええ、どうやら人間に操られていたみたいですね。あの魔物はゲストウッド、人を襲うことはない無害な魔物ですからね。身を守るためにあの幻術があるんですから」

「ほほう、てことは何かい? ルーイはあいつらが幻術を使うことも知っていて俺に戦わせたっていうのかい?」

 博識のルーイはフィロリスより知識も経験もある。世界中のいろいろなところを歩いて回ったことがあるらしく、たいていのことは何でも知っている。もちろん魔物についても例外ではない。

「何事も経験ですよ」

 よく言ったもんだ、ルーイはめんどくさがりやで、自分が魔法を使うと疲れるから俺に任せたんだろう。そう思ったが、口に出したところで終わりのない口げんかが始まるだけだ。我慢しておこう。

「操作術者か、わざわざ女の子一人捕まえるのにそんな面倒なことするかねぇ」

 操作術とはその名の通り他の生命体を操るというものである。もともとは外氣術のひとつであったが、低級動植物を自分の思いのままに操るという行為に非難があり、あまり使用する者のいなくなってしまった術式である。実際、うまく操れば操るほど術者に操っているモノへのダメージがフィードバックされるのだから、あまり効率のいい術ではない。それでも姿を見られたくないときにはうってつけの暗殺用術であることは間違いない。

「なんにしても、彼女が目を覚ますまで待つしかありませんね、私たちは道に迷っているんですし」

「いやなことを思い出させたな、おっ、こんなところに食料が……」

 フィロリスは散らばってしまった彼女の紙袋の中身を見た。リンゴやロングブレット、ジャムの瓶詰めなどがある。街へ行って食料でも買い出しして来たのかもしれない。とするとやはりこの辺に住んでいるのか。

「やめなさい、意地汚いですよ」

 ルーイが注意する間もなくフィロリスの口にはリンゴが押し込まれていた。ほとんど丸呑み状態だ。

 続いて放り込んだパンが残り少ない口の水分を吸収していく。

「うぐっ」

 当然の結果フィロリスののどが詰まる。

 やれやれといった様子のルーイと、酸素を求めてあえぐフィロリス。

「お茶、飲みませんか?」

 苦しそうな表情のまま顔をあげたフィロリスの前に、目を覚ました彼女がにっこりと微笑んで立っていた。

「お茶、いつも用意しているんです」

 この女ただ者ではない、フィロリスはそのとき深くうなずいたのであった。

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