第2話「中学二年生の学び」

 星空教室はまず、その日一日で自分がやってきたことを先生に見せることから始まる。

 ただ、提出する成果物は人によって様々だ。

 そして、どんなものを出しても先生は大げさに褒めてくれた。


「おおっ! ひらがな全部マスターだね。偉い! カタカナも書けてるから、次からは少しずつ漢字を練習しよっか」

「センセイ、あがとござります。でも、カンジ、とてもムズカシイ」

「そうなんだよねー、ぶっちゃけ日本人でも読めない漢字ってあるし。わはは」

「ニポンではたらく、もすこし文字、よめるととてもヨイ」

「うんうん。漢字って、書けないけど読めるってことが多い、不思議な文字なんだ。文章や国語と同時並行して、ちょっとずつやってこ。焦らない、焦らない」


 他にも、みんなそれぞれ今日の勉強を見てもらう。

 大工の棟梁とうりょうは最近、桁数の大きな掛け算や割り算ができるようになったと喜んでいた。そのお弟子さんも、日に日に日本語が上達しているような気がする。

 タバコ屋のおばあちゃんは、短歌を何首か作って、あとは歴史を勉強したみたいである。

 そうこうしていると、まどかの順番が回ってきた。


「おまたせー、まどかちゃん。どれどれー? 先生になんでも見せてみんさーい!」

「は、はいっ」

「ふむふむ、国語に数学、英語……頑張ってるねー、毎日。普通の中学生よりうんと勉強してるよ。ま、量はともかく中身は、と」


 赤鉛筆を手に、先生は目元を細める。

 お酒は飲んでるんだけど、全然酔っ払った雰囲気がない。

 それに、いざ見るとなったら先生の指導は手厳しいし、容赦がなかった。


「国語はいいね、読解力もついてきてるし。こういう問題は全部テストや入試のスタイルに沿ってるから、凄く役に立つ。ただ、国語っていうか文章や小説は、問題を解くために読むだけのものじゃないんだけどね」

「は、はあ」

「あと、やっぱり若干数学と英語が弱いかな? 中学に入ってから新しく増えた連中だしねー、この二つは」


 先生の言う通りだ。

 まどかは数学と英語が苦手である。

 算数なんかは、小学校ではとても優秀だった。というか、小学校の頃は優等生で、学校の勉強も楽しかった記憶がある。


「数学は、なんか、覚えることが多くて」

「ウンウン、確かにね。算数が基礎だとすると、その応用だから、数学は」

「英語も、こぉ……そもそも日本にいたら、英語なんて使わないかなあって思うと」

「わはは、それ中学生あるあるだねえ! アタシも昔はそう思ったもんさ」


 先生はネガティブなことを言っても怒らないし、かといって励ましてもこない。

 そういう距離感はなにげに、まどかには嬉しいものだった。

 それに、のらりくらりといい加減なところもあるが、まれに鋭い言葉を向けてくる。


「勉強ってね、暮らしに使わないものが大半だけど、覚えてたらそれを使った生き方も選べる。幸せってね、まどかちゃん。選択肢が多い状態のことを言うのかもよん?」

「幸せ……幸福」

「そうそう、それ。あとね、こういう使うかどうかわからないものを頑張って覚えた、その証拠が点数に残れば、多くの人がまどかちゃんを『頑張れる人』って見てくれるよん」


 などと言われつつも、なかなか手酷くバッテンの多い問題集を返してもらった。

 要所要所に解き方や考え方へのアドバイスがメモしてある。

 ここからは、それを元にしての再勉強が始まるのだ。

 基本、夜の勉強はこれの繰り返しが多かった。

 けど、その晩は珍しく違った。


「おっ、君は初めての子だね。中学生? かな? よろしくねぇん」

「……先生」

「はいはい、一応は先生ですよー?」


 さっきの子だ。

 すらりとして、どこが線が細くて、いかにも深窓の令嬢といった雰囲気である。それなのに、どこか目に暗い光が揺れていた。

 その美少女は、やや低くてハスキーな声で先生の前に立つ。

 なにかをやってきたとか、書いてきたとかはないようだ。


「先生……


 一瞬、星空教室の空気が固まった。

 誰もが固まってしまって、次の瞬間にはまばたきしながら互いに顔を見合わせる。

 そんなの、先生に聞いてもしょうがないのでは。

 というか、この娘はどうしてそんなことを?

 けど、まどかはその時心を奪われた。

 方程式や文法のことより、知りたくなってしまったのだ。

 今までこの星空教室で、そんなことを言い出す人はいなかった。


「あー、うん。なるほど。君、中学二年生かにゃー?」

「ええ、まあ。ちょっと、学校には行ってないけど。今日だって、別に……いつも外食だから、初めてこの店に入ったんだ」

「ふむふむ。で、どうして戦争がなくならないか、だっけか?」


 腕組みウヌヌと唸って、先生は一同を見渡した。

 その時、まどかは気付いたのだ。

 雑多な人種が顔を揃えて、その数は日本人も合わせて20人程だ。

 その中には、深刻な顔でうつむいている外国人の人もいる。

 少し躊躇とまどう素振りを見せたが、先生はにんまりと笑った。


「ほい、んじゃ、まあ……全員座って。少しアタシが話してみる。お題はズバリ、戦争は何故なくならないのか! 誰でも何でも、気になることがあったら挙手して意見を言ってねぇん」


 なんか、軽いノリで先生は話し出した。

 同時に、まどかのお母さんが呼ばれて追加のオーダーを受ける。他にも、酒や料理を多くの人が注文して、それを待つ中でのお話となった。

 相変わらず先生は日本酒をちびちびやりながら流暢に語り始める。


「まず、戦争の定義ね。お嬢ちゃんは戦争って、どういうのだと思う?」


 髪の長い少女は、少し考え込むようにおとがいに手を当て肘を抱く。

 なんとも絵になる姿で、さまになっていた。

 同じ女の子なのに、まどかは何故か見惚みとれてしまう。

 どこかぶっきらぼうな印象があるのに、とても優雅な存在感があるのだ。


「えっと……人殺し? かな? 大勢で殺し合う」

「それだと、集団殺人事件だねえ。もう一声!」

「……偉い人の命令で、みんな死にに行く」

「まあ、そうだねえ」


 先生の言葉は、不意に鋭く尖って刺さった。

 誰の胸にも、ハッキリと刺さる声が放たれた。


「戦争っていうのは、国同士で戦う国家事業。武力による現状変更を目的とした国の政策だよん」


 先生の言葉には、奇妙な厳しさがあった。

 本人が噛みしめるような言葉に、思わず誰もが黙る。

 その時、大柄な男が手を上げた。

 肌の浅黒い、ちょうどまどかの父親くらいの年の男だった。


「センセイ、ワタシ、ニホンゴまだヘタ。でも、いいたい」

「いいよ、大丈夫。ゆっくりでいいから。みんなもいいよね?」


 多くのうなずきを拾って、その男はカタコトの日本語で話し出した。


「ワタシ、センソウ、まきこまれた。ふるさと、いまも、センソウ」

「そういう国は凄く多いよね。えっと、そこの子」


 例の美少女は、名を問われておずおずと答えた。


「リョウ……鏑木かぶらぎリョウ」

「あー、鏑木さんちの! 名前だけは知ってるよん? あのでっかいお屋敷の子かあ。まあそれで、おリョウちゃん。戦争ってなかなかなくならないんだよねぇん」


 民族、宗教、資源、経済、領土……なにが原因でも戦争は起こるという。

 それに、人間はどうしても他者と自分を比べてしまう生き物だ。

 他国と自国を比べた時、劣っていることに理不尽さを感じた時、暴力を選んでしまう人があとをたたない。基本的には、そういう価値観や認識のすれ違いが主な原因らしい。

 違う宗教、異なる民族でも同じだ。

 

 そういう気持ちを暴力で解決するのが、戦争。


「おリョウちゃんさあ、なかなかに刺激的な話題だったね。で、先生思うんだけど……これは他のみんなにも知っててほしいけど。戦争もいつか、勉強を重ねた人間によってなくせる。これはアタシ、そう思うんだよねえ」


 まどかはちらりとリョウを見た。

 納得したような、もっと違う答えが欲しかったような……よくわからないが、酷く怜悧で可憐な横顔が俯いていた。

 そして、追加の酒と料理が運ばれれば、どこかみんなの距離感がフランクになる。


「でもよぉ、先生。ワシらの小さい頃も戦争したけど、なんかこぉ」

「それ、わかりマス、シショー! どうして、センソウ、とめられないデスカ?」

「お国のためにっていうのがあったねえ。やっぱり、国の景気が悪くなると戦争が起こるのかねえ。ああ、外人さん。お野菜も食べなさいな。取ってあげるからねえ」

「ワタシのくに、まだ、センソウ。みんな、にげてる。ニホンは、へいわ」


 まどかはふと、思った。

 勉強って、なんだろう。

 本当に学校に行ってれば、今日みたいなこともいずれ学べるのだろうか。

 戦争って、外国か大昔にしかないと思ってた。

 でも、リョウはそのことが知りたかったのかもしれない。

 中学二年生といっていたから、まどかとは同じ学年だ。それなのに、どこかリョウのことが大人に感じてしまう。

 数学や英語は生きてくのにいらないのでは? そんなレベルのことを考えてた自分がちょっと恥ずかしかった。

 結局この夜は、大人たちと対等に語り合うリョウには、まどかは近付くこともできないのだった。

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星空教室で会いましょう ながやん @nagamono

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